1949-09-12 第5回国会 衆議院 考査特別委員会 第35号
弁護士をされておつてこれは應援に來たのではない、國会議員として調査に來たのだという人が、その日の夕刊で最も大切な爭議に関係する鬪爭委員会と会社が発表するところの日鋼爭議の事件報告というような記事を読まれないというようなことは、われわれとしてはのみ込めないことですが……。
弁護士をされておつてこれは應援に來たのではない、國会議員として調査に來たのだという人が、その日の夕刊で最も大切な爭議に関係する鬪爭委員会と会社が発表するところの日鋼爭議の事件報告というような記事を読まれないというようなことは、われわれとしてはのみ込めないことですが……。
副委員長には菊川孝夫、書記長には星加要ほか二十二名の委員が、新たに中央鬪爭委員会に選任されたのでございます。組合の状況はこうなつております。 それから列車妨害につきましては、これは先ほど長官から御報告があつたのでございますが、私の方の資料に基きましての数字を申し上げますと、大体昨年度の列車妨害の件数は、一箇月平均にいたしまして、大体百二十件から多くても百五十件程度でございました。
もう一つあなたのお言葉の中にあります廣島縣の産業防衞共同鬪爭委員会は、私が聞いた範囲では日鋼鬪爭委員会だと聞いております。これは私は関係しておりません。
鬪爭委員会は私が招集いたしますが、連絡会議は鬪爭委員会を持つ間の機関といたしまして、議案を持つ者から集まつてもらつてきめてもらいたいという要求があれば、それを持つておるというのが今までの慣習でございます。
それは鬪爭委員会なら鬪爭委員会の意見と違うことがあるでしよう。その場合にあなたは鬪爭委員長として責任がある。ところが鬪爭委員会全体として論議を盡された結果、その結論を実際に遂行して行くのが鬪爭委員長の責任ではないか。
○木村證人 私は鬪爭委員長という責任は帶びましても、鬪爭委員会には二十五名の鬪爭委員がおるので、私が一々蒲田の車掌区の問題すべてをつかんでおらなくても、やはりしかるべくそういうような詳細な報告は鬪爭委員会という機関を通じて知らされることになつておるわけであります。ただそういう鬪爭委員会内部の問題において意思の疎通を欠いたというような点は、私も率直に認めたいと想います。
そうしてあなたは非常手段としてこの鬪爭委員会をもうやめた方がよいというので行方不明になつたか知りませんが、とにかく座をはずしてしまつた、この鬪爭委員会をやめさせるために、そのあとどういう手を打たれましたか。 〔発言する者多く議場騒然〕
○鈴木証人 その点につきましては、六月十日の午後三時より第六回の鬪爭委員会を開催いたしまして、大体晩の八時ごろ、正確な時間はたしか七時三十分過ぎだと思います。そのころいろいろな問題がこの委員会で討論されたわけでございます。
○聽濤委員 そうしますと大体鬪爭委員会なら鬪爭委員会が非民主的であつたとすれば、普通に組合のやり方からしますれば鬪爭委員会においてそういう事実として出していろいろ論議してかえて行くということをするのが普通だろうと思うのですが、あなたはそのことを全然放棄して、しかもこういう鬪爭委員会は持たれない方がよい、しかも委員が一人入るか入らないというようなことが、組合にとつてはまつたく生死に関するような時期であつた
しかしそのことについては鬪爭委員会でよく考えてから御返事するということで保留してあります。
だから九日にさらに晝間の鬪爭委員会できめて、晩に若い人に行つてもらつたけれども徹底しなかつたので、さらに管理部交渉から帰つて来たので、そこで鬪爭委員会を開いて、明日の十日の始発からは乗せようということになつたのです。
そういうことが、この声明の主たるものであるということになりますと、最初に当局が「本日國有鉄道当局は、國鉄労組中央鬪爭委員会中十四名の者を行政機関職員定員法によつて免職の発令をした」ということと、意味が非常に違うのでございます。
区長さんがそのような不幸な結果になつては申訳ないと考えたので、さつそく六日の大会に、区長さんがわれわれのためにやつてくれるのだから、われわれも区長さんのためにやらなくてはならぬというので、生計費の関係とか、あるいは懲戒免官になれば退職金を棒に振られるというような関係で、ただちに区長のためのカンパを強力にやろうということがまず第一で、第二としては、そういうように次第に鬪爭もはげしくなつて來たので、鬪爭委員会
最初六月十一日に神奈川では四時三十分及び五時というふうな時間に鬪爭委員会を開きまして、自発的に彼らは爭議をやめるということまで組合側が自主的に決定しておりますが、御存じないですか。
○聽濤委員 しかしながらここでの鬪爭委員というのは、職場大会での空氣から申しましても、やり方はとにかくとしまして、新交番制を実施されては、首切りにもなり、いろいろなことにもなるというようなところから、どうしてもこれを阻止したいという意味で、鬪爭委員会がつくられているのじやないかと思うのですが、その点はどうです。
○菊川証人 これは組合の規約の中に鬪爭委員会規則というのがございまして、鬪爭委員会は爭議の過程におきまして、必要に應じて委員会でも大会でもこれの招集を中央執行委員長に要求することができる、そうすると中央執行委員長は招集しなければならないという規則があるのです。
