2006-05-12 第164回国会 衆議院 外務委員会 第14号
きょう私はここに、これは「世界大戦原因の研究」という、法学博士鹿島守之助、私、神田の古本屋を大学浪人中に歩いて千円で買ってきた本。この本が、古色蒼然たる本でありますが、この本自体は昭和九年に第一版が出ている、第一次世界大戦の研究です。世界大戦というのは、昭和九年はまだ第一次しかなかったんです。それが、昭和三十四年、第四版が出て、鹿島さんというのは、国会議員もやったような方で大変に外交通であります。
きょう私はここに、これは「世界大戦原因の研究」という、法学博士鹿島守之助、私、神田の古本屋を大学浪人中に歩いて千円で買ってきた本。この本が、古色蒼然たる本でありますが、この本自体は昭和九年に第一版が出ている、第一次世界大戦の研究です。世界大戦というのは、昭和九年はまだ第一次しかなかったんです。それが、昭和三十四年、第四版が出て、鹿島さんというのは、国会議員もやったような方で大変に外交通であります。
当時のこのことに関して、昭和三十四年の段階でありますが、鹿島守之助法学博士は、「当時、タイムズは「東京における不公正」といつたような社説を掲げ、」この裁判についてですよ、「またワシントンポスト紙は一九四九年一月十一日の社説において「アメリカの名声はいわずもがな、正義の名声まで東京裁判によつて傷つけられたことが、いよいよ明白である」と論じた。」
そうした中で、そういうふうな、極めてこの裁判の形が、それはさすが鹿島守之助先生、おっしゃるとおりに、やはりかなりいびつであったということは明らかであります。
そうしましたら、イメルダ夫人に鹿島平和賞を下さったのでお礼に鹿島守之助さんの御夫人の卯女さんを招待した。ところがもうお亡くなりになっていたので息子さんの鹿島昭一さんが行ったと。これはちゃんと鹿島建設から私に対する正式の答弁ですよ。さてそれで、やっぱりイメルダ夫人につながりを持っていますね。
なぜかと申しますと、実は大分前、五年ぐらい前になりますが、これは新聞に出ておりましたから皆さん御存じだと思いますが、鹿島守之助さんの奥さんが当時三分の一の相続分を受け取られたわけなんですが、三分の一の法定相続として六十億円の節税ができたのだということが新聞に報道されていて、一般の主婦たちが非常にため息をついたということがあるわけなんです。
このことはまた後に触れたいと思うのですが、これは鹿島守之助という実業界あるいは政界にも活躍をされた方が、欲しい本がない、また読まねばならない本があるべきところにない、むしろセンセーショナルなようなものが街にはんらんしておる、自分は自分の意思として、自分の私財をなげうって、かなり資本を投下してもいいから、街に出ているあらゆる本を一遍一堂に集めて、そして国民の文化の向上に役立てたい、そしてそれをつくりたいという
これは鹿島建設の創立者であり、この計画を考えられていたところの故鹿島守之助博士の遺志だろうという意見です。その人の言うのに。確かに、この鹿島博士が生存していらっしゃったならば、いわゆるエロ・グロ雑誌というものを販売するなどと言ったら怒るだろう、その人はこういうふうにつけ加えております。
いろいろな法律ができましても、言葉の上では中小企業、小規模小売商を守ると言うけれども、現に、鹿島建設が中心になって、八重洲口に、八重洲ブックセンターなどという中央区全書籍店の売り場総面積トータルを一店舗ではるかに上回るというような超大型の書店を、鹿島守之助氏の遺言であると称して、その後継の企業責任者が全東京の書店業界の悲痛な陳情と反対を振り切ってやろうとしている。政府は、これに対して手が出せない。
最後に、この問題についてもう一点だけ重要なことを申し上げておきたいと思うのでありますが、この八重洲ブックセンターの趣旨は、鹿島守之助さんの遺志を継いで全出版物を展示販売する、こう言っているわけです。欲しい本がいつでもありますよと言っている。きわめて公益性の高い文化事業的なうたい込みであります。この話を聞いてみまして、これはそうあれば非常に望ましいという気持ちを素人の人は持ちます。
私は、昨今話題をにぎわしております、鹿島建設の鹿島守之助会長の遺志を受け継いで今日建設が進められておる、こう伝えられておる八重洲ブックセンター、この問題に焦点を当てながら、大規模小売店舗法について、大臣並びに通産当局の考えをただしていきたいと思っております。
それから、鹿島守之助元社長は非常な文化人で、いろいろ蔵書もたくさんある。それらのものについてこれを活用したいというような年来の考え方があったということは聞いております。それならばそれで、私は、図書館のようなものにすればこれは一番いいのじゃないか、こういうように思うわけであります。
八重洲ブックセンターは、故鹿島守之助氏の御遺族等の個人出資によって設立されておるので、お話の趣旨は私によくわかりますが、建設大臣としてどうこうということについては、ちょっとお答えしにくいと思いますね。
昭和四十六年に最終的に赤木正雄氏、砂防協会常務理事、専攻砂防工学を推薦したのは青木楠男氏、早大名誉教授、専攻土木工学であり、昭和四十八年に鹿島守之助氏、拓大名誉教授、専攻外交政策、日本外交史を最終的に推薦したのは板垣与一氏、一橋大学名誉教授、専攻経済政策となっております。したがって、毎日新聞のいうA、B、C、Dの諸氏はこれらの方々だと推測をいたしております。
それから、昭和四十八年の鹿島守之助氏の選考のときのことを当時の関係者に聞いてみますと、当時は神川彦松先生——外交史の先生でございますが、従来文化の面でえてして法律学を中心とした文化功労者、文化勲章該当者が選ばれていて、政治学とか外交史だとかそういう視点からの推挙が、選考が従来の歴史においてなされていないので、ことしはどうしてもこの外交史の領域から人を出してほしい、そういう意味では鹿島守之助氏の功績はきわめて
それは上原正吉の五億四千八百七十一万円、松下幸之助の四億九千三百九十九万円、藤山愛一郎の三億八千四百六十一万円、鹿島守之助の二億八千三百三十五万円(以上昭和三十九年所得)に比して、群を抜いている。公務員の総理大臣(月給四十万円、期末手当を含めて年六、七百万円)百人分位の所得である。
松下幸之助さんや上原正吉さんや鹿島守之助さんというようなああいう大資本家、あるいは最近は土地成金の方々もおられますが、長者番付の上位十人の人の平均所得額というのを、昭和四十年の国税庁の資料で見ますと、平均が二億九千三百七十二万円、三億円近くでありました。そのときの平均の民間の労働者の給与というのはわずか四十五万円です。まさに六百五十二・七倍という大きな格差がありました。
そこで、これは少し個人の名前をあげて私も恐縮に思うんですが、去年、文化功労者の中に鹿島守之助さんが入っていた。これについて、かなり私どもに投書があります。それは参議院選挙と結びついて無理やりにやったんじゃないかというような投書の内容になっているんですね。ということは、佐藤前総理の一声で何かきまったと、こういう。
○国務大臣(奥野誠亮君) 選考委員会の御決定に従ったまででございますけれども、鹿島守之助さんはすでに日本学士院から学士院賞も受けておられるわけでございます。また、御承知だと思いますけれども、膨大な著書もあるわけでございますます最近にも膨大な著書、何といいますか、外交史の面においてお出しになっておるわけでございす。 したがいまして、御懸念になるようなことは一切あの選考に際してはございませんでした。
松下幸之助あるいは鹿島守之助のようなレギュラーのメンバーも、かろうじて百位の中にとどまったようでありますが、営々と事業、経営の中で、まさに余人のなし得ない努力の中で築き上げてきた今日の所得、これはそれなりに国民から尊敬をされ、また一つの目標にされるものであろうかと思うのでありますが、一夜にして、まさに国の総合計画の中で、国の公共事業の開発余慶の中にぬくぬくと高額所得が生まれていく。
昭和四十六年五月十七日(月曜日) 午前十時十六分開会 ————————————— 委員氏名 外務委員 委員長 松平 勇雄君 理 事 石原慎太郎君 理 事 長谷川 仁君 理 事 山本 利壽君 理 事 西村 関一君 鹿島守之助君
木村 睦男君 井川 伊平君 金丸 冨夫君 櫻井 志郎君 田中 茂穂君 江藤 智君 剱木 亨弘君 白井 勇君 山本 利壽君 八木 一郎君 田口長治郎君 三木與吉郎君 平井 太郎君 吉武 恵市君 松平 勇雄君 郡 祐一君 青木 一男君 鹿島守之助君
委員長 松平 勇雄君 理 事 長谷川 仁君 山本 利壽君 西村 関一君 委 員 鹿島守之助君 梶原 茂嘉君 杉原 荒太君 三木與吉郎君
委員長 松平 勇雄君 理 事 石原慎太郎君 長谷川 仁君 山本 利壽君 西村 関一君 委 員 鹿島守之助君 梶原 茂嘉君 木内 四郎君
昭和四十五年十二月二十六日(土曜日) 午前十時二十分開会 ————————————— 委員氏名 委員長 長谷川 仁君 理 事 石原慎太郎君 理 事 木内 四郎君 理 事 増原 恵吉君 理 事 西村 関一君 鹿島守之助君
委員長 長谷川 仁君 理 事 石原慎太郎君 木内 四郎君 増原 恵吉君 西村 関一君 委 員 鹿島守之助君 梶原 茂嘉君 杉原 荒太君
昭和四十五年十一月二十四日(火曜日) 午前十一時五分開会 ————————————— 委員氏名 委員長 長谷川 仁君 理 事 石原慎太郎君 理 事 木内 四郎君 理 事 増原 恵吉君 鹿島守之助君 梶原 茂嘉君
昭和四十五年五月十二日(火曜日) 午前十時三十五分開会 ————————————— 委員の異動 五月十一日 辞任 補欠選任 初村瀧一郎君 鹿島守之助君 岩間 正男君 野坂 参三君 ————————————— 出席者は左のとおり。
昨十一日初村瀧一郎君及び岩間正男君が委員を辞任され、その補欠として鹿島守之助君及び野坂参三君が選任されました。 —————————————