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28件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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1971-03-05 第65回国会 参議院 予算委員会 第8号

それから六号地点でございますが、六号地点は取香の岩沢多門さんの持ち地所であったものでございまして、この方もすでに賛成派になっておられるわけでございますが、現在の共有者は、飯田清二寺田正一郎川口一夫大矢良一平山敏夫島田剛夫加瀬善司石神井充加瀬京治古川明諏崎瀧次根本政雄飯田堅雄鵜沢正、滑川寛加瀬新一郎平山実渡辺勇石井利三加瀬武夫高野清石神井はな、伊橋潔、以上の方々

今井栄文

1969-04-15 第61回国会 参議院 建設委員会 第10号

約五十九団体が参加してこの渋谷の再開発促進協議会というのをつくっておって、しかもこの会の役員を見ても理事長五島昇、これは東急社長常任理事鵜沢郎放送センター管理局長、あるいは京王帝都の専務、西武の社長というような人たちがこの理事になって、その人たちがバックになって渋谷区域全体を再開発しようというもっと大きな計画を進めておる。

春日正一

1963-05-30 第43回国会 参議院 オリンピック準備促進特別委員会 第7号

佐藤 朝生君    オリンピック東    京大会組織委員    会事務次長   村井  順君    日本体育協会、    日本オリンピッ    ク委員会総務主    事       青木 半治君    日本放送協会理    事       春日 由三君    日本放送協会報    道局長     佐野 弘吉君    日本放送協会東    京オリンピック    総本部企画本部    放送企画部長  鵜沢

会議録情報

1960-12-20 第37回国会 参議院 運輸委員会 第3号

ただこれは岡山の管理局からの報告でございますが、この御本人のお母さんが、まあ少しでも国鉄に納めて、できるだけ誠意を示したいというようなお話も口頭であったようでございまして、そういう点を考えまして、私どもとしましては、それだけの気持を持っていただくのなら、いただけるだけいただこうというように鵜沢法務課長新聞関係者に言ったのじゃないかと思います。

中村卓

1960-12-20 第37回国会 参議院 運輸委員会 第3号

説明員鵜沢勝義君) 今、資料は持ってこなかったのですけれども、大きいのはここに三つほど。  三十年五月に、東海道線の原—東田子ノ補間に起こりました駐留軍自動車の衝突、貨車、旅客列車ですか、これが二千六百万円。  それから、その次が三十二年の五月十四日、それが逗子—東逗子間で起こりましたが、やはり駐留軍自動車事故でございます。これが千二百万円。  

鵜沢勝義

1957-03-06 第26回国会 衆議院 商工委員会 第10号

        通商産業技官         (軽工業局アル         コール管理官) 本多 紀元君         通商産業事務官         (石炭局鉱害課         長)      佐藤 京二君         日本国有鉄道常         務理事     小林 重国君         日本国有鉄道参         事         (総裁室法務課         長)      鵜沢

会議録情報

1957-03-05 第26回国会 衆議院 商工委員会 第9号

柴田  護君         農林事務官         (水産庁魚政部         長)      新沢  寧君         通商産業事務官         (石炭局鉱害課         長)      佐藤 京三君         日本国有鉄道副         総裁      小倉 俊夫君         国有鉄道参事         (総裁室法務課         長)      鵜沢

会議録情報

1955-07-08 第22回国会 参議院 法務委員会 第14号

もう大先輩の鵜沢総明氏のごときも、またその他の著名の諸君はほとんどこぞって行ったというわけでありますが、その弁護人のうちに、ここにおられる一松老もお出かけになり、私も一緒に出かけた。これが非常なる拷問が行われたのであって、当時の高等検察庁次席検事をしていた人が関係を……、関係といっても別に拷問したわけじゃありませんが、この事件について考慮を願った一人でありますが、非常な拷問をいたした。

