2019-05-29 第198回国会 参議院 北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員会 第3号
私もちょっと、済みません、ちょっと記憶で、UNMOVICやUNSCOMのときにはFFCDという言葉が使われて、それはドキュメントそのものを指していました。このFFVDというのはドキュメント、つまり書面ではなくて、あのときこんなドキュメントでしたけれども、ではなくて、FFVDというのは政治的スタンスなんじゃないんですか。これ最後、もうこれで時間なのでやめておきますけれども、大臣に確認して終わります。
私もちょっと、済みません、ちょっと記憶で、UNMOVICやUNSCOMのときにはFFCDという言葉が使われて、それはドキュメントそのものを指していました。このFFVDというのはドキュメント、つまり書面ではなくて、あのときこんなドキュメントでしたけれども、ではなくて、FFVDというのは政治的スタンスなんじゃないんですか。これ最後、もうこれで時間なのでやめておきますけれども、大臣に確認して終わります。
我が国と一緒で、ドイツの憲法たる基本法には、防衛のための軍隊を設置すると書かれてあって、これは日本と非常に同じような議論をしていて、つまり、NATOの域内であれば、ある種、我が国的に言うと専守防衛みたいな、防衛のためのことで軍隊が発動できるんですけれども、これをNATO域外に派兵するときにやはりいろいろ議論になって、もともとはUNSCOMなんかの議論だったんですが、その後、カンボジア、ソマリアということで
私も独裁者と付き合ってきた歴史が長うございまして、中東において、例えばリビアにおいては、パンナムのときのようなああいったアメリカの力のバイの関係よりも、実は、例えばサダム・フセインのUNSCOMやUNMOVIC、こういったときの再受入れのようなマルチでの働きかけの方がよく効果を上げたという実例もございます。
一九九九年、一連の国連大量破壊兵器特別委員会、UNSCOMより報告というのが上がっております。
その後、それに基づいて武力行使が行われまして、六百八十七号、安保理決議、これはいわゆる停戦決議と呼ばれてございますが、この中で、イラクの大量破壊兵器等の廃棄を決定し、UNSCOMを設置し、核については国連原子力機関の下での査察を行い、本件、この六七八決議の規定の受諾を条件に停戦をすると、そういうことが六八七に書いてあるわけでございます。 この六八七の受諾を条件ということに一連の違反があったと。
具体的に申し上げますと、国連の中には、イラクの大量破壊兵器を見るための、最初はUNSCOMと呼ばれ、その後はUNMOVICと名前を変えますが、国連の査察委員会がございます。そこに日本は専門家を委員として送り出すだけではなくて、その委員会と日常的に情報収集をしておりました。
別にテロリストとの直接の関係があったかどうか、証拠はないんですが、やはり十何年間も自国民を、制裁を受けながら、UNSCOMに対するちゃんとした協力をせずに、UNMOVICについても四の五のいろいろ妨害をするようなこと、そういうような状況の中で、やはりこのサダム・フセインが残る限り大量破壊兵器の恐怖は付きまとうというのは、私はやっぱりあったと思うんですね。
これは、UNSCOMあるいはUNMOVICの調査の段階で、イラクがみずから、これとこれは持っているということを言ったわけでございます。それに基づいてUNSCOMあるいはUNMOVICがチェックをしたということであります。そして評価をしているわけです。
○川口国務大臣 イラクが、これはUNSCOM、UNMOVICの報告書にもございますように、かつてみずから大量破壊兵器を持っていたということを申告している、そして、それがきちんと廃棄をされたかどうかということについては、これは国連の調査団が確証が持てないということを言っているわけでございます。
特に一九九八年に、この前身であるUNSCOMの査察団を追い出しまして一時中断したわけですね。そして、何年かの空白の後、また査察が再開されたということがあります。それから、先ほど、製造や廃棄に携わったと思われる科学者に対するインタビューを何度も試みました。しかし、これは長らく拒否をしてきた。
イラクは自ら、化学兵器を例に取れば、化学兵器爆弾をこれこれ持っていますと、そしてUNSCOMという査察機関がこれを廃棄等にかかわったわけでありますが、しかしなお行方不明のものがあると、こういうふうに数まで確認されているわけですね。 いったん中断をいたしました。
これは、例えばUNSCOM、UNMOVICという査察団が入ってずっと査察を行っておりますけれども、イラクは幾つかの、二十九ございますけれども、疑惑について、自分で持っているという申請をしているわけですね。例を挙げますと、例えば生物化学兵器用の特殊弾頭は七十五発保有をしている。
それで、その後、いろいろな国連の査察団が、最初はUNSCOMというふうに呼ばれ、その後UNMOVICというふうに名前を変えましたけれども、国連の査察団が入ってこのイラクの武装解除の状況について様々な報告を出しているということです。もうそれについてはいろいろなもう事細かに例示を挙げることができますが、時間の限りもあるでしょうから、例えば例を幾つか申し上げたいというふうに思います。
