2017-05-31 第193回国会 衆議院 厚生労働委員会 第25号
そこで、ちょっときょう御紹介したいのが、この本なんですけれども、「「鬼畜」の家 わが子を殺す親たち」という、石井光太さんというノンフィクションライターが書いた本です。先日、我が党の部門会議に来ていただいて、ヒアリングを行いました。この書いてある、三つの事件が書いてあるんですが、新聞記事を載せさせていただきました。
そこで、ちょっときょう御紹介したいのが、この本なんですけれども、「「鬼畜」の家 わが子を殺す親たち」という、石井光太さんというノンフィクションライターが書いた本です。先日、我が党の部門会議に来ていただいて、ヒアリングを行いました。この書いてある、三つの事件が書いてあるんですが、新聞記事を載せさせていただきました。
日本新聞は、記事差し止めのために、この同胞の鬼畜の行為に沈黙を守ったが、悪事は直ちに千里を走って海外に大センセーションを引き起こし、あらゆる非難が日本軍に向けられた。わが民族史上、千古の汚点、知らぬは日本国民ばかり、大衆はいわゆる赫々たる戦果を礼讃するのみであった。 というのが、担当した当時の外務省のアジア局長の日記なんですよ。
例えば、日本は戦争のときに鬼畜米英と言っていた。一億玉砕と。要するに子々孫々まで全滅してでも米英と戦うんだと。ところが、戦争に負けると、ころっと親米になったと。これは、やっぱりパレスチナとかイスラエルとか、ああいうところからは考えられない発想なんですよ。あり得ない。だから、日本は基本的に原理主義的発想というのはなじまないんですよ。
どっちかだけ強調すると、国民がみんな鬼畜米兵討つべしと言えば戦争を始めるのか、こういう話にもなってきて、そういうときに、そうではないよととめるステーツマンがいるというのも必要なことだ、こういうふうに思います。 例えば、朝日新聞の「武力行使をしなければ認める」、これは六四%ですか、私は、極めてこの民意は常識的なものだ、こういうふうに思います。
中国共産党の役割がこの鬼畜日本帝国主義を絶滅した輝かしい歴史があるということを教えたいという気持ちは、これは立場を変えればよく分かりますけれども、しかし、その場合でも、このようなことだけで日本人を特別視するような教育が行われているとすれば問題ではないだろうかということを、中国の方にも私は直接申し上げてきております。 確かに、去年見たときには前に比べて一部改善されています。
この事件とちょっと話はそれますけれども、昔にさかのぼると、大阪の三菱銀行の北畠支店で、梅川昭美というのが銀行の中に立てこもって本当に鬼畜のような振る舞いをしたというのは、これはまだ二十八年ぐらい前でしょうか、まだ記憶に本当に生々しく残るわけでありますけれども、あのときも最初にたしか犠牲になったのは警察官の方だったんですね。
鬼畜米英と言いました、米英は鬼である。そして、日本は神の国である、大和魂もってすれば恐るるに足らず。欲しがりません勝つまでは。ぜいたくは敵だ。足らぬ足らぬは工夫が足らぬと言って、そう言ってきたのではありませんか。
私の身内にも実はフルブライターがおって、聞いてみると、戦前は海軍兵学校で、鬼畜米英とまでは言いませんが、そういう軍国少年だったんでしょうけれども、アメリカに留学して、アメリカ大好きになって帰ってきているわけですね。あんないい国はないと。これはお金で買えない、大変な親米派を日本につくったのがフルブライター、フルブライト計画だろうと思うわけであります。
少なくともあの時代に生まれておりますので、私の場合はあなたと違って戦前生まれ、これでも、でありますので、少なからぬ記憶もありますし、爆弾も食らったし、うちも空襲で焼けましたので、そういった意味では私どもの方が記憶は正確だと少なくとも思っておりますので、今あれを見られた上で、その当時の雰囲気というのを知らないわけでもありませんし、鬼畜米英とあおった多くのマスコミがあったことも子供心に知っているところでもありますので
本当に、さっき吉川さんから出たように、そこで、養父母に、本当は鬼畜、日本人の子供だと言われていじめ抜かれて、そしてようやく祖国へ帰ってきたと思ったら言葉の壁がある。そして、向こうで育ててくれた親たちは高齢で、そこで倒れた、だから見舞いに行った、それでそのときに生活保護費まで切られてしまう。こういう状況について聞いているのに、あなた、全然そんな制度なんか何も聞いてやしていない。
