1970-04-23 第63回国会 参議院 商工委員会 第15号
あの近くの鶴満寺、あのお寺で、そこに私が行ったときにしかられたわけです。この死体どうしてくれるんだ。しかもそのときの処理が、ござでも敷いてあればまだいいんですけれども、お寺の板の間の上に置いて、その上に新聞紙かぶせてあるだけなんですね。こんないわば人間扱いじゃないような死体の置き方をして、そうしてしかも検死がおくれて、ひつぎはきているわけですよ、棺おけはきているわけですよ。だけども収容できない。
あの近くの鶴満寺、あのお寺で、そこに私が行ったときにしかられたわけです。この死体どうしてくれるんだ。しかもそのときの処理が、ござでも敷いてあればまだいいんですけれども、お寺の板の間の上に置いて、その上に新聞紙かぶせてあるだけなんですね。こんないわば人間扱いじゃないような死体の置き方をして、そうしてしかも検死がおくれて、ひつぎはきているわけですよ、棺おけはきているわけですよ。だけども収容できない。
また、大阪市北区の管北小学校及び豊崎東小学校に避難所を開設して避難者を救護するとともに、負傷者は市内二十五病院に収容し、死亡者は太融寺、鶴満寺及び南御堂に遺体を安置いたしました。 この事故による死亡者は、調査当時で七十四人、うち男六十二人、女十人、不明二人であり、負傷者は、重傷者百二十四人を含め二百三十人、うち男百七十七人、女五十三人であります。
なくなられた方々の御遺体は、大融寺、南御堂、鶴満寺に安置いたしました。焼失しました家屋の罹災者に対しては、付近の小学校三カ所に避難所をつくっていましたが、現在二カ所に百名程度収容されております。また、食糧その他については緊急手配をいたしました。 消火活動については、消防車五十四台が出動し、その出動人員は約五百人で、鎮火は八日の二十一時三十分に鎮火いたしております。