○国務大臣(川口順子君) 例えば生物化学兵器用の特殊弾頭、これについて言いますと、UNSCOMの時点でこれはイラクが七十五発持っていますとイラク自身が申告をいたしました。それで、これに対して三十発をUNSCOMの監視下で廃棄をしました。そして、残り四十五発あるということでして、イラクはこれは自分で廃棄をしたということを言いましたけれども、それは未確認であります。
前の、戦争中にも安全保障委員会で質問なんかもして、スコット・リッターという方が、UNSCOMの元査察団長ですね、「イラク戦争」という本などを書いておられて、そういうのを読んだときに、これはここまで査察をやっていれば大量破壊兵器はないだろう、そういうふうに読めるわけなんですね。
理由は、今川口大臣は米英豪だとおっしゃいましたが、国連の核査察の、かつてのUNSCOMが、逆に言えば、米国の干渉が過多であるということで一たんは中止され、UNMOVICという形で、より国籍を離れて核査察に入るという人々によって担われたという経緯があるわけです。事実を見ていくときに、どこの国にもなるべく不党不偏であれというのが国連の原則であると思います。今の川口大臣の立場では、米英豪がやっておると。
それから、私が、以前のUNSCOMでは百のまだ未解決の項目があったんだけれども、UNMOVICでは三十になっているけれども、どういうことだと聞きましたら、いや、百を三十にまとめたので、以前の百がそのまま残っているという事実自体は、くくり方を変えただけだ、こういう話をしておりました。それが当時の状況であります。
と申しますのは、私自身、去年の十二月イラクに参りまして、現実に査察に入っている方々の意見も聞きながら、そして、UNSCOMの時代からUNMOVICにかわっての変化の点も十二分に伺ってきました。そういうことが、ただ百から三十になっただけだと短絡的に述べられたのでは、あの査察団が本当に苦労の中、現実に何とか平和裏に解決しようと思っていたその心が伝わってこないと思います。
それから、現実に、国連のUNMOVIC等において、あるいはUNSCOMにおいてもそうですけれども、実際に数々の懸念が具体的に数量的にも提示をされている状況であります。
かつてUNSCOMのときのアメリカの査察官だったスコット・リッター氏は、自分たちが湾岸戦争後入っていって約八年間調査をしたときに、大量破壊兵器の大方、九〇%から九五%は見つけ出し破壊した、残っているとしてもあと五%であろうということを証言されておりました。 小泉総理、ではあなたは、米英などが行ったイラク戦争を理解し断固支持するとおっしゃった。
といいますのは、これは外務省のホームページで、まあ外務省のホームページだからといって別に外務省の見解が述べられているというわけではなくて、UNSCOMあるいはIAEA、ここの、いわゆる国連安保理決議一四四一による査察再開以前のそうしたものの査察の結果を見ると、化学兵器、生物兵器、弾道ミサイル兵器そして核兵器、この四つが大量破壊兵器なわけですけれども、いずれも廃棄の成果が強調されているわけですね。
いずれにしても、その大量破壊兵器の問題について、国際社会は、これがUNMOVICの前身であるUNSCOM時代から査察をやり、イラクが八〇年代に実際に使ったということを、これは実際に使ったわけです、その時点ではあったわけですから、その後それをどうしたかということについて何度も何度もイラクにそれを証明する機会を与え、にもかかわらずイラクはそれをしなかったわけですけれども、それについて本当にイラクはそれを
もう時間ですので一つだけ言いますが、UNSCOMの兵器査察組織の活動の後半で、ディック・スパーツェルさんの例が紹介されていまして、この方は、元アメリカ陸軍の生物戦担当将校で、米軍の攻撃用生物兵器製造にも一役買った人なんです。ですから、よく知っている人なんですが、この方は、国連で兵器サンプリングを行わないと言っているんですね。
○安藤政府参考人 イラクの大量破壊兵器の問題につきましては、これまでもUNSCOM、UNMOVIC等の報告書等がいろいろございまして、そういうことに基づきまして多くの疑惑が残されているわけでございまして、イラクはこの疑惑を晴らす責任がございます。そして、その最後の機会を与えられたにもかかわらず、これを果たさなかったということでございます。
これに抗議して、UNSCOM、UNMOVICの前身でございますが、UNSCOMの全査察官が引き揚げるということが起こりまして、このときにアメリカとイギリスが軍事的圧力をかけたわけでございます。この軍事的な圧力の結果、イラクが査察再開に同意したという経緯が一つございます。
さはさりながら、国連、国際社会のルールというものの中で、国連による査察が行われておりまして、そして、その真摯な努力が、UNSCOMからUNMOVICに変わりましたけれども、行われてきたわけでありまして、イラクも、もちろん国連の努力とともに、総理が時々おっしゃっているように、アメリカのおどしというものも効果があったのは間違いないことだと私は思っております。
それで、九八年のUNSCOMの査察の時点で幾つかの疑問が出されていた。それに対してイラクは答える義務があるわけですね。これについて十二月の七日の段階の報告で出してこなかったということですね。それから、その出してきたのは前々からの資料である。これをイラクが平和的に問題を解決しようと思ったら非常に簡単にできる話、それを出してこなかった。 我々は疑わしきは罰せずではないんですね、これは。
○茂木副大臣 御指摘のVXガスでありますけれども、今のUNMOVICの前身のUNSCOMによりまして、御指摘のとおり、二・四トン保有していた、この疑惑が晴れていないというのは事実であります。