1951-06-02 第10回国会 衆議院 本会議 第46号
特に九州の麻生君の場合においては、立場はあるいは違つておるかもしれませんが、もともと電力会社の監査役であつた。その監査役が必要に応じて会長になつたからといつて、どこが悪いのだ。私は、こういうことを言つたならば、諸君、野党の人が、何か人事を決定されたとき、非常に将来お困りになるだろうと思う。これは私は明確にいたしておきたい。
特に九州の麻生君の場合においては、立場はあるいは違つておるかもしれませんが、もともと電力会社の監査役であつた。その監査役が必要に応じて会長になつたからといつて、どこが悪いのだ。私は、こういうことを言つたならば、諸君、野党の人が、何か人事を決定されたとき、非常に将来お困りになるだろうと思う。これは私は明確にいたしておきたい。
すなわち、九州の麻生、東北の白洲と、南北両端を押しえて、電気事業界をわがもの顔に君臨しておる姿は、あたかも吉田家のための再編成であつたごとき観を呈するのであります。(拍手)一体、新会社はいかなる企業努力を続けておるのか、経営首脳部は公益事業としての自覚を持つて努力する覚悟があるのか疑わしいのであります。
昭和二十六年五月二十五日(金曜日) 午後四時十一分開議 出席委員 委員長 倉石 忠雄君 理事 島田 末信君 理事 福永 健司君 理事 青野 武一君 麻生太賀吉君 天野 公義君 金原 舜二君 佐々木秀世君 佐藤 親弘君 塚原 俊郎君 船越 弘君 松野 頼三君 三浦寅之助君 前田 種男君
昭和二十六年五月二十三日(水曜日) 午前十一時八分開議 出席委員 委員長 小坂善太郎君 理事 有田 二郎君 理事 西村 久之君 理事 橋本 龍伍君 理事 川崎 秀二君 理事 林 百郎君 麻生太賀吉君 天野 公義君 江花 靜君 岡村利右衞門君 尾崎 末吉君 角田 幸吉君 甲木 保君 川端 佳夫君
ところがこれに対して先ほど大口の中にもいろいろな平均がある言われたが、大口の平均はおそらくそれほどじやないと思いますが、たとえば八幡製鉄所でありますとか、さらに三池染料、こういつたところは、北九州でも特に今度のあなた方の人事で麻生氏があそこの会長になつた。
五十万円以上の分を拾つてみましても、三菱重工が四件、またも通産大臣の横尾さんの関與される播磨造船、吉田首相の女婿の麻生氏の関與される麻生鉱業がこのブラツク・リストに載つておるという状況であります。旧軍用財産であつた鋼鉄船七百四十二隻、これみな国民の財産であります。
昭和二十六年三月二十九日(木曜日) 午前十時三十七分開議 出席委員 委員長 小坂善太郎君 理事 有田 二郎君 理事 橘 直治君 理事 西村 久之君 理事 橋本 龍伍君 理事 川島 金次君 理事 林 百郎君 麻生太賀吉君 天野 公義君 井手 光治君 江花 靜君 尾崎 末吉君 角田 幸吉君 甲木
さらに吉田総理大臣の女婿麻生太賀吉の麻生鉱業においても、まだ未払いを計上されているという、こうした政府要路の方々が関係されている会社においてさえもかかる状態であれば、吉田内閣において徹底的にこれの徴収が怠られている必然性が、われわれはなるほどとうなずかれる次第であります。こういう点からじて、この決算の遂行に非常に不熱心であるということも認めます。
(拍手) ————————————— 〔参照〕 議員川上貫一君懲罰事犯の件委員長報告を可とする議員の氏名 安部 俊吾君 青木 正君 青柳 一郎君 淺利 三朗君 麻生太賀吉君 有田 二郎君 井手 光治君 井上 知治君 伊藤 郷一君 飯塚 定輔君 生田 和平君 池田正之輔君 池田 勇人君 池見 茂隆君 石田 博英君 石原
吉田一門の白洲、麻生両君を新会社の首脳部として外資導入を図り、軍事基地提供論を唱え、分断や御用組合政策に活躍した高井君を担ぎ出し、過去において日本電気事業を挙げて侵略戦争に動員した輩が大量に復活しておるのであります。今日提出されたる決議案の内容から見まして、電力問題の基本に触れることはやめておきますが、公益事業委員会のとつた出資比率のごときは実に乱暴極まるものであります。
○委員長(西田隆男君) 私がお尋ねしておりますのは、麻生君を会長に予定したことが、委員会で決定しておるとか、決定しておらないということではありません。村上証人の御証言によつて、村上証人がお断りになつたあとで仮指令案の決定がなされておるので、今あなたがおつしやつたように、監査役から取締役にされた理由が、あなたのおつしやるような理由であれば大した理由にならない。
○政府委員(松永安左エ門君) それはやはり会長を村上さんに辞退された、どうしても必要であろうということから……、その前後、委員会では適当に九州の名望家等について考えまして、麻生君を監査役から取締役にしております。併しそのことは、直ちに麻生君を会長に予定し、本人も承知されたというようなことまでには立至つておりません。
ソノトキ小生タダチニ「時日切迫ノ今日九州ハ会長ヲ空位トシ、社長一本デトモカク陣容ヲ整エテハイカン」ト申シタルトコロ、松永氏ハ、「会長候補トシテ唯今麻生太賀吉君二交渉中ナリ」トノコトニ付キ、小生ハ其ノ早手廻シニ驚クト共二全クノ非礼ヲ不快トシ、僕ノ確答以前ニ第三者ニ交渉スルトハ乱暴デハナイカ、万一僕が受諾シタラ何トスルカト質セシニ、其時ハ其時ノ事サト、極メテ簡單明瞭、恰モ人事ヲ玩弄物セルニ喫驚シ、其儘辞去
それから麻生君云々で車に乘つてどうとかいうことがありますが、これは推測の範囲に属することで、私の関知することでありません。また他日その問題について深いお調べがあればまた申し上げます。そんなことで村上君が非常に怒つておつたかもしれませんが、私は怒らずに、あのときなつてくれれば円満に治まると言つたのです。
〔拍手〕 ————————————— 〔参照〕 議員選挙投票者の氏名 阿左美廣治君 逢灘 寛君 安部 俊吾君 青木 孝義君 青木 正君 青柳 一郎君 淺香 忠雄君 淺利 三朗君 麻生太賀吉君 天野 公義君 有田 二郎君 井手 光治君 井上信貴男君 井上 知治君 飯塚 定輔君 池田 勇人君
電力人事に対する麻生、白洲某、これは派閥でなくて、むしろ閨閥だと世間では論ぜられております。せつかくあなたが派閥の端まで苦労して公正を期そうというやさきに、こういうことが新聞に麗々しく載つて今問題になつております。たまたま今度は検察庁の人事にやはりかような空気が漂うておつたとするならば、非常な国家の損失であります。法務総裁としてよりも、国務大臣として、私は考慮を払つていただきたいと思う。
(拍手) 〔参照〕 昭和二十六年度一般会計予算外二件を委員長の報告の通り決するを可とする議員の氏名 阿左美廣治君 逢澤 寛君 安部 俊吾君 青木 正君 青柳 一郎君 淺香 忠雄君 淺利 三朗君 麻生太賀吉君 天野 公義君 井手 光治君 井上信貴男君 伊藤 郷一君 飯塚 定輔君 池田正之輔君 池田 勇人君 池見 茂隆君 石田 博英君 石原
昭和二十六年二月二十四日(土曜日) 午前十時五十三分開議 出席委員 委員長 小坂善太郎君 理事 上林山榮吉君 理事 橘 直治君 理事 西村 久之君 理事 川崎 秀二君 理事 川島 金次君 理事 林 百郎君 麻生太賀吉君 天野 公義君 井手 光治君 岡村利右衞門君 尾崎 末吉君 角田 幸吉君 川端 佳夫君
昭和二十六年二月二十三日(金曜日) 午前十時四十九分開議 出席委員 委員長 小坂善太郎君 理事 上林山榮吉君 理事 橘 直治君 理事 西村 久之君 理事 川崎 秀二君 理事 川島 金次君 理事 林 百郎君 青木 孝義君 麻生太賀吉君 天野 公義君 井手 光治君 江花 靜君 尾崎 末吉君 小野瀬忠兵衞君
昭和二十六年二月二十二日(木曜日) 午前十一時四十七分開議 出席委員 委員長 小坂善太郎君 理事 上林山榮吉君 理事 橘 直治君 理事 西村 久之君 理事 橋本 龍伍君 理事 川崎 秀二君 理事 川島 金次君 理事 林 百郎君 麻生太賀吉君 天野 公義君 井手 光治君 江花 靜君 尾崎 末吉君 角田
昭和二十六年二月二十一日(水曜日) 午後三時三十一分開議 出席委員 委員長 小坂善太郎君 理事 上林山榮吉君 理事 橘 直治君 理事 西村 久之君 理事 橋本 龍伍君 理事 川崎 秀二君 理事 川島 金次君 理事 林 百郎君 麻生太賀吉君 天野 公義君 井手 光治君 尾崎 末吉君 甲木 保君 川端 佳夫君
主査 橘 直治君 麻生太賀吉君 井手 光治君 尾崎 末吉君 永井 英修君 中村 幸八君 南 好雄君 川崎 秀二君 川島 金次君 ————————————— 会議 昭和二十六年二月二十日(火曜日) 午前十一時二分開議 出席分科員 主査 橘 直治君 麻生太賀吉君 井手 光治君
昭和二十六年二月十九日(月曜日) 午前十時五十四分開議 出席委員 委員長 小坂善太郎君 理事 上林山榮吉君 理事 橘 直治君 理事 西村 久之君 理事 橋本 龍伍君 理事 川崎 秀二君 理事 川島 金次君 理事 林 百郎君 麻生太賀吉君 天野 公義君 尾崎 末吉君 角田 幸吉君 北澤 直吉君 久野 忠治君