2004-03-02 第159回国会 衆議院 外務委員会北朝鮮による拉致及び核開発問題等に関する小委員会 第3号
黄海南道の海州市というところにしばらくいた後、平壌の大同江ホテルに移されました。その大同江国際ホテルで、私たちを韓国に戻すか、いや戻さないか、そういうやりとりが続いた結果、結局、私たちは韓国に永遠に戻れないということがわかったわけです。 結局、私どもは、平壌で一年間社会主義の思想教育を受けて、社会に配置されました。私どもが北朝鮮社会に配置されたのは、咸鏡北道の清津市というところの機械工場でした。