2020-11-26 第203回国会 参議院 農林水産委員会 第4号
だから、いつも戦後のものの、我々生まれた頃の戦後の本当に麦飯、米を国に供出して麦半々で食べていたちっちゃい頃を思い出します。
だから、いつも戦後のものの、我々生まれた頃の戦後の本当に麦飯、米を国に供出して麦半々で食べていたちっちゃい頃を思い出します。
小学校を出るときに、六年後どうなったかといえば、全校で革のランドセルじゃなかったのが私と私の弟二人、あとは全員革のランドセルに変わっておりましたので、世の中が経済的にわあっと良くなっているというのは実感しましたし、中学に入ったときに、麦の弁当、麦飯で弁当を食っているのはもう三年生で私一人しかいませんでしたので、そういった意味では実感はしますよ。そういうのが一番実感する話でしょう。
この中立性の議論をやるときに、例えばですよ、それはミンクのコートや何千万もする高級外車なんというのはこれはぜいたく品だろうと思うんだけれども、じゃ、麦飯と普通の米の飯はどうかというような議論をしたときに、かえって栄養食品の方が今高かったりするような、粗食の方が高かったりするようなこともあるんで、課税ベースを広げることによる中立性の確保ということと、もう一つは、困った人たちを助けるという、そういう政治的
○葉梨委員 たしか、小麦と大麦を足して四百万トン生産したのは昭和十七年だったと思いますけれども、戦争中ですね、これは麦飯とかすいとんの材料。 今もお話がありましたとおり、我が国の小麦というのは、梅雨どきの刈り入れになりますから、たんぱくの含有量が少ないということで、パンやパスタの原料にはなかなかなりません。そうなりますと、麦は内麦ですとパン用にならないということです。
これに対して全国知事会の福岡県の麻生知事、地方財政はうな重どころか麦飯だと、国の方が厚いビフテキを毎日食っているではないかと、こう反論をされておりました。まあ、そんなところで国と地方がけんかをしていただきたくはないんですけれども。
ですから、その差は大麦、かつての戦前あるいは戦中にかけての大麦の使われ方というのはいわゆる麦ごはん、麦飯、ですから糧食ですね。ですから、お米の代替物として使われていたものがそうなんで、民主党が言っているように小麦を四百万トン使って、それで今答弁ございましたように、これを今つくっているパンとかパスタというのに使えるということは、まずほとんどあり得ないんじゃないかというような感じがいたします。
それから、それぞれそうした痛みを思いながらも、以前、池田総理が、貧乏人は麦飯を食え、中小企業の一つや二つ倒産してもこれは仕方ないと、こんな表現が残っているわけでございますけれども、今その三匹目のウサギ、痛みという要素もよく考えてくださらないと、既に痛みは十分あるので、景気回復、経済再生と構造改革と痛みを和らげる、この三匹を私は調和的に処理していただきたいと思うのでございますが、いかがでしょうか。
日本の社会の痛みというのはまさに、例えば池田さんが、貧乏人は麦飯を食えと言って、いや、きょうは飯がない、きょうは仕事がなくなっちゃったからきょうは麦飯な、しかし、あさって大金持ちになっているからまたいいレストランに行こうなというふうに、ちょっと済みません、オーバーに申し上げていますけれども、自然に思えるような社会をつくることが重要なんですよね。
かつて、貧乏人は麦飯を食え、中小企業の倒産で自殺する者があってもやむを得ないと言った政治家がいましたが、小泉さんもその程度の宰相なのでしょうか。貸し渋りや倒産に苦しむ中小企業者が納得できる施策を小泉総理より示していただきたいと思います。 次に、労働・雇用対策について質問いたします。 今日、我が国の金融、経済は極めて深刻な状況にあります。
昭和三十年当時に、池田総理大臣が、貧乏人は麦飯を食えと国会で言って大問題になって、当時大蔵大臣だったと思いますが、辞職をさせられましたが、それはまさしく国民が国家のためにつらい思いをできますかという問いかけでありまして、今の東大生のお話がありましたけれども、自己実現をして世界のために役に立つというのはまことに結構な考え方だと思います。
生活様式も違うわけでありまして、昔みたいに、たくあんかじって、みそ汁吸って、麦飯食って、こういう生活じゃないですからね。家族そのものも非常に核家族化をしているわけですし、いろいろな意味で、今日の農村にはそういうリストラで失業した人を抱え込むような条件はない、私はこういうふうにも思っているわけです。
私自身も小学校時代は、空襲の焼け跡、あるいはまた麦飯を食べたり、そういうふうなこともよく覚えておりますし、隣近所でカキをとってみたりブドウをとってみたりとかいうことで近所のおやじからよく怒られたり、そういうこともあったわけであります。 そして、これはもうほとんどの小学校にそうだと思うのですが、二宮尊徳の銅像が置いてありました。また、親孝行も頑固にやはり教えてくれる先生もおられたわけであります。
これはどういうわけなのかな、外米の話ばかりしていてもっとも麦も輸入しているのだから同じようなものだろうけれども、麦飯についてもっとPRしたらいいと思うのです。麦は一キロ四百円だったんだけれども、今度八百グラム四百円にしたのかな。だから、値段はカリフォルニア米と大して違わない。だから、麦飯の奨励をしたらいいと思う。
今大臣からもお話のございましたように、麦飯に向くのかどうかというのは適性との関係で私もよく存じ上げないんですけれども、地域の創意工夫を生かした麦づくりというものを我々なりにいろいろとまた応援していきたい、こういうふうに考えている次第でございます。
麦は、私ども子供のころには米がなくて麦飯を食べさせられて、なかなかその思いも複雑なわけでありますが、この間農業新聞を見ておりましたら、麦でモチ性といいますか、モチ麦、裸麦になるわけですが、モチ麦の育成種で大変努力をされている農家の方がある。その方は米澤平一さんという方で、改良された麦と米で麦飯を食べると非常に健康にもいいし、おいしい。
私はこの話を聞きまして、昔私政治記者をやっていたときに、かの有名なる池田大蔵大臣時代ですね、貧乏人は麦飯を食えというようなのを言いましたね。大蔵省の首脳あるいは大蔵OBというのはそういう発想、特に税制の専門家にはどうも多いのじゃないかという感じもするのだけれども、この西垣発言については大蔵大臣はどうお考えですか。
国民はそんなに麦飯を六割も、今は四割も入れている飯を食わせて懲らしめることを期待していないと思うのですね。今は白米よりも麦飯を入れることは予算的にもむしろ高くつくはずです。そういうことをなぜやらなければいけないかというのは、一方では国民はそういうことを期待しているようにとられているようだけれども、決してそうは思わないと私は思うのですね。これはすぐには改善できないと思います。
○安恒良一君 右山さんにお聞きしたいんですが、どうも私はあなたの税制論を聞いていますと、やや、十八世紀に返ったのかなとか、もしくは貧乏人は麦飯を食えという有名な総理がおられましたが、あなたは応能負担の原則についてどうお考えか、ちょっと簡単にお聞かせください。
○寺田熊雄君 私ども刑務所へ行くと、なるほど麦飯ではあるけれども、比較的栄養価が高い食料を提供するように御努力になっていらっしゃるということはうかがえるように思うんです。大体これで何カロリーぐらいの食料が供与し得るんでしょうか。
それは、麦飯を食ったり貧しい服を着ていても社会的には影響はないけれども、悪い住宅のままに放置しておきますと、都市はスラム化いたします。都市というのは、一つ一つの住宅がよくなければいい都市はできません。したがって、そういう住宅に対しては監視をし、改善を勧告し、補助を与えるわけであります。また、貧しい住宅のもとでは人間らしい人間が育ってきません。
これは健康と食糧、あるいは文化生活の様相から非常に多様化してきておるわけでありますが、そういう中で一つは玄米、それから七分づきとか、それから半つき米とか麦飯とか、こういうものが非常に愛用されつつあるということが国民層の中にあるわけでありますが、その実態を把握しておられるでしょうか、どうでしょうか。
○大木正吾君 これは昔の、経済成長をやった池田さんが使った有名な言葉でもってありますがね、私は貧乏人だから、ところが麦は最近高くなったから「貧乏人は麦」という話は余り当たらないんですが、あの言葉は、あの当時でしたら、やっぱり金のない私たち、私の場合なんかは麦飯を食え、渡辺さんみたいな方はりっぱな白米を食べる、こういうような趣旨だったんですね。