1990-06-12 第118回国会 参議院 運輸委員会 第3号
今羽田につきましては沖合展開ということの工事をやって、羽田の拡充を図っているところでございますけれども、これは第一期、第二期、第三期とございまして、第一期は六十三年七月に、新Aランと私ども言っておりますが、新しいA滑走路ができまして、それまでは年間十六万回の発着回数であったものが十八万回にふえております。
今羽田につきましては沖合展開ということの工事をやって、羽田の拡充を図っているところでございますけれども、これは第一期、第二期、第三期とございまして、第一期は六十三年七月に、新Aランと私ども言っておりますが、新しいA滑走路ができまして、それまでは年間十六万回の発着回数であったものが十八万回にふえております。
それで、現在の状況は、全体を工期を三期に分けまして順次整備を進めるというところでございまして、第一期の計画につきましては、既に六十三年の七月に新しい滑走路、新Aランと言っておりますけれども、そのAランを供用開始をして、そこで第一期計画は完成いたしております。
そのうちの第一期というのは昭和六十三年の七月に完成いたしまして、私ども新Aランと言っておりますが、A滑走路、それが供用を開始いたしました。それで、それまでの年間発着回数というのが十六万回だったわけですが、この第一期の完成によりまして十八万回、二万回ふえたというところに今現在なっておるところでございます。
第一番目は、昨年完成いたしまして、これは滑走路でいいますと私どもAランと言っておりますが、A、B、CのAの滑走路が昨年できましたので、それまでの羽田の処理能力が年間十六万回だったのが十八万回になりました。それで、昨年の夏と、それからことしの夏と両方でそれぞれ十便ずつ、合わせて一日二十便の増強を図ったところでございます。
○説明員(木村操君) 御承知のようにBラン、Cランを建設しているわけでございますけれども、BランはAランの並行滑走路でございますが、この滑走路の中心線上に農家が四戸ほど残っております。家自体があるという場合は少し外れておりますけれども、所有しておられる農地が滑走路の中心線にかかっている。
第一期と称しますのは、一番陸側にAランという三千メートルの滑走路をつくることでございます。これは六十三年の七月に供用開始をする予定でおりまして、ほぼ予定どおりの開港ができると思っております。第二期は、先ほど申しました、湾岸道路から西側の方にエプロンとターミナルをつくるわけでございますが、これは予定では六十五年の七月ということでございますが、湾岸道路の開通時期に合わせるということでございます。
ただし、これは現に使われておりますAランについての施策が主でございますので、午前中にも申し上げましたように、私どもはそういう従前の施策に加えてなるたけ早く、できればというか今年度内にB、Cランについての騒音の区域を指定いたしまして、B、Cランの供用開始までには民家防音等の対策を完成したいと考えている次第でございます。 それからなお、地元との約束の諸種の工事でございます。
これをベースにいたしまして、現在は主として千葉県が現地にずっと入りまして、細かな点で農業団体等との話し合いを詰めておるわけでございますが、その内容は、ついせんだって成立し、その期間が延長になりましたかさ上げ法を一つのてこにいたしまして、成田用水というものの流域の拡大をしていこう、特にAランとBランの延長線上にはさまれました菱田部落という地域が両方の騒音の谷間になるというふうなこともございまして、ここにおける
騒防法に基づきます、仮に防音工事をやる区域はどの区域であるかという区域の告示まではいたしておりませんけれども、大体、もしBランが使われるようになった場合には、やはりこの付近は移転対象になるであろう、この付近は防音工事をやるだろうという、住民の皆さんが今後の生活に対しまして一応の腹づもりを固めるという予測コンターを実は出しておりますが、現在のAランのように、はっきりした数字はまだ示しておりません。
そして、いまのA滑走路、プラスBはもう完全にやめてCランだと、C滑走路三千二百だと、いま現実に千メーター近くできているからあとプラス二千二百だというふうなことが仮に実現したとしても、いま大臣も言われたように、シカゴ並みとは言わないまでも、ニューヨーク並みとは言わないまでも、一定の予測される需要予測を当てはめてみると、AランとCランだけだと昭和五十八年には早くも頭打ちになる。限界になる。
ところが、三里塚の方はAランでなくて、むしろCラン関係でありますが、われわれの作成した騒音コンターの中に入っておりません。ただ、第一次、第二次騒音テストの際に高い音が出たということがございましたので、私どもとしても、その後の慣熟飛行についてずっと市と公団と両方で騒音の測定を続けております。
それから学校、幼稚園、保育所、病院、共同利用施設というようなものにつきましては、学校につきましてはAランウエーで二十五施設、Bランウエーで九施設、それから幼稚園ではそれぞれ一施設、それから保育所がAランが八、Bランが三というような数字で防音施設をいたしております。
○町田参考人 Bランのコンターは、公団でつくりましたものですから、私の方からお答え申し上げますけれども、Bランのコンターは、いまのAランのあれと同じように八五以上のコンターをつくったわけでございます。
○角坂参考人 現在までに移転いたしましたものは、Aラン、Bラン合わせまして三百四十四戸でございます。買収いたしました面積は二百七十一ヘクタールでございまして、この金額は、これは全部合計でございますが、七十九億円でございます。移転補償並びに用地買収の合計で七十九億になっております。一戸一戸につきましての資料は、実は持ち合わせておりませんので、全体の数字を申し上げました。
それから四十六年十二月に、これはBランを発表してからわずか一年後でありますけれども、第二次空港整備五カ年計画にのせるということで、現在進められておりますAランの二千五百メートル延長案が出てまいりました。それから五十年の十二月には、ちょうど当時の木村運輸大臣が宮崎県に来られたときに、同じく第三次空港整備計画の中で二千メートルの段階延長論が出てまいりました。
現拡張計画のAランを海側に七百メートル延長するというこの案につきましては、もうこの計画が日の目を見ましてからすでに六年でありますし、現空港の拡張問題が云々され始めましてからすでに十年を経過しておるわけであります。
そこで、Bランの向こう側とか、あるいはつぶしてしまいましたAランの上とか、こういうふうなところにバスで乗降させるところを入れまして八十幾つかあったと記憶しております。残りの四十程度は夜飛行機がとまっているだけ、こういうふうな使い方をしておるはずでございます。
Aランの方から出てきた連中に多いようでございますけれども、これはわりあいに早く回ってしまう。したがって二百度のビームに乗ります場合に西側から乗らないで東側から乗ってしまう、こういう乗り方をしている飛行機があるようでございます。
この時点におきまして、すでに羽田の空港におきましては可能な限りの、たとえばAランの一部をつぶすというふうなことをいたしましてスポットの増大に対処いたしてまいったわけでございますが、しかしながら貨物の置き場というものも一定の、これは税関の方の関係でございますが、特別の地区に限られております。こういうふうなことをいたしましても、なおかつ貨物が非常にふえてまいりまして置き場がなくなってきた。
皆さんの方から配られたいろいろなパンフレットを見ると、スポットがなくて滑走路まで、おっしゃるようにAランまで使っている。
○参考人(大塚茂君) 正式な地域指定をします告示は、これは政府の方でおやりになるのでございますが、Aランにつきましてもその前に、空港公団で予想コンターというのを住民の方々の今後の生活設計の参考という意味で発表いたしておりますので、その予想コンターを現在作業中でございまして、これはそう遠くないうちに発表できると思っております。
特に飛行機の場合、これからはいわゆる大阪空港のAランよりも、エアバスはどうしたってBランを使うわけですけれども、勝部地区はそのサイドになる。そしてその勝部地区が一番排ガスを出す真近にあるという状態が、Aランを使うよりBランを使うことによっていよいよ強くなってくる。
○隅説明員 現在の羽田の東京国際空港の滑走路はAランが三千メートル、Bランが、横風用が二千五百メートル、現在使っておりますCランが三千百五十メートルでございます。大体この現状をもとにして滑走路の案を一案として絵をかいてみたということでございます。