2010-03-24 第174回国会 参議院 予算委員会 第16号
世界OBサミットの提唱者は日本の元総理でありますが、そのときの外務大臣は鳩山威一郎でありますけれども、何か感想がありますか。
世界OBサミットの提唱者は日本の元総理でありますが、そのときの外務大臣は鳩山威一郎でありますけれども、何か感想がありますか。
しかし、鳩山総理は多分、鳩山威一郎先生と安子さんや、あるいは長い御家系の中で恵まれて育ってこられたから、人を傷つけないとか、そのときうまく話を合わせていくというお気持ちが強いから、自分では意図していないけれども、結果的に、党内の事情はわかりますよ、それを信じた相手を裏切るというか、うそをつくつもりはないんだけれども、結果的にそういうことになっちゃう。
また、以前、総理は、父の鳩山威一郎元外相が亡くなられたことにより自らに課された約十七億円もの相続税について、相続税は高い、その土地に何年も住んでいる場合には相続税率が下がるようにしなければ大変と述べたと報道されております。 こうしたことから、今回は相続税逃れの事実上の生前贈与と疑われても仕方ないのではないでしょうか。総理、見識を伺います。
しかし、私の父鳩山威一郎とその盟友相沢英之先生と二人だけは地方共同の機関があってもいいんではないかと長年主張し続けてきたと。つまり、大蔵省の中では圧倒的な少数派であったというようないきさつも聞きますと、私は一般の国民がそれほど強い興味を持って新聞記事を読んでくれているとはなかなか思えませんけれども、これから私は非常に意味のある組織として発展をするだろうと思っております。
基本的なのは問い二で聞こうと思ったら大臣がお答えになりましたけれども、基本的にもう大蔵省がずっと反対をしてきたわけで、鳩山威一郎先生や、あと少数派だけが御理解いただいた、それもよく分かりましたけれども、そういう経緯もあったわけでありますけれども、今回、本当に大臣のお力でこういうものができたのは極めて意義深いと思いますので、これは確かに一般国民には余り関係ないかもしれませんけれども、地方公共団体の人間
うちのおやじ鳩山威一郎は、生前大変に伊吹先生を尊敬しておりました。その影響もあり、私も大臣を尊敬申し上げております。大いに御活躍をなさっていただければと思います。 ただ、就任早々の御発言で、あるいは十分に大臣としてなれておられなかったということなのかもしれませんが、記者会見で不適切な発言を、九月の段階でなさっておられる、その件に関して、やはり冒頭伺わなければなりません。
それから、鳩山威一郎外務大臣も記憶に残る一人です。鳩山外務大臣が記憶に残るというのは、極めて役所の言葉に近かった。人柄はとてもいい人だと思いましたけれども、この外務委員会で質問をしても、ほとんど、新しいことがなかなか出てこなかったように記憶しているという意味で記憶をしています。 それから、渡辺外務大臣。私はたまたまそのとき外務委員長でした。
昭和四十六年に、水田大蔵大臣のとき、私はちょうど幣制担当の理財局長をしておりまして、このデノミを検討しよう、そこの労働大臣のお父さんの鳩山威一郎さんが当時次官で大変な熱心なデノミ論者、やろうじゃないですかということでもっていろいろ準備しまして、大体まあ二年以内の準備期間があればやれるというところまで実はいったわけでありますが、その後、ニクソン・ショックがあったりいろんなことがありまして、オイルショック
現実に政治家になっている人たちの中にも、例えば故鳩山威一郎氏は息子の鳩山邦夫氏が政界へ出るときに、鳩山邦夫氏は同級生ですのでちょっと引き合いに出して申しわけありませんが、今の政治は悪人にならないとなし得ないとまで語っておるわけでございます。 戦後生まれの私にしましても、ずっと五五年体制の中で生活してきたわけであります。
