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16件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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1993-05-31 第126回国会 参議院 国民生活に関する調査会 第6号

きょうから日本EC議員会議が開かれます。日本が諸外国と共通の問題を解決するために、重要な役割を果たすためにはどうすればよいのか。人間的な豊かさを追求して人生の選択を多様にするために、人類の共通の問題である高齢化対策はその試金石である、そういう時期に来ているということを私は再度強調しておきたいと思います。  

日下部禧代子

1992-02-19 第123回国会 衆議院 大蔵委員会 第2号

個人的な話でありますけれども、私は、羽田さんとはEC議員会議メンバーとして、あるいは日仏議連メンバーとして、日本の中ではそんなに御一緒することはないのでありますけれども、フランス欧州ではいつも御一緒をいたしておりまして、大変視野の広い洞察力のある立派な政治家として常々敬意を表しておるところでございます。  

堀昌雄

1991-03-12 第120回国会 衆議院 内閣委員会 第6号

その意味で、まず最初が一九七八年でございましたけれども、日・EC議員会議というものを発足させまして第一回の会議を開いたわけでございますが、一九九〇年、昨年の六月にストラスブルクで第十一回目を数えるまでに至っているわけでございます。こちらから出かけますときには常時十名以上の先生方がお出かけいただいておる。

兵藤長雄

1990-06-22 第118回国会 衆議院 外務委員会 第12号

○遠藤(乙)委員 私はつい最近フランスストラスブールで行われました日・EC議員会議一員として出席をしてまいりました。倉成団長のもと自民、社会、公明三党の十一名の国会議員が行ってまいりました。ちょうど欧州が激動のさなかでございまして、大変収穫の多かった出張であったわけでございます。

遠藤乙彦

1989-02-18 第114回国会 衆議院 予算委員会 第4号

堀委員 そこで、これの所管をしておられるのは、羽田農林大臣が御承知のように国有林野特別会計主務大臣でございますので、羽田さんとは長い間御一緒に、日本EC議員会議というので倉成団長のもとで御一緒にやっておりまして、もうフランスに関することは十分羽田農林大臣も御存じでございますし、さらに、大蔵大臣には、鈴木元総理がそれだけ御熱心にやっていただいておりますから、ここは一番中心の役所でございますので、

堀昌雄

1988-01-29 第112回国会 衆議院 大蔵委員会 第1号

私は、欧州EC議員会議というところへ昨年の十一月に行きまして、西ドイツの人やイギリスの人やいろいろなEC関係者と話をしていて、私は、この際、日本大変円高になっているので○・二五%ぐらい公定歩合を下げてもいいんじゃないか、しかし、もしおかしかったら――下げていればすぐ上げられるのですが、じっと長く抑えていますと、ちょっと上げたいなと思ってきてもなかなか上げにくいという問題もあるのじゃないかという

堀昌雄

1986-09-11 第107回国会 参議院 本会議 第1号

同年九月には、ブリュッセルの第七回日本EC議員会議出席され、 日欧貿易インバランス問題についての沖君の提言は、貿易実務面を知り抜いた人の呼びかけだけに、欧州側議員団の深い共感を誘ったのであります。  この春は、病床にあってなお「円高問題が最大の焦点となってきた。いよいよ私の出番だ。」と意気軒高たるものがありました。

下条進一郎

1986-02-14 第104回国会 参議院 外交・総合安全保障に関する調査特別委員会外交問題小委員会 第1号

現在、国会において予算をとって定期的に議員国際交流を行っているのは、春秋二回の列国議会同盟会議のほか年一回の欧州評議会議員会議日本EC議員会議などがありまして、参議院からも毎回それぞれに二人ないし三人の人が参加しております。  これを次のような条件をつけて、このほか少なくとも北米、中南米、東南アジア、中近東諸国、オセアニア、東欧諸国などの地域にも議員派遣を拡大することであります。

関嘉彦

1985-11-08 第103回国会 参議院 国民生活・経済に関する調査特別委員会 第2号

私は、去る九月二十四日より二十六日、ブラッセルにおいて開催されました第七回日本EC議員会議に本院より代表一員として出席をいたしました。EC議員代表と率直に意見交換を行いまして、我が国ECとの貿易摩擦問題についても我が国の立場から主張も行い討議をしてまいりました。

高杉廸忠

1983-01-24 第98回国会 参議院 本会議 第2号

また、議員外交にも身をもって当たられ、列国議会同盟会議日本EC議員会議等に積極的に参加されました。  党人としての君は、初代の日本社会党中央機関紙局長を務められたほか、数度にわたり中央執行委員栃木県連会長として活躍され、また、昭和二十八年、アジア社会党第一回大会のためビルマを、三十五年に中国を、三十九年にソ連をそれぞれ訪れ、要人と会談されたのであります。  

鳩山威一郎

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