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591件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

2006-05-12 第164回国会 衆議院 外務委員会 第14号

きょう私はここに、これは「世界大戦原因研究」という、法学博士鹿島守之助、私、神田の古本屋を大学浪人中に歩いて千円で買ってきた本。この本が、古色蒼然たる本でありますが、この本自体は昭和九年に第一版が出ている、第一次世界大戦研究です。世界大戦というのは、昭和九年はまだ第一次しかなかったんです。それが、昭和三十四年、第四版が出て、鹿島さんというのは、国会議員もやったような方で大変に外交通であります。

松原仁

2006-05-12 第164回国会 衆議院 外務委員会 第14号

当時のこのことに関して、昭和三十四年の段階でありますが、鹿島守之法学博士は、「当時、タイムズは「東京における不公正」といつたような社説を掲げ、」この裁判についてですよ、「またワシントンポスト紙は一九四九年一月十一日の社説において「アメリカの名声はいわずもがな、正義の名声まで東京裁判によつて傷つけられたことが、いよいよ明白である」と論じた。」  

松原仁

1986-05-16 第104回国会 参議院 対フィリピン経済援助に関する調査特別委員会 第3号

そうしましたら、イメルダ夫人鹿島平和賞を下さったのでお礼に鹿島守之助さんの御夫人卯女さんを招待した。ところがもうお亡くなりになっていたので息子さんの鹿島昭一さんが行ったと。これはちゃんと鹿島建設から私に対する正式の答弁ですよ。さてそれで、やっぱりイメルダ夫人につながりを持っていますね。  

上田耕一郎

1980-04-15 第91回国会 衆議院 法務委員会 第15号

なぜかと申しますと、実は大分前、五年ぐらい前になりますが、これは新聞に出ておりましたから皆さん御存じだと思いますが、鹿島守之助さんの奥さんが当時三分の一の相続分を受け取られたわけなんですが、三分の一の法定相続として六十億円の節税ができたのだということが新聞に報道されていて、一般の主婦たちが非常にため息をついたということがあるわけなんです。

金子みつ

1979-03-02 第87回国会 衆議院 文教委員会 第4号

このことはまた後に触れたいと思うのですが、これは鹿島守之助という実業界あるいは政界にも活躍をされた方が、欲しい本がない、また読まねばならない本があるべきところにない、むしろセンセーショナルなようなものが街にはんらんしておる、自分自分の意思として、自分の私財をなげうって、かなり資本を投下してもいいから、街に出ているあらゆる本を一遍一堂に集めて、そして国民文化の向上に役立てたい、そしてそれをつくりたいという

池田克也

1978-03-01 第84回国会 衆議院 商工委員会 第6号

これは鹿島建設創立者であり、この計画を考えられていたところの故鹿島守之博士遺志だろうという意見です。その人の言うのに。確かに、この鹿島博士が生存していらっしゃったならば、いわゆるエロ・グロ雑誌というものを販売するなどと言ったら怒るだろう、その人はこういうふうにつけ加えております。  

松本忠助

1978-03-01 第84回国会 衆議院 商工委員会 第6号

いろいろな法律ができましても、言葉の上では中小企業小規模小売商を守ると言うけれども、現に、鹿島建設中心になって、八重洲口に、八重洲ブックセンターなどという中央区全書籍店の売り場総面積トータルを一店舗ではるかに上回るというような超大型の書店を、鹿島守之助氏の遺言であると称して、その後継の企業責任者が全東京書店業界の悲痛な陳情と反対を振り切ってやろうとしている。政府は、これに対して手が出せない。

渋沢利久

1978-02-28 第84回国会 衆議院 予算委員会第四分科会 第2号

最後に、この問題についてもう一点だけ重要なことを申し上げておきたいと思うのでありますが、この八重洲ブックセンター趣旨は、鹿島守之助さんの遺志を継いで全出版物を展示販売する、こう言っているわけです。欲しい本がいつでもありますよと言っている。きわめて公益性の高い文化事業的なうたい込みであります。この話を聞いてみまして、これはそうあれば非常に望ましいという気持ちを素人の人は持ちます。

池田克也

1978-02-22 第84回国会 衆議院 予算委員会 第19号

それから、鹿島守之助元社長は非常な文化人で、いろいろ蔵書もたくさんある。それらのものについてこれを活用したいというような年来の考え方があったということは聞いております。それならばそれで、私は、図書館のようなものにすればこれは一番いいのじゃないか、こういうように思うわけであります。

上坂昇

1977-03-16 第80回国会 参議院 決算委員会 第2号

昭和四十六年に最終的に赤木正雄氏、砂防協会常務理事専攻砂防工学を推薦したのは青木楠男氏、早大名誉教授専攻土木工学であり、昭和四十八年に鹿島守之助氏、拓大名誉教授専攻外交政策日本外交史を最終的に推薦したのは板垣与一氏、一橋大学名誉教授専攻経済政策となっております。したがって、毎日新聞のいうA、B、C、Dの諸氏はこれらの方々だと推測をいたしております。  

今村武俊

1977-03-16 第80回国会 参議院 決算委員会 第2号

それから、昭和四十八年の鹿島守之助氏の選考のときのことを当時の関係者に聞いてみますと、当時は神川彦松先生——外交史先生でございますが、従来文化の面でえてして法律学中心とした文化功労者文化勲章該当者が選ばれていて、政治学とか外交史だとかそういう視点からの推挙が、選考が従来の歴史においてなされていないので、ことしはどうしてもこの外交史の領域から人を出してほしい、そういう意味では鹿島守之助氏の功績はきわめて

今村武俊

1975-02-22 第75回国会 衆議院 予算委員会 第19号

松下幸之助さんや上原正吉さんや鹿島守之助さんというようなああいう大資本家、あるいは最近は土地成金方々もおられますが、長者番付の上位十人の人の平均所得額というのを、昭和四十年の国税庁の資料で見ますと、平均が二億九千三百七十二万円、三億円近くでありました。そのときの平均の民間の労働者の給与というのはわずか四十五万円です。まさに六百五十二・七倍という大きな格差がありました。

寺前巖

1974-03-05 第72回国会 参議院 内閣委員会 第8号

そこで、これは少し個人の名前をあげて私も恐縮に思うんですが、去年、文化功労者の中に鹿島守之助さんが入っていた。これについて、かなり私どもに投書があります。それは参議院選挙と結びついて無理やりにやったんじゃないかというような投書の内容になっているんですね。ということは、佐藤前総理の一声で何かきまったと、こういう。

山崎昇

1974-03-05 第72回国会 参議院 内閣委員会 第8号

○国務大臣奥野誠亮君) 選考委員会の御決定に従ったまででございますけれども、鹿島守之助さんはすでに日本学士院から学士院賞も受けておられるわけでございます。また、御承知だと思いますけれども、膨大な著書もあるわけでございますます最近にも膨大な著書、何といいますか、外交史の面においてお出しになっておるわけでございす。  したがいまして、御懸念になるようなことは一切あの選考に際してはございませんでした。

奥野誠亮

1973-07-27 第71回国会 衆議院 内閣委員会 第46号

松下幸之助あるいは鹿島守之助のようなレギュラーのメンバーも、かろうじて百位の中にとどまったようでありますが、営々と事業、経営の中で、まさに余人のなし得ない努力の中で築き上げてきた今日の所得、これはそれなりに国民から尊敬をされ、また一つの目標にされるものであろうかと思うのでありますが、一夜にして、まさに国の総合計画の中で、国の公共事業開発余慶の中にぬくぬくと高額所得が生まれていく。

三塚博

1971-05-17 第65回国会 参議院 外務委員会、沖縄及び北方問題に関する特別委員会連合審査会 第1号

昭和四十六年五月十七日(月曜日)    午前十時十六分開会     —————————————   委員氏名    外務委員     委員長         松平 勇雄君     理 事         石原慎太郎君     理 事         長谷川 仁君     理 事         山本 利壽君     理 事         西村 関一君                 鹿島守之助君

会議録情報

1971-03-29 第65回国会 参議院 本会議 第9号

    木村 睦男君       井川 伊平君    金丸 冨夫君       櫻井 志郎君    田中 茂穂君       江藤  智君    剱木 亨弘君       白井  勇君    山本 利壽君       八木 一郎君    田口長治郎君       三木與吉郎君    平井 太郎君       吉武 恵市君    松平 勇雄君       郡  祐一君    青木 一男君       鹿島守之助君

重宗雄三

1971-03-18 第65回国会 参議院 外務委員会 第7号

委員長         松平 勇雄君     理 事                 長谷川 仁君                 山本 利壽君                 西村 関一君     委 員                 鹿島守之助君                 梶原 茂嘉君                 杉原 荒太君                 三木與吉郎君                 

会議録情報

1971-02-16 第65回国会 参議院 外務委員会 第3号

委員長         松平 勇雄君     理 事                 石原慎太郎君                 長谷川 仁君                 山本 利壽君                 西村 関一君     委 員                 鹿島守之助君                 梶原 茂嘉君                 木内 四郎君                 

会議録情報

1970-12-26 第65回国会 参議院 外務委員会 第1号

昭和四十五年十二月二十六日(土曜日)    午前十時二十分開会     —————————————    委員氏名     委員長         長谷川 仁君     理 事         石原慎太郎君     理 事         木内 四郎君     理 事         増原 恵吉君     理 事         西村 関一君                 鹿島守之助君                 

会議録情報

1970-12-03 第64回国会 参議院 外務委員会 第2号

委員長         長谷川 仁君     理 事                 石原慎太郎君                 木内 四郎君                 増原 恵吉君                 西村 関一君     委 員                 鹿島守之助君                 梶原 茂嘉君                 杉原 荒太君                 

会議録情報

1970-11-24 第64回国会 参議院 外務委員会 第1号

昭和四十五年十一月二十四日(火曜日)    午前十一時五分開会     —————————————   委員氏名     委員長         長谷川 仁君     理 事         石原慎太郎君     理 事         木内 四郎君     理 事         増原 恵吉君                 鹿島守之助君                 梶原 茂嘉君                 

会議録情報

1970-05-12 第63回国会 参議院 外務委員会 第12号

昭和四十五年五月十二日(火曜日)    午前十時三十五分開会     —————————————    委員の異動  五月十一日     辞任         補欠選任      初村瀧一郎君     鹿島守之助君      岩間 正男君     野坂 参三君     —————————————   出席者は左のとおり。     

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