1954-11-29 第19回国会 衆議院 厚生委員会 第76号
当時の黒川厚生大臣、葛西次官が非常に面食らわれて速記録の取消しを私に承認を求められ、半面そのサムス准将に通知せられて、そうしてサムス准将の方から、ここに御臨席の青柳一郎氏、あとどなたでしたか両三名を招かれて、そうして部下の行過ぎは監督の任にあるサムスの手落ちであつたことをおわびし、日本の国会の毅然たる態度に敬意を表する、こう言つて、わが国会の要求を、青柳一郎氏が小委員長として成案を練られた原案を、ほとんど
当時の黒川厚生大臣、葛西次官が非常に面食らわれて速記録の取消しを私に承認を求められ、半面そのサムス准将に通知せられて、そうしてサムス准将の方から、ここに御臨席の青柳一郎氏、あとどなたでしたか両三名を招かれて、そうして部下の行過ぎは監督の任にあるサムスの手落ちであつたことをおわびし、日本の国会の毅然たる態度に敬意を表する、こう言つて、わが国会の要求を、青柳一郎氏が小委員長として成案を練られた原案を、ほとんど
○中山壽彦君 厚生大臣に私ちよつとお尋ねをしておきたいと思いますが、二十六年の第十国会に医薬分業の法案が提案をされましたときに、当時の黒川厚生大臣の根案理由の説明のうちにこういうことがあるのです、これが実施につきましては、諸般の準備もありますので、薬事法第二十二条の改正規定は昭和三十三年から、その他の改正規定につきましては同二十八年から実施することといたした次第であります。」
それは最初臨時診療報酬調査会が二十五年の八月にできたときに、当時の黒川厚生大臣から諮問が出た。それは医薬分業実施の可否を論議するためにこの医療費についての検討を加えたい、こういうような諮問が出た。
黒川厚生大臣が諮問をしたときの精神が忘れられてここに現われておる。それはなぜ忘れられたか。現実の保険経済が生々躍動して実に飛躍的発展をとげておるために保険経済を何とかごまかさなければならない。何とか医療費体系を実施するために、保険経済への影響が多くなる情勢があるために、それをカバーするのにこういう苦肉の策を講じておるとしか考えられない。
そこでこれは大臣のかわりに、昭和二十五年八月七日に黒川厚生大臣が臨時診医療報酬調査会に諮問いたしました諮問をどなたかお読みになつていただきたいと思います。
厚生大臣は御新任でありますから申し上げませんけれども、黒川厚生大臣から何代かわりましたか、吉田内閣は半箇年ごとに大臣がかわりますから御責任が生れて来ないのは当然でありますが、私はこのまま赤字の地方財政に、収支の見込みも立たたないものを押しつけてしまうというような虫のいいことは、いかに厚生省が三年間横車を押してみても無理だということをお気づきになつただけは、まだよかつたと思うのであります。
私はこの問題について黒川厚生大臣のときに、一時も早くあれをなくせねばと質問いたしましたところが、善処すると申しましたが、今日世界を廻つてみまして、戦傷者があの姿で街頭に立つて物乞いをしておるのは日本のみであります。
而して今や講和條約の調印も済んで批准も済んだというような状況であるのでありますが、この点について私は第十国会で黒川厚生大臣に質問したのに対して、厚生大臣はこんなことを答弁しておられるのであります。せいぜい早く日本に返してもらつて向うの経費を以て十分の設備をしてもらいたいと、こういうふうな答弁をしておられるのであります。
○国務大臣(橋本龍伍君) 前任の黒川厚生大臣の頃から国立公園の指定に関する要望がだんだんに殖えて参りまして、今日今までに指定いたしましたところの国立公園十七カ所のほかに四十数カ所の国立公園指定の要望が出ておるのでございます。
第十国会で、私は国立公園のことについて黒川厚生大臣に質問したところが、黒川厚生大臣は、昨秋以來十分に検討中であつて、この四月中頃には国立公園の審議会を開きたいと思うから十分に検討したいと考える。
ひとり厚生省の問題でなくいろいろ総体の関連がございますので、内閣に置いてあり、その答申案も、当時林さんが副総理であられましたので、社会保障関係の閣僚懇談会を開いて、当時の林副総理が座長になつてやる建前は、あのときも黒川厚生大臣はおられましたが、ひとり厚生省の問題として処理するのではないということを、はつきりいたしたわけであります。先般社会保障制度審議会の第二次の勧告をちようだいいたしました。
幣原内閣がいろいろ打開策に苦慮した結果、遂に遺族については扶助料を、まつたく給することができず、傷痍軍人に対してわずかに国内の同種の制度の最低水準ということで、厚生年金並の手当が存続して参つたということは、これはまつたく残念なことでありまして、昨年以来講和條約の問題が進むに至りまして、ようやく実現の方向に向つて参りまして、政府も本年初頭からこの対策はぜひ実現をしなければならないということで、前任の黒川厚生大臣
ことに昨年の秋以来、講和條約の問題が進み出しまして、今年の初めごろから、この遺族、傷痍軍人の援護は、ぜひしなければならぬという決意を内部的に固めまして、前任の黒川厚生大臣が閣議で三月ごろに一応案を具して相談されたこともあるやに聞いておるのであります。私はそのあとを受けまして、黒川前厚生大臣のつくられた骨子を実現すべく骨を折つて参りました。
なお昨日閣議で決定をいたしまして、私が主体になつて関係者を寄せ、又要すれば民間のかたにもお出ましを願つて、今日ここに要求として出ておりまするような諸般の項目について、どの程度までどういうことをやるかという具体策を、大体これは黒川厚生大臣の時代に政府としても外には出さないけれども、やる決意をして一案を三月に閣議に諮つておつたのであります。
それから二番目の世界保健機関加盟に伴う経費八百九十二万三千円、金額としては僅かでございますが、これはWHOに日本が加盟いたしますと、これは先般前の黒川厚生大臣が参りまして、正式に加盟いたしたのでございますが、それに伴いまして、加盟国といたしまして、向うのいろいろな書籍、図書をやはり購入しなければならない義理合いになります。
黒川厚生大臣に、私この問題につきまして伺いましたところが、これは許さない方針であるということを、強く私に、言われましたので、私のところに来られた方には、そのことをお答えいたしておきました。それから、今の厚生大臣は署名されておるようでありますけれども、今は許さぬということを言つておられます。
○藤森眞治君 この問題につきましては、すでに前黒川厚生大臣のときにも、私はこれについて御質問を申上げておるのでありますが、いつも只今のような努力するというようなお話を承わる以上のことは聞いておりません。ところが前にも申上げましたように、実際保険診療というものは、今行き詰りも、本当の行き詰つたところに入つておるわけなのであります。
なお委員長からのお話がありましたし、又内村委員からもお尋ねがございましたが、私傷痍軍人や遺族の援護については、吉田総理大臣も又前任者の黒川厚生大臣からも言明いたしました通り、これは我々が極めて強い熱意を以て将来成るべく早く御面倒を見たいと思つておる問題でございます。
昨年社会保障制度審議会の答申案が出ましたときにおきましても、閣内での審議は存じませんが、私も自由党の政務調査会におりまして、黒川厚生大臣を側面から助けておつたのでありますが、やはり社会保障制度審議会の答申案を、できるだけ年度々々充実して行くつもりで、二十六年度の予算も配慮いたしたつもりであります。
私どもも前黒川厚生大臣に、今後はもとの国庫補助とされるか、または特定のひもつきの形においてこれをなすような形に努力されたいということを要望したのでございますが、今度大臣またかわられましたし、児童福祉の問題としましては、まことに大切な今後の問題かと思いますので、御所見を承つておきたいと思います。
黒川厚生大臣の帰朝後におけるところの新聞発表によると、この次の国会においては必ずその法案を作つて、戰争の犠牲者に対する報償を考えると、こういうふうに発表しておりまするが、私が従来数十回に亘りまして司令部関係に折衝した状況から見ますというと、なかなかポツダム政令できめられたところのいわゆるAGの二百六十号或いは極東委員会において日本政府に要翻したところのスキヤツピンの七百七十五号というものは、日本の将来
政府原案は三月二十四日、本委員会に予備付託となり、同二十七日、黒川厚生大臣より提案理由の説明を聽取し、その後数回にわたつて委員会を開き、慎重審議したのでありますが、参議院において修正の上、六月二日、本付託となつたので、保利厚生大臣代理より、内閣提出の上参議院より送付された法律案の提案理由の説明を聽取した後、参考人、参議院議員石原幹市郎氏外四名の出頭を求め、同四日には日本医師会理事藤原哲氏外五名の出頭
そこで閣議において、承るところによりますと、黒川厚生大臣及び廣川農林大臣は非常にこれが促進に努められておる。ところが大蔵省側では予算の関係があつて非常に躊躇しておられる。幸いに総理大臣が国際的に影響があるということでしばらく見合せろというので、これがストツプになつたということを私は聞いております。