1993-05-31 第126回国会 参議院 国民生活に関する調査会 第6号
きょうから日本・EC議員会議が開かれます。日本が諸外国と共通の問題を解決するために、重要な役割を果たすためにはどうすればよいのか。人間的な豊かさを追求して人生の選択を多様にするために、人類の共通の問題である高齢化対策はその試金石である、そういう時期に来ているということを私は再度強調しておきたいと思います。
きょうから日本・EC議員会議が開かれます。日本が諸外国と共通の問題を解決するために、重要な役割を果たすためにはどうすればよいのか。人間的な豊かさを追求して人生の選択を多様にするために、人類の共通の問題である高齢化対策はその試金石である、そういう時期に来ているということを私は再度強調しておきたいと思います。
現在アメリカの大使をしておられる、前のECの日本の大使をしておられましたファンアフトさん、私はEC議員会議の仕事もしておりますし、党の日欧委員会の委員長もしておりますので、ちょいちょい夕食を御一緒いたしました。
○堀委員 本日は、宮澤総理大臣の御出席をいただき、羽田大蔵大臣とともに、当面するこの証券の問題がございますけれども、それに先立ちまして、去る五月十二日、十三日の両日、日本・EC議員会議の第十三回会議がストラスブールで行われました。
羽田大臣もそうでございますが、私、倉成さんが会長をやっておられますEC議員会議というもののメンバーで、実は昨年、日本でEC議員会議を行いました。そのときに私は、少なくともG7の皆さんに現在の貯蓄を一%ずつふやしてもらうならば、年間八百億ドルの金がG7の国に出てくる。
個人的な話でありますけれども、私は、羽田さんとはEC議員会議のメンバーとして、あるいは日仏議連のメンバーとして、日本の中ではそんなに御一緒することはないのでありますけれども、フランスや欧州ではいつも御一緒をいたしておりまして、大変視野の広い洞察力のある立派な政治家として常々敬意を表しておるところでございます。
その意味で、まず最初が一九七八年でございましたけれども、日・EC議員会議というものを発足させまして第一回の会議を開いたわけでございますが、一九九〇年、昨年の六月にストラスブルクで第十一回目を数えるまでに至っているわけでございます。こちらから出かけますときには常時十名以上の先生方がお出かけいただいておる。
○遠藤(乙)委員 私はつい最近フランスのストラスブールで行われました日・EC議員会議に一員として出席をしてまいりました。倉成団長のもと自民、社会、公明三党の十一名の国会議員が行ってまいりました。ちょうど欧州が激動のさなかでございまして、大変収穫の多かった出張であったわけでございます。
○堀委員 そこで、これの所管をしておられるのは、羽田農林大臣が御承知のように国有林野特別会計の主務大臣でございますので、羽田さんとは長い間御一緒に、日本・EC議員会議というので倉成団長のもとで御一緒にやっておりまして、もうフランスに関することは十分羽田農林大臣も御存じでございますし、さらに、大蔵大臣には、鈴木元総理がそれだけ御熱心にやっていただいておりますから、ここは一番中心の役所でございますので、
私は、欧州のEC議員会議というところへ昨年の十一月に行きまして、西ドイツの人やイギリスの人やいろいろなECの関係者と話をしていて、私は、この際、日本は大変円高になっているので○・二五%ぐらい公定歩合を下げてもいいんじゃないか、しかし、もしおかしかったら――下げていればすぐ上げられるのですが、じっと長く抑えていますと、ちょっと上げたいなと思ってきてもなかなか上げにくいという問題もあるのじゃないかという
○薮仲委員 私は最初に、先般第九回目のブラッセルで行われました日本とEC議員会議に出席させていただきましたので、このECとの関係から大臣の御意見を伺わさせていただきたいと思います。 会議ではECと日本側との率直な意見の交換がなされまして、大変有意義な会議でございました。
私、今社会党のEC議員会議というののメンバーとして、この十五日から十五、十六、十七日、三日間、二十二人ぐらい来られるEC議員団の皆さんと——恐らく厳しい要求が出てくるのではないかと思うのであります。
同年九月には、ブリュッセルの第七回日本・EC議員会議に出席され、 日欧貿易インバランス問題についての沖君の提言は、貿易実務面を知り抜いた人の呼びかけだけに、欧州側議員団の深い共感を誘ったのであります。 この春は、病床にあってなお「円高問題が最大の焦点となってきた。いよいよ私の出番だ。」と意気軒高たるものがありました。
現在、国会において予算をとって定期的に議員の国際交流を行っているのは、春秋二回の列国議会同盟会議のほか年一回の欧州評議会議員会議、日本・EC議員会議などがありまして、参議院からも毎回それぞれに二人ないし三人の人が参加しております。 これを次のような条件をつけて、このほか少なくとも北米、中南米、東南アジア、中近東諸国、オセアニア、東欧諸国などの地域にも議員派遣を拡大することであります。
私は、去る九月二十四日より二十六日、ブラッセルにおいて開催されました第七回日本・EC議員会議に本院より代表の一員として出席をいたしました。EC議員の代表と率直に意見の交換を行いまして、我が国とECとの貿易摩擦問題についても我が国の立場から主張も行い討議をしてまいりました。
また、議員外交にも身をもって当たられ、列国議会同盟会議、日本EC議員会議等に積極的に参加されました。 党人としての君は、初代の日本社会党中央機関紙局長を務められたほか、数度にわたり中央執行委員、栃木県連会長として活躍され、また、昭和二十八年、アジア社会党第一回大会のためビルマを、三十五年に中国を、三十九年にソ連をそれぞれ訪れ、要人と会談されたのであります。
そこで、これはまたそのことに関連してのお尋ねになるわけですが、本年の五月十七、十八日の両日、日本・EC議員会議が行われ、その会議で文化交流の問題が取り扱われた席上で東大教授の木村尚三郎氏が意見陳述をされた。