○新川証人 そういうことは議題には何もかかつておりませんけれども、一應私は鬪爭の方針について中央鬪爭委員会の提案理由の説明を求めましたところ、井上氏が中央鬪爭委員会の提案ということでやつております。
○新川証人 提案をするということを一應中央、鬪爭委員会で意見一致したとすれば、中央鬪爭委員会の提案として見るのが至当ではなかろうかと考えております。
○立花委員 私、メーデーから今までずつと神戸に帰つておりまして、兵庫縣廳に参りまして、副知事に会いまして話をして参りましたが、実は兵庫縣の各民主團体、主として全官公廳労働者、産別、総同盟の労働者がつくつております兵庫縣協同鬪爭委員会が、「兵庫縣官僚の眞相をアバく」というパンフレットを出しております。これには実に十指に余る兵庫縣廳の腐敗事件が列挙されております。縣立兒童研究所の不正処分。
○矢野酉雄君 併し事実の方では、原野君は反動摘発鬪爭委員会の爼上に乘せられて、結局ナホトカに残されたということは、間違いないのですか。
○草葉隆圓君 それではもう少し詳しく御質問申上げる方がいいと思うのですが、クラスノゴールスクから御出発になる時に、この鬪爭委員会というのがすでにできて、それからずつとおいでになつて角という人が委員長になつて來たのか。それから途中でそういう状態になつたのか。
○証人(下中範雄君) 私は昨日も申上げたと思いますが、こうした委員会を作るということは、ただそうした委員会を作ることによつて人員を残すということが目的ではないので、この鬪爭委員会の鬪爭を通じて、今まで眠り込まされておつた大衆の力を、大衆自身に把握させることがこの鬪爭委員会の目的であると、そういうふうに御了承願います。
○証人(下中範雄君) 名称は反動摘発鬪爭委員会、この委員の選挙法は各車輛から代表者がもうすでに沢山できておりました。その代表の中から選定して出したのであります。
これらの声が皆の間に起つて來たのでそれらの声が結局鬪爭委員会という名前に盛り上げられて來たんです。この鬪爭ということは、前も申されましたか、内地におきましてもこれはあらゆる意味において鬪爭という名前が強く行われておりまして、ただ單に鬪爭委員会という名前でこれはおかしなものであるということは、言えないと思います。
○証人(下中範雄君) 鬪爭委員会ですか、結局今まで大衆の上にあぐらをかいて皆を虐待した、或いはなんといいますか、作業面においていろいろ皆をこき使つたとか、そういうふうな連中ですね。こういう人たちを、皆の大衆の力によつてこれに対して鬪いをする。そういう意味の鬪爭委員会であります。
次に、松江における民主團体共同鬪爭委員会の不当彈圧事件であります。裁判所及び刑務所にデモをやつたことに対して、不法侵入及び騷擾罪等で十数名を檢挙したのでありますが、その日には百名近くの警官が警備しておつたのでありまして、そういう事実があつたならば、即刻現行犯として逮捕しなければならないにもかかわらず、三日を過ぎてから逮捕したということは、職権濫用であるといえるのであります。
ただいまお話の鳥取縣倉吉税務署の事件、佐野川発電所の事件、松江における民主團体共同鬪爭委員会の事件等は、いずれも前内閣時代の事件であります。最後にお話の愛媛縣中山の事件は、割合に新しい事件のようでありますが、しかし事件そのものは、やはり前内閣の時代の事件であります。 〔発言する者多く、議場騷然〕
然るにこの間南鮮の右派の信託統治反対の態度は変ることなく、新たに反託独立鬪爭委員会を組織いたしまして、モスクワ会議にも信託統治反対の電報を打つておりますし、委員会再開直前の米國代表の忠告に対しても尚その反対の態度を改めないところがあるのであります。これに対して南鮮の中間派及び左派、それから北鮮の諸政党、團体は委員会に全面的の協力を表明したのであります。
然るにその後中央鬪爭委員会において、二十六日の翌日の中央鬪爭委員会において、現在のダイヤを実施するという指令第九号というのが決りまして、それを土曜の夜発信をされておる。
それからこの決定は、やはり正式な中央委員、鬪爭委員会で各ブロツクの代表によつて統制されておる機関によりまして決定されておる。この点は、先つき自分でうつかりしまして、事前にやつておりませんでしたので、補充いたします。
このような経過をたどりまして、大阪府当局は、指令または指示に基いて周到なる手続をしたのでありますけれども、十九校のうち、明渡しをなしたのはわずかに六校、他は全部これに應じないのみか、四月二十三日、大阪朝鮮人教育問題鬪爭委員会の名をもつて府廳前に集合、同日午後二時府廳前に集合したる者約七千名、これに全逓幹部二十名、その他共産党員約二十名が参加應援したと報告を受けております。
○公述人(今井嘉助君) 私は労働法規改惡反対鬪爭委員会を代表しまして、今般の提案された軽犯罪法案につきまして、撤回すべきであるという、絶対反対の立場から意見を述ベさして頂きます。もともと労働者出身の関係もありますし、御存じのように、過去長い間、我々の階級が圧迫され、搾取された関係上、言葉は非常に粗野であり乱雜でありますが、予め失礼な点がありましたら御了承願いたいと思います。
私が参りましたいずれの小駅といえども鬪爭委員会ができておりまして、私が参ります都度、決議文並びに要永書が提出せられるような状況でございました。この点は関東並びに西の方のいずれの鉄道局においても見られざる現象であります。