たどたどしい日本語で意味はよく分からないところもあるんですが、行間からその心情がよく読み取れるんですが、要約して言いますと、私たちは教育を受ける機会を奪われ、鬼畜日本人の子供と呼ばれて日本政府が中国で行った仕打ちの仕返しを受けた、帰国すればしたで言葉が壁となり、外国人扱いされ差別された、こんなふうに書いています。
特に、午前中に性犯罪のお話もあったようでございますけれども、性犯罪の被害に遭った女性あるいは小さなお子さん、その保護者の方、親御さんにしてみれば、犯罪者というのは鬼畜のように思われる。場合によっては、今の弱肉強食的な発想からすれば、社会から抹殺したいあるいは切り捨てたいと思われるのかもしれません。 しかしながら、法務行政のかかわる部分で、最後のとりでとして、一方で人として扱わなければいけない。
ところが、日本の国は、私どもが経験した戦争というのは、年寄りも女も子供も、アメリカの兵隊が来たら鬼畜米英と戦え、武器がなかったら竹やりでぶつかれ、しがみついてかみ付けと、これが戦争なんですよ。そういうことまで本気になって政府は考えてこの法案を作ったんならもっといろんなものが出てくるはずなんだね。何か来たら、見たら法律用語が書いてある。武力攻撃とはと書いてある。
マスコミは、虐待事件が発生するたびに、虐待する親を、鬼母だ、鬼父だ、鬼畜にももとると非難しております。しかし、私は、刑事弁護人として、虐待してしまった親の弁護を引き受け、面会していますと、マスコミが言うような鬼のような父、鬼のような母は一人も出くわしておりません。 その意味で、私は、虐待防止活動にとって、この第三のステージこそ大切な部分だと思っています。
米英を鬼畜と呼んだ戦前と同じように、そのようなレッテルを張った瞬間に思考停止をしてしまうのではないかというふうに思います。 憲法は、言うまでもなく国民のものであります。国民がこの国をどういう国にするのかということを決めたものが憲法です。明治維新から明治体制が固まるまで三十年近くを要しております。戦後、いわゆる五五年体制ができるまで十年掛かっております。
私どもの時代は、小学校のときに鬼畜米英という形で国を守るために自分を玉砕してでも、あのころだって聖戦という言葉を使っているんです、日本の言葉で言うならば。そういうのが、特定の教科書があったんじゃなくして、そういう一つの教育を小さいころからされてきたから、自然にそれが積もり積もって天皇陛下万歳と言って自爆をするという形が生まれてきた。これは教育なんですよね、ある意味では。
私などは、鬼畜米英と言われて教育されて育った部分もありますからね。しかし、私は今、アメリカ人並びにアメリカは親しい友人だと思っておりますし、事実友人もおります。しかし、それにしてもひどい、このことがまず第一だと思います。 同時に、対応の中でアメリカ側と日本側との間の文化の差ということがさっきから出ている、私も全く同感ですね。実際日本人は、いわば家族主義といいますか、それを非常に大切にする。
私は、かつて、一人の女性を数人の少年が拉致し、監禁の上、暴行の限りを尽くし、殺した上にコンクリート詰めにして放置したという鬼畜にも劣る行為に対し、加害者の氏名も公表されず、また処分が著しく軽かったことに大きな憤りを感じたことを記憶しております。 これは裁判官の裁判そのものに問題があったと考えますが、基本的には、少年法の厚い壁が存在したためであります。
その前までは米英鬼畜と言い、神州不滅と私たちは言ってきたわけですね。半年にして人間の心というのはそう簡単にすぱっと変わるんだろうか。なかなか変え得なかったと思うんです。
ついこの間まで米英鬼畜と言っていた人たちと、それこそ道路でも会わなければいけない。警察官も両方がやっていたわけですから、やらなければいけない。カムカム英語なんといって、英会話の本が物すごく売れるという時代でございます。 そして、その後、こう言ってよろしいと思うんですが、日本は、アメリカなしには日本の政治はあり得ないということですね。
一方では、つい数カ月前までは我々は、鬼畜米英、まさに先生おっしゃったとおりですね。出てこいニミッツ、マッカーサー、出てくりゃ地獄へ逆落とし、こういう歌を歌っておりました。そのマッカーサーが最高司令官としてやってきたのですね。
私は、その問題、いわゆる政治的意図をどう見ていくのかということを言えば、くどいようですが、戦争、紛争、政治というのは、テーブルの上で殴り合っていても、下で手を結ぶ必要があるわけで、これがマルチな外交であって、そのマルチな外交、とりわけ日本という国は、例えばアメリカと戦争をしたときに、鬼畜米英で英語も排斥しようとしたいわゆるゼロ・百の文化で、敵は全部敵だという。