2015-09-10 第189回国会 参議院 内閣委員会 第25号
○政府参考人(鳥巣英司君) お答えします。 PFI推進室自体が全体で二十人と、私も含めて二十人という体制でやっておりますけれども、その中の、要するに、問合せを受けられる者は必ず受けるという体制でやっておりますので、特定の、もちろんコアのメンバーはいるんですけれども、全員体制で臨んでいるということでございます。
○政府参考人(鳥巣英司君) お答えします。 PFI推進室自体が全体で二十人と、私も含めて二十人という体制でやっておりますけれども、その中の、要するに、問合せを受けられる者は必ず受けるという体制でやっておりますので、特定の、もちろんコアのメンバーはいるんですけれども、全員体制で臨んでいるということでございます。
○政府参考人(鳥巣英司君) お答えします。 当室にも実際の弁護士それから公認会計士も実は来ていただいて、そういう形で専門的能力を補っていただいて、従来の職員と一緒になって、一丸となって個別の事案に対処させていただいているということでございます。
○政府参考人(鳥巣英司君) 先生がおっしゃいますとおり、今後の事業としましては、上下水道事業等、地方公共団体が実施する事業についても想定されますことから、本制度は、当然、地方公務員もその対象としているところでございます。
○鳥巣政府参考人 お答えいたします。 これまで国や地方公共団体が運営してきましたインフラにつきまして、民間事業者に十分なノウハウがない場合がございます。コンセッション事業を円滑に立ち上げるためには、公務員がこれまで現場で培ってきた専門的なノウハウを民間事業者に確実に継承することが必要でございます。
本案審査のため、本日、政府参考人として内閣官房内閣審議官向井治紀君、内閣官房内閣審議官谷脇康彦君、内閣官房内閣人事局人事政策統括官三輪和夫君、人事院事務総局人材局長大下政司君、内閣府大臣官房審議官鳥巣英司君、消費者庁審議官吉井巧君、総務省大臣官房審議官宮地毅君、総務省自治行政局公務員部長北崎秀一君、財務省大臣官房審議官藤城眞君、厚生労働省大臣官房審議官福島靖正君、水産庁増殖推進部長長谷成人君、国土交通省航空局航空
○鳥巣政府参考人 お答えいたします。 職員一人当たりの退職派遣期間は、内閣府令におきまして三年以内というふうに明確に限定することを予定しております。また、PFI法に基づきました基本方針におきまして、派遣期間を事業の初期段階に限定するということも明確にすることとしておりまして、仮に再派遣するという場合におきましても、派遣期間は最大で五年程度ということを想定しております。
そういう調査結果に基づきまして、野生鳥獣につきましては薬剤の散布前と散布後におきまして鳥巣あるいは個体数について調査した結果、薬剤によると思われる変化は認められておりませんし、衰弱した異常個体や変死した個体も確認されておりません。また、そのうち鳥の巣の中のひなや卵についても巣立ちが認められております。
厚生関係の基本施策に関する件、特にカネミ油症に関する問題について調査を進めます・ 本問題についての参考人として、カネミ油症全国集会議長金田弘司君、カネミライスオイル北九州被害者の会蔵本政子君、玉の浦油症対策患者の会会長鳥巣守君及び健仁会新中原病院医師梅田玄勝君、以上の方々がお見えになっておりますので、一言ごあいさつ申し上げます。
本件、特にスモン病に関する問題について、千葉県スモンの会会長中村あい君、東京スモンの会副会長鈴木富美雄君、前スモン調査研究協議会会長甲野礼作君、静岡県スモン友の会役員大石和夫君及び東京大学附属病院第三内科医師杉山孝博君に、また、カネミ油症に関する問題について、カネミ油症全国集会議長金田弘司君、カネミライスオイル北九州被害者の会蔵元政子君、玉の浦油症対策患者の会会長鳥巣守君及び健仁会新中原病院医師梅田玄勝君
患者の会の鳥巣さんからいただいたお手紙、暑中見舞いですけれども、八月に行なわれた検診では、七十一名中わずか二名の認定をされただけだということを知らしてきておられますが、それというのも、最初二百十名の検診をしたわけです。その中から十六人は直ちに認定されたんです。それが中の、十六人の中のお一人は、今回初めて検診を受けて認定になった方です。
○証人(藤井孝君) 大体総務に属する仕事の監督指導ということになつておりますが、私が最初財務部長をしておりましたから、当時私の後任者である財務部長の鳥巣君が非常に身体が弱いので、よく会社を休んだりしますので、市中銀行との金融関係なんかを私がやつておりました。
○市村證人 それからこれは私直接ではありません、間接に聞いたのですけれども、鳥巣君が昭和電工のかつての子会社、今は野田さんの言われるようにたこの足のように切られたその会社の一つであるが、日本化成でしたか、昭和化成でしたか、それは新潟にある会社ですが、その会社の株式のある数量を賣渡すことの交渉を受けたという話があります。
鳥巣君を呼んで注意をしたこともありましたが、そのときも間違つたことは自分の責任上絶対にやつていない、安心してくれといつたようなお話もあつたので、そういつた言葉を実は信頼しておつた。その後のいろいろ報道せられる通りが事実とすれば、はなはだその辺われわれ心外だと思うのであります。
○笹山證人 そのときは鳥巣常務と藤井取締役、その二人が就任早々で、七月の総会で就任したわけですから、まだ一度も工場の方に顏を出していないし、ちとうどいい機会だ、案内かたがたわれわれも工場にあいさつに行くので一緒に行きましようといつて、その二人が当日駅に行つてみたら來ておりました。なおほかに社員の人が二三來ておられたように記憶しております。
さつき申し上げたように、当時重役に就任したばかりの鳥巣常務と藤井重役、それからほかに本社から二、三名、会の人も行かれた。それでその両重役が廣田工場、喜多方工場、鹿瀬工場の幹部を数名ずつ呼んで、重役就任のあいさつの懇親会のようなものをやりました。
その後になつてから日本水素の取締役をしておつた藤井孝が総務部長に、鳥巣正之というのが日本水素の財務部長をしておつて、二十年十一月ごろまで興銀の審査部長だつたという話ですが、この人がはいつたわけですか。