2021-03-23 第204回国会 参議院 東日本大震災復興特別委員会 第3号
この復興の特別委員の皆さんは御存じかもしれませんが、鵜住居小学校の奇跡という話があります。けれども、岩手の釜石で伝承施設で語り部をしている当時の当事者、釜石東中学校三年生の女性は言っていました。奇跡、奇跡と美談のように語られるけれども、違和感があると。よく対比して語られる大川小学校。大川小学校でも地域の連携はしっかりと整っていて、防災教育というのもしっかりされていたと。
この復興の特別委員の皆さんは御存じかもしれませんが、鵜住居小学校の奇跡という話があります。けれども、岩手の釜石で伝承施設で語り部をしている当時の当事者、釜石東中学校三年生の女性は言っていました。奇跡、奇跡と美談のように語られるけれども、違和感があると。よく対比して語られる大川小学校。大川小学校でも地域の連携はしっかりと整っていて、防災教育というのもしっかりされていたと。
同スタジアムは、小中学校生約六百人が津波から一緒に駆けて逃げた、東日本大震災を象徴する場所である釜石市立鵜住居小学校及び釜石東中学校の跡地に土地をかさ上げして建設され、本年我が国で開催されるラグビーワールドカップの試合会場となっております。野田市長、佐々木市議会議長等の案内を受けつつ、スタジアムを視察しました。
皆様のお手元に写真資料があると思いますが、地震の後、津波が必ず来ると海に近い釜石東中学校の生徒たちが一目散に避難を始めまして、それを見た近くにある鵜住居小学校の児童たちが避難を始めて、それを見た住民たちが、これは避難しないとまずいと釣られて避難して、多くの人が助かったという事例です。写真では、中学生が小学生の手を引いて避難している様子も分かります。
岩手県の釜石市、何度か私ここで提示をいたしまして、津川政務官も度々現地へ入られてよくよく御承知でございますけれども、釜石の北側に鵜住居小学校、中学校がございますが、両方合わせて五百七十名なんですが、地震が発生してから避難をいたしまして高台に逃げるんですけれども、市の指定しておりました老人ホームがございまして、そこまでたどり着くんですが、もっと高いところへ逃げた方がいいだろうという高学年の生徒の発言があって
釜石東中学校の生徒が鵜住居小学校の児童も引き連れ、地域の方もみんな一緒になって高台に逃げました。 私は、昨年十月七日に民主党予算委員の視察として、現在は小佐野小学校で学んでいる鵜住居小学校五年生の児童とお会いいたしました。とても明るくて元気にしておりましたが、心までは見えませんので何とも言えません。でも、命があったということはすばらしいことだったと思います。
今回の津波を基準にして今後考えるというふうに先ほど答弁がありましたので、それでいいと思うんですが、実は、予算委員会で視察したときに、ここの釜石のことを国交省の地元の整備局長に御説明いただいたんですけれども、ここに、真ん中あたりに釜石東中学校と鵜住居小学校と赤で書いてあります。そして、鵜住居小学校に注釈がついていまして、「三階建て校舎の三階まで浸水」というふうに書いてあります。
総理、ちょっと通告しておきましたけれども、これは、釜石の小中学校の皆さんが避難して、鵜住居小学校と釜石東中学校という学校が、子供たちが自主的に避難して五百六十二人の命が全部助かったという経路が全部書いてあります。
先般もこの委員会で質問させていただいたんですが、この資料三を見ていただきますと、釜石東中学校と鵜住居小学校が赤丸で書いてあります。 これまでの津波というのはそこまで来ていないんですね。この資料からわかりますように、大きな津波がありましたけれども、この小学校、中学校は本来ハザードマップに入っていない。実際にここまで来ていない。
釜石東中学校と鵜住居小学校というのが、大槌湾から鵜住居川というのが少し入ってきているんですが、その真ん前に二つ並んで建っていました。裏手が山で、避難の道というのは片方にしかずっとないんですね、見てみますと。
○高木国務大臣 富田委員におかれましては、現地の視察をされて、あるいは見舞いをされて、今、釜石市の東中学校、鵜住居小学校の避難の実態についてお話をいただきました。まことに心が打たれるといいますか、本当に大変な状況の中でよくも子供たち、児童生徒が行動したな、このように私、本当にある意味では頼もしく、うれしく思っております。
当市における学校の児童生徒の状況についてでありますが、今回、幸いにも、日ごろからの防災教育により適切な避難誘導が行われたため、鵜住居小学校、釜石東中学校を初めとした市内沿岸部のすべての学校において、地震発生直後に学校外の指定避難場所への避難が行われたことから、学校管理下における死亡者はゼロでありました。