1998-08-31 第143回国会 衆議院 金融安定化に関する特別委員会 第5号
このような難局に当たりまして、これを切り抜けるためにはもはや独力での展開は難しい、こういう判断のもとに、かねてより各業務各層で親密な関係にございました住友信託銀行の高橘社長に当行の置かれました状況を御説明し、同社に主導権を持っていただくことを前提に合併検討の申し入れを六月の末に行ったわけでございます。
このような難局に当たりまして、これを切り抜けるためにはもはや独力での展開は難しい、こういう判断のもとに、かねてより各業務各層で親密な関係にございました住友信託銀行の高橘社長に当行の置かれました状況を御説明し、同社に主導権を持っていただくことを前提に合併検討の申し入れを六月の末に行ったわけでございます。
このいわゆる値段が果たして妥当であったかどうかあれでございますけれども、こういった売買につきましては常に私ども鑑定人を入れまして、かつ売却に当たっては高橘氏の了解を得て売却をしていたわけでございます。
○委員長(坂野重信君) なお、関連いたしまして、高橋氏は突然支援打ち切りを通告されたと証言しており、長銀のイ・アイ・イ社に対する和議提案を高橘氏が拒否したとの答弁と食い違っていますが、長銀撤退時の状況について事実を証言してください。
○大脇雅子君 あなたは先回の参考人尋問で投資の抑制を高橋氏に直言したと言われましたが、いつごろ高橘氏の海外投資に警戒感を抱かれたか、あるいはいつごろそういう直言をなさったのでしょうか。
今回処分をした者を除けば、高橘氏とは面識がない、あるいは面識はあるが会食等のつき合いはないという者がありまして、また、若干のつき合いがあるとしても、これについては節度を越えたものとは考えていないということで、私ども社会通念上何ら問題がないというふうに考えております。
○吉岡吉典君 もう一つお伺いしますが、マスコミの内部に、日本IBMの社員だった窪田という人物が高橘氏と連絡して官庁内その他の人脈づくりの対象としてつくったものと言われるリストが流れています。私もここに持っています。そのリストの中には大蔵省の人の名前も十二人ぐらい出ております。通産省その他も出ています。通産省はこのリストに基づいて、名前が挙がった人について調査したと報道がありました。
平成元年ですか、一九八九年の末に、これはバブル崩壊の一年前、先ほどもちょっとお話が出ていましたが、長銀へ信組の経営を高橘氏が依頼をしたわけですね。このときに、いろんな報道によると、岡本、鈴木間取締役は大変喜んだ、こういうんですね。さっき斎藤委員が、信組の経常に参画してリテール部門を展開していこうという思惑があったんではないかというように言っておられた。
それからボンドