1984-03-27 第101回国会 衆議院 内閣委員会 第3号
例えばフルシチョフ・鳩山会談において領土問題は継続案件になった、あるいは田中・ブレジネフ会談において領土問題は留保というような形になっておるにもかかわらず、ソ連のその後の態度というのは領土問題は決着済みだということでございまして、私も、去年カピッツァというソ連の次官に会ったときもそういうことを言いまして、大変な激論をいたしたわけでございます。
例えばフルシチョフ・鳩山会談において領土問題は継続案件になった、あるいは田中・ブレジネフ会談において領土問題は留保というような形になっておるにもかかわらず、ソ連のその後の態度というのは領土問題は決着済みだということでございまして、私も、去年カピッツァというソ連の次官に会ったときもそういうことを言いまして、大変な激論をいたしたわけでございます。
分自党の引き抜きもかかる方策によるものでありますが、結果においては古田・重光会談の約束も、吉田・鳩山会談の約束もことごとくこれうやむやとなり、単に術策を弄したにすぎないものと相なつております。
吉田総理から言えば、吉田・鳩山会談というものは政局の安定の目的ではないんだ、親友鳩山、義理ある鳩山をして気楽に愉快にやらしてやろうという気持で鳩山君を訪問したのだ、こう言わるるかもしらぬ。そうしてその副作用として二十何名かが自由党にかわつたんだ、こう言われるかもしれませんが、はたして鳩山君一人の友情によつて、鳩山君の復党を希望するために御訪問になつたのか。
参考までに承りたいのでありますが、去る六日に行われましたダレス・鳩山会談も総理があつせんされたのでありますか。