1981-03-25 第94回国会 衆議院 文教委員会 第6号
(中西(績)委員「それを聞いてません、上越と兵庫を聞いているわけです」と呼ぶ)上越教育大学については、五十六年度から学部学生の受け入れをいたしておるわけでございますが、その創設を契機といたしまして、上越市にございます新潟大学教育学部の高田分校を新潟市へ移転統合するということで進めてまいっております。
(中西(績)委員「それを聞いてません、上越と兵庫を聞いているわけです」と呼ぶ)上越教育大学については、五十六年度から学部学生の受け入れをいたしておるわけでございますが、その創設を契機といたしまして、上越市にございます新潟大学教育学部の高田分校を新潟市へ移転統合するということで進めてまいっております。
○中西(績)委員 新潟の上越教育大学の場合には、高田分校を新潟へ移すと言われておりますが、そうすると、ここでの需要の関係だとかそういうバランスの問題はどうなっていますか。神戸の場合には、人口の問題だとかなんとかでうなずけますけれども、新潟の場合、どうでしょう。
それからまた上越大学の方は、恐らく私はあの高田分校をやっぱり新潟大学に統合するという前提条件が、きっかけがあったかもしれぬと思いますけれども、学部をまず発足させて――学部の充実どころじゃないですよ。できてからまだ卒業しない三年目にはもう大学院を置こうというのがこの構想でしょう。これ、世の中で常識的にそうだとみんなの胸に落ちる問題でしょうかね。なぜこんなにまで無理をしなければならないのか。
上越の場合には現在の新潟大学高田分校の付属学校を、いわば移管をする形で対応することができますが、兵庫の教員大学の場合には、新しく設置をしていくわけでございます。教員大学の設置を予定しております社町はそう人口が多いわけではございません。
しかし、特に高田分校につきましては、これまでの長い伝統というものもございまして、地元に分校を存続をしてほしいという非常に強い御要請がかねてあったわけでございます。
○大原(亨)委員 新潟大学自体と高田分校は、これは同じように小学校、中学校の教諭を養成するわけでしょう。広島の場合は、教育学部の千田町の本部校舎におきましては主として高等学校の教諭を養成する、後期中等教育の教員を養成する、そしてそこから分校の形で東雲分校ができて小学校、中学校の教員を養成する。こういう形のものはないわけですね。
率直に申しまして、新潟につくる上越の教員大学の場合には、確かに事柄として新潟大学の高田分校の新潟への統合ということと連動する部分がございます。しかし、そのことは、御指摘のような従来の学閥というようなものを前提として問題を考えているということではございません。
ただ、先ほど申しましたように、新潟の場合には実際問題として高田分校の統合との連動が、構想を固めていく場合の学部学生の受け入れ方だとかそういった点に出てくるということを申し上げたわけでございます。
そういうふうな非常に地形的にも特殊なところでありますから、生徒が、新潟大学の高田分校へ入るよりも東京へ出てきてしまう。東京のほうはアルバイトもあるし、かえって楽だということになります。たとえば、高田から新潟まで参りますには、キロメートルとして、距離が百四十三キロメートルあるのです。ところが、隣県の富山を経て金沢へ行き、金沢から福井まで行きましても、キロメートルにすれば百三十六・五キロメートルです。
その実地調査を行ないました大学が、第二表にございますように、北海道学芸大学につきましては本校と札幌分校、函館分校、旭川分校、釧路分校、岩見沢分校、それから弘前大準教育学部につきましては本校と野辺地分校、それから新潟大学教育学部につきましては本校と高田分校、長岡分校、それから愛知学芸大学につきましては本校と岡崎の分校と名古屋の分校、大阪学芸大学につきましては本校と天王寺の分校、池田の分校、平野の分校、
九九号) 一五九 同(田中龍夫君紹介)(第一九〇〇 号) 一六〇 広島大学教育学部三原分校存置に関す る請願(赤城宗徳君紹介)(第一九三七号) 一六一 同(高橋禎一君紹介)(第一九三八 号) 一六二 同(重政誠之君紹介)(第一九三九 号) 一六三 同(高村坂彦君紹介)(第一九四〇 号) 一六四 同(熊谷憲一君紹介)(第一九六五 号) 一六五 新潟大学教育学部高田分校
参法第八号) 盲学校、ろう学校及び養護学校への就学奨励に 関する法律の一部を改正する法律案(参議院提 出、参法第九号) 同月十七日 広島大学教育学部三原分校存置に関する請願( 赤城宗徳君紹介)(第一九三七号) 同(高橋禎一君紹介)(第一九三八号) 同(重政誠之君紹介)(第一九三九号) 同(高村坂彦君紹介)(第一九四〇号) 同(熊谷憲一君紹介)(第一九六五号) 新潟大学教育学部高田分校
第二小学校岳分校にへき地教育振興法適 用の請願(中嶋太郎君紹介)(第三三一七 号) 七七八 久田小学校瀬分校にへき地教育振興法適 用の請願(中嶋太郎君紹介)(第三三一八 号) 七七九 梅谷小学校にへき地教育振興法適用の請 願(中嶋太郎君紹介)(第三三一九号) 七八〇 旭小、中学校にへき地教育振興法適用の 請願(中嶋太郎君紹介)(第三三二〇号) 七八一 長与小学校岡分校及び高田分校
の請願(中嶋太郎君紹介)(第三三一六号) 第二小学校岳分校にへき地教育振興法適用の請 願(中嶋太郎君紹介)(第三三一七号) 久田小学校瀬分校にへき地教育振興法適用の請 願(中嶋太郎君紹介)(第三三一八号) 梅谷小学校にへき地教育振興法適用の請願(中 嶋太郎君紹介)(第三三一九号) 旭小、中学校にへき地教育振興法適用の請願( 中嶋太郎君紹介)(第三三二〇号) 長与小学校岡分校及び高田分校
それからこれが長岡の分校、それからこれが高田分校、地域的には非常にいいような廃合をやつて、そうしてこういう地域の特殊性から、どうしても教員養成というのは、教員の配置の面から考えても、やはりその土地出身の人に多く委託しないというと、なかなか運営がうまくない。こういう実情があつて、新潟大学が総合大学として発足しましたときに、このような三つの分校が置かれておつたようであります。