十朗君 四月十三日 辞任 補欠選任 諌山 博君 上田耕一郎君 四月十六日 辞任 補欠選任 前畑 幸子君 岩本 久人君 四月二十日 辞任 補欠選任 岩本 久人君 前畑 幸子君 四月二十三日 辞任 補欠選任 井上 章平君 鳩山威一郎君
五男君 四月二十七日 辞任 補欠選任 尾辻 秀久君 重富吉之助君 四月二十八日 辞任 補欠選任 重富吉之助君 尾辻 秀久君 五月十三日 辞任 補欠選任 石渡 清元君 川原新次郎君 五月十四日 辞任 補欠選任 藤田 雄山君 鳩山威一郎君
平成四年五月十四日(木曜日) 午前十時開会 ――――――――――――― 委員の異動 四月二十三日 辞任 補欠選任 鹿熊 安正君 平井 卓志君 堀 利和君 対馬 孝且君 四月二十四日 辞任 補欠選任 井上 章平君 伊江 朝雄君 沓掛 哲男君 鳩山威一郎君
去る四月二十四日、沓掛哲男君及び井上章平君が委員を辞任され、その補欠として鳩山威一郎君及び伊江朝雄君が選任されました。 ―――――――――――――
補欠選任 小林 正君 松本 英一君 四月十七日 辞任 補欠選任 赤桐 操君 渡辺 四郎君 三石 久江君 青木 薪次君 猪熊 重二君 中川 嘉美君 四月二十二日 辞任 補欠選任 石渡 清元君 宮澤 弘君 沓掛 哲男君 鳩山威一郎君
―――――― 委員の異動 四月十六日 辞任 補欠選任 対馬 孝且君 堀 利和君 四月十七日 辞任 補欠選任 三治 重信君 寺崎 昭久君 四月二十日 辞任 補欠選任 堀 利和君 矢田部 理君 四月二十二日 辞任 補欠選任 鳩山威一郎君
また、昨二十二日、鳩山威一郎君が委員を辞任され、その補欠として沓掛哲男君が選任されました。 ―――――――――――――
補欠選任 櫻井 規順君 岩本 久人君 堀 利和君 菅野 壽君 三重野栄子君 渕上 貞雄君 二月二十八日 辞任 補欠選任 岩本 久人君 櫻井 規順君 菅野 壽君 堀 利和君 三月四日 補欠選任 鳩山威一郎君
また、本委員会は二月二十六日以来一名欠員となっておりましたが、去る四日、鳩山威一郎君が選任されました。 また、昨二十六日、櫻井規順君が委員を辞任され、その補欠として梶原敬義君が選任されました。 また、本日、片上公人君が委員を辞任され、その補欠として及川順郎君が選任されました。 ―――――――――――――
平成四年三月二十六日(木曜日) 午前十時開会 ――――――――――――― 委員の異動 三月四日 辞任 鳩山威一郎君 三月二十六日 辞任 補欠選任 堂本 暁子君 三重野栄子君 ――――――――――――― 出席者は左のとおり。
委員長 大鷹 淑子君 理 事 成瀬 守重君 理 事 山岡 賢次君 理 事 松前 達郎君 理 事 高井 和伸君 岡部 三郎君 久世 公堯君 関口 恵造君 鳩山威一郎君
委員長 大鷹 淑子君 理 事 成瀬 守重君 理 事 山岡 賢次君 理 事 松前 達郎君 理 事 高井 和伸君 岡部 三郎君 久世 公堯君 関口 恵造君 鳩山威一郎君
————————————— 委員氏名 委員長 岡野 裕君 理 事 岡部 三郎君 理 事 山岡 賢次君 理 事 松前 達郎君 大鷹 淑子君 久世 公堯君 関口 恵造君 鳩山威一郎君
平成三年四月九日(火曜日) 午後一時開会 ───────────── 委員の異動 四月三日 辞任 補欠選任 田村 秀昭君 久世 公堯君 真島 一男君 鳩山威一郎君 ───────────── 出席者は左のとおり。
去る四月三日、真島一男君及び田村秀昭君が委員を辞任され、その補欠として鳩山威一郎君及び久世公堯君が選任されました。 ─────────────
平成三年四月九日(火曜日) 午後一時開会 ───────────── 委員の異動 四月二日 辞任 補欠選任 真島 一男君 鳩山威一郎君 高崎 裕子君 市川 正一君 四月三日 辞任 補欠選任 鳩山威一郎君 真島 一男君 市川 正一君 高崎 裕子君 四月八日