1978-03-01 第84回国会 衆議院 ロッキード問題に関する調査特別委員会 第3号
最後に伺っておきますが、PXL白紙還元、P3C導入、これは冒頭陳述での児玉との関係になるわけですが、防衛庁に対します調査、これはその後どうなりましたか。あるいは今後の見通し及び同じく児玉の状況、これは病状を含めましてお答えいただきたいと思います。
最後に伺っておきますが、PXL白紙還元、P3C導入、これは冒頭陳述での児玉との関係になるわけですが、防衛庁に対します調査、これはその後どうなりましたか。あるいは今後の見通し及び同じく児玉の状況、これは病状を含めましてお答えいただきたいと思います。
加えてPXL白紙還元のイニシアをとったのも田中であるということはきわめて明白になってきているわけであります。そのイニシアをとった背景が何であったのか、どういう経過と状況のもとにそれが仕切られたのかというようなことではさまざまな疑惑を呼んでいるわけであります。
ところが日本においては、この時期、四十七年の十月五日、六日、九日、この前後、コーチャン回想録の中で詳細に述べているこの時期が、一番P3C問題についての、PXL白紙還元という非常な焦点の時期に相当しておるわけですね。
それからもう一つ、昭和四十七年十月九日は、田中国防会議議長から例のPXL白紙還元の提議があって、議員の方々がそれに異議なし、あっさり決まったというわけです。
これはきわめて突然に唐突に出されたのでPXL白紙還元のための布石であったという見方もされております。ところが、同時にこのT2を一遍輸入論を出しておいてまた国産に切りかえた、こういうことでT2の生産をしておる三菱重工に揺さぶりをかけて政治献金を取った。これは自民党の政治団体である国民協会の収入を調べてみれば明らかなのでありますけれども、三菱重工はそれまで四十年代はほとんど全然ゼロであります。
この発言は、PXL白紙還元直後に、田中前総理が外人記者クラブで輸入にウェートを置いて検討するという発言にも匹敵する重大な発言であり、とりわけ中曽根氏の従来の持論から考えるならば、見逃してはならない意味のある発言だと、私たちは第二の疑惑としてこの問題を提起するゆえんであります。
○国務大臣(稻葉修君) 中曽根氏に対する十月九日の会議のPXL白紙還元とかいう点についての黙秘、暗黙、黙っていたということはどういうのかと、疑惑があるじゃないかというんですが、私からそれ、お答えすべき……
しかし、この人物が、十月九日のPXL白紙還元について田中角榮、後藤田正晴氏、相沢英之氏、この三人が集まって非常に重要な会議をされ、そのメモに基づいて会議が方向づけられたというような事実とオーバーラップさせて考えてみるときに、そして小佐野賢治氏が、あのコーチャン氏等のチャーチ委員会での証言によって、戦略戦術について非常に重要な意見を言うてくれた、政府の各レベルについて、いろいろ誤解があったときに、これを
大別すれば、一つは、事件の起こった当時の田中前総理を補佐すべき立場にあった副総理としての責任、それからPXL白紙還元の国防会議の有力議員としての立場、三番目に、これは私は非常に遺憾に思うのは、やはり田中金脈問題の解明、これについて三木総理は重大な責任を持ちながら総理・総裁の座につかれたわけですね。私ども衆参両院にわたってこの田中金脈問題の解明に全力を尽くしたのは御案内のとおりです。
そうしてそこにPXL白紙還元、輸入も国産も考えろというものが出てきた。これに対して当時の事務局——そうじゃない、そんなことは首ひねることはないですから、それは事実関係ですから。何も私が言っているのではない。事実関係。海原さんがこれはおやと思った。全く議論も何もされてないPXLが何で出てきたのかとおやつと思った、驚いた。こういうことなんです。
そして、アメリカの証言においても、児玉さんの活躍は全日空のトライスター採用に、PXL白紙還元に、あるいはその他非常に価値があった、こう言っていますね。二十一億円ぐらいやったかいがあったというわけです。丸紅の方はさっぱりやらなかった。児玉一人の活躍で丸紅はもうかったということに、これからいうとなるわけであります。実際は、私は丸紅と児玉氏とがタイアップしてやったのじゃないか、こう思うのですよ。
○楢崎委員 私は冒頭に、昨日の防衛庁記者クラブにおける坂田防衛庁長官、久保事務次官のPXL白紙還元に関する記者会見の内容は非常に重要なものを含んでおり、私がいまから質問する問題に直接かかわる関係がありますから、久保事務次官を、事務次官ですから恐らく説明員としてで結構ですから、直ちにお呼びいただきたいと思います。どうでしょうか。