塚崎直義

1955-05-19 第22回国会 参議院 運輸委員会 第7号

説明員鵜沢勝義君) 犠牲者に対する弔慰方法は、とりあえずの措置と、最終のと申しますか、その次の措置と、二つの措置に分れまして、とりあえずの措置といたしましては、お亡くなりになった方に対しまして、総裁名義で五万円の香典、それから現地の四国の鉄道管理局長が一万円、そのほかにお供え料として四千円、これは遺体にお線香を差し上げる、それからお供物を差し上げる、こういう趣旨で品物を出しております。

鵜沢勝義

1955-05-19 第22回国会 参議院 運輸委員会 第7号

運輸省鉄道監督    局長      植田 純一君    運輸省鉄道監督    局国有鉄道部長 細田 吉藏君    運輸省自動車局    長       真田  登君   事務局側    常任委員会専門    員       古谷 善亮君    常任委員会専門    員       田倉 八郎君   説明員    日本国有鉄道副    総裁      天坊 裕彦君    日本国有鉄道法    務課長     鵜沢

会議録情報

1955-05-12 第22回国会 衆議院 運輸委員会 第8号

      池田 禎治君    大西 正道君       吉田 賢一君  出席国務大臣         運 輸 大 臣 三木 武夫君  出席政府委員         海上保安庁長官 島居辰次郎君  委員外出席者         日本国有鉄道総         裁       長崎惣之助君         日本国有鉄道参         事         (総裁室法務課         長)      鵜沢

会議録情報

1955-05-12 第22回国会 衆議院 運輸委員会 第8号

鵜沢説明員 御遺族並びに生存者留守宅に対しましては、遭難があったという事実と、それからその留守宅のわかり次第に係員を派遣いたしまして、生死の不明な方に対しましては遭難のあったというだけのこと、それからおなくなりになった方については不幸おなくなりになった旨、それから幸いに生存された方にはその旨をお伝えいたしまして、そして国有鉄道といたしましてはそういう御遺族留守宅の方が行かれ場合については、途中

鵜沢勝義

1954-10-22 第19回国会 衆議院 運輸委員会 第46号

鵜沢説明員 ただいま嬉野線死傷者に対する弔慰方法は、従来国有鉄道で起つた死傷事件とどういう関係なつておるか、ことに洞窟丸遭難者に対してどういう割合、どういう関係なつておるか、こういうお尋ねでございますが、嬉野線洞爺丸閣議了解事項との線は、今回嬉野線事件でおなくなりになつ方々弔慰金を出すのと、洞爺丸事件国鉄の有責となつて将来損害賠償を払う場合にへんぱのないように、こういう点は

鵜沢勝義

1954-10-22 第19回国会 衆議院 運輸委員会 第46号

海運局定期船         課長)     岡田京四郎君         運 輸 技 官 水品 政雄君         運 輸 技 官         (自動車局整備         部長)     津守  巧君         日本国有鉄道副         総裁      天坊 裕彦君         日本国有鉄道参         事         (総裁室法務課         長)      鵜沢

会議録情報

1953-12-04 第18回国会 衆議院 法務委員会 第3号

出席政府委員         運輸政務次官  西村 英一君  委員外出席者         検     事         (刑事局長)  井本 台吉君         検     事         (刑事局公安課         長)      桃沢 全司君         日本国有鉄道副         総裁      天坊 裕彦君         日本国有鉄道         (法務課長)  鵜沢

会議録情報

1953-11-09 第17回国会 参議院 決算委員会 閉会後第1号

只今見えておりますのは、国鉄関係経理局主計課長長尾頼隆君、それから副総裁天坊裕彦君、施設局長江藤智君、営業局旅客課長高倉一雄君、施設局停車場課長金谷明君、法務課長鵜沢勝義君、運輸省鉄道監督局長植田純一君、会計検査院検査第四局長大沢実君、参考人として東京都交通局自動車部長千倉武君、それから同じく財務局管財部長福田桂次郎君、千代田区長村瀬清君、これだけのかたが見えております。

東隆

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