1987-05-14 第108回国会 参議院 建設委員会 第3号
四国中央をほぼ東西に貫流して紀伊水道に注ぐ吉野川は、昭和四十一年に水資源開発水系に指定され、それに基づき四十二年三月に基本計画が閣議決定されて、早明浦ダムの建設事業が開始されたのでありますが、その後、池田ダム、香川用水、新宮ダム、旧吉野川河口ぜき、高知分水の各事業が基本計画に追加され、それぞれ完成しております。
四国中央をほぼ東西に貫流して紀伊水道に注ぐ吉野川は、昭和四十一年に水資源開発水系に指定され、それに基づき四十二年三月に基本計画が閣議決定されて、早明浦ダムの建設事業が開始されたのでありますが、その後、池田ダム、香川用水、新宮ダム、旧吉野川河口ぜき、高知分水の各事業が基本計画に追加され、それぞれ完成しております。
さらに、これに使われた請求書のけい紙、これは何と土佐町が出しておるけい紙でございますけれども、このけい紙は土佐町が昭和四十四年、四十五年に使用しておったものでございますが、なぜこれを使ったかというとこの請求書の信頼性のために使用した、どうして入手したかというと小野山氏が土佐町高知分水事務所でメモ用紙としてもらったと証言をいたしておるのであります。
それまでは揚水発電の問題は出ていないわけでありますが、ここで実は、早明浦ダムの建設に伴いまして高知分水の問題が出ておったのでありますが、これが突然変更がありまして、そして最初は鏡川にあります鏡ダムを下池とする揚水発電所の問題が出てまいりました。これが確認書でマル秘文書であります。
その計画の概要は、早明浦ダム、新宮ダム、池田ダム等を建設して、年間八億六千三百万立方メートルの新規用水を開発し、香川用水、高知分水、愛媛分水等を通じて四国四県に配分するとともに、吉野川の洪水の防止、新規発電等を行うものであり、これによって吉野川の水利用率を二九%から四九%に引き上げようとするものであります。
それで、そのただ一つの効果として、高知分水というものがございましたけれども、それが早明浦ダム完成と同時に分水が行なわれるのだという宣伝のもとに行なわれてきましたが、理由はあるにしろ、その辺はやはり公然と、ぐあいが悪くなったのだとか、あるいは地盤が悪くなってできないのだとかいうことを言って、だからそれに対してはこういう計画変更するのだということがなぜオープンで話し合いされないのか。
これは、昭和四十一年七月の高知県議会におきまして、まず一点は、早明浦ダムの完成の時期と同時に高知分水を必ず完成させる、二、分担金は県がかぶらないということで、賛成多数をもって早明浦ダム建設が始まったわけであります。
○吉田説明員 吉野川の水資源基本計画は、昭和四十二年に作成されまして、その際高知分水事業を含む計画で、それは先ほど先生が申されました地蔵寺川発電所、それから鏡川第一発電所といった計画で計画が立てられておりました。
同時に、関連事業として池田ダム、香川用水、愛媛分水、高知分水等の建設の促進を図らなければ意味がないことはいうまでもありません。