1955-05-12 第22回国会 参議院 社会労働委員会 第5号 その帰る当時には七百何名かが鶏西地区に、軍工部以外にも難西煤鉱管理局といいますか、石炭の管理局ですね。そこに各北満、満州の在満の軍工部関係の人たちが帰国が迫ったので転勤させられたのだろうと私の主観では思いますが、一九五一年ごろから各地から続々と鶏西地区へ集まりました。そうして家族をまじえて七百何人かの人たちが一九五八年の夏までには帰りました。 鹿養徳一