1964-06-10 第46回国会 参議院 運輸委員会航空、海難、路面事故防止対策に関する小委員会 第2号
また、有名な浅間丸とか龍田丸とか申しましても、せいぜい総トン数一万七千トン程度だったわけです。ところが、戦後になりまして、総トン数一万トン以下の普通の貨物船が建造されないばかりでなく、タンカーとか鉱石専用船は、ついこの間まで二万トン、三万トンといっておりまして、川崎における築港許画は十二メーターの水深で二百二十五メーターの船長、約五万トンの船を標準にして完成したのでございます。
また、有名な浅間丸とか龍田丸とか申しましても、せいぜい総トン数一万七千トン程度だったわけです。ところが、戦後になりまして、総トン数一万トン以下の普通の貨物船が建造されないばかりでなく、タンカーとか鉱石専用船は、ついこの間まで二万トン、三万トンといっておりまして、川崎における築港許画は十二メーターの水深で二百二十五メーターの船長、約五万トンの船を標準にして完成したのでございます。
○新谷寅三郎君 もっと端的にいいますと、昔は、たとえば太平洋航路の浅間丸とか、龍田丸とか、大きな客船は、これは官設無線だったのです。一般の貨物船は、これは私設無線だったのです。 それが今あなたの言っている託送発受所ですか——これはなぜそういうことを聞くかというと、そういうふうにいつの間にか制度が変わったのです。
○政府委員(内田藤雄君) 龍田丸というのは日本の船でございまして、それを南方漁業が向うの合弁会社に出資している船でございます。
○吉田法晴君 龍田丸というのはどこの船ですか。
日本でプレシデント・ラインならプレシデント・ライツで大部分のアメリカのお客さんとか外国人が、プレシデント・ラインで行くならば別ですが、プレシデント・ラインがおつて、移民船などが日本でできて、そうして日本の船に昔のように浅間丸や、氷川丸は小さいが、龍田丸とか、或る程度の昔の貨客船がペイするような時代を希望しますよ、そういうことの到来することは。