1995-12-06 第134回国会 参議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第2号
○加藤修一君 やや具体的な話になって申しわけないんですけれども、先ほど来話を申し上げましたPCB事件の件でございますけれども、我が国の国内環境基準によりますと〇・〇〇三ppm、それ以下でなければいけない、水の場合ですけれども、土壌の場合は検出されてはいけない。 ところが、PCBの事件に関してのアメリカ軍の報告というのは二五ppm以下という基準の中でその処理がなされた。
○加藤修一君 やや具体的な話になって申しわけないんですけれども、先ほど来話を申し上げましたPCB事件の件でございますけれども、我が国の国内環境基準によりますと〇・〇〇三ppm、それ以下でなければいけない、水の場合ですけれども、土壌の場合は検出されてはいけない。 ところが、PCBの事件に関してのアメリカ軍の報告というのは二五ppm以下という基準の中でその処理がなされた。
過去におきましては、沖縄の米軍基地におきましてPCB事件、こういったものもありました。あるいは汚染処理が問題になったわけでありますけれども、さらに別の視点から申し上げますと、さきの大戦におきます四カ月にわたった地上戦、それによります不発弾の回収作業、これも今もって継続中であると。
こういうものをどのように評価するかということのお尋ねでございますけれども、私どもとしては、そういうことでPCB事件、不幸な事件でございましたけれども、そういうものを契機として、とにかくその後新しくこの世に出される新規化学物質については、すべてについて安全性のチェックをした上でなければこの世に出ていないという意味においては、環境汚染の防止に非常に大きな効果があったというふうに考えております。
昭和四十七年夏は第一次赤潮大被害、四十八年初夏は、有名な九州水俣と、昨日新聞に出ておりました徳山湾の水銀、PCB事件による魚価の大暴落、そして続いて問題の昭和四十九年十二月に発生した、コンビナートの優等生とまで言われました三菱石油重油流出事件。ひしゃくとむしろで、その重油清浄が何十日か続いて、くたくたになって疲れ果てたところへ、本年三月から襲来してきた第二次赤潮の猛威。