2013-05-28 第183回国会 参議院 国土交通委員会 第6号
道路関係から触れますと、何度もここの場所でもお話をさせていただきましたけれども、岩手県の釜石市で、鵜住居地域で五百七十名の生徒が助かった命の道路、やはり社会資本の整備で被害の差があったということが明らかになりまして、これが、三陸自動車道に子供たちが逃げて助かったわけですが、全線開通していたら何千人と僕は助かったんじゃないかなというふうに推察をいたします。
道路関係から触れますと、何度もここの場所でもお話をさせていただきましたけれども、岩手県の釜石市で、鵜住居地域で五百七十名の生徒が助かった命の道路、やはり社会資本の整備で被害の差があったということが明らかになりまして、これが、三陸自動車道に子供たちが逃げて助かったわけですが、全線開通していたら何千人と僕は助かったんじゃないかなというふうに推察をいたします。
例で申し上げますけれども、何点もあるんですけれども、これは何度もいろんなところで報道等もされておりますからお分かりの点でございますけれども、まず道路関係でいきますと、これは岩手県釜石の鵜住居地域で五百七十名の生徒が全員助かったと。地震が来てから津波が来るまで三十分間の時間がございまして、釜石市が指定をしておりました近くの避難所は老人ホームだったんです。
当日はみぞれが降っておって大変寒い日だったわけでありますが、鵜住居地域の北と南は国道四十五号線一本しかございませんから、そこは瓦れきで埋まってしまって、もし三陸自動車道が、これが開通していなかったら悲惨な結果になっただろうし、それから、仮に逃げ及んだとしても当日一晩中みぞれの中で過ごせなかっただろうと思うと、相当恐ろしい思いがいたします。
この鵜住居の地域というのが国道四十五号線、鵜住居地域だけじゃないんですが、今回津波に遭遇した地域というのは実は一本の路線しかございません。国道四十五号線なんです。この鵜住居の地域の、後で分かるんですが、両側がこれは瓦れきで埋まってしまうんです。もし三陸自動車道が一部供用開始していなかったらどんなことが起きていたんだろう。
釜石市の鵜住居地域で、小学校、中学校があったんです。地震が来まして、子供たちが五百名ぐらい逃げるんですね。私の隣の地域ですから。それで、ある福祉施設までたどり着くんです。で、そこからもうちょっと上に逃げようということで逃げたそうでありまして、たまたまなんですが、三陸自動車道が一週間ぐらい前に一部分開通していたんです、たった一部分。そこに逃げて全員助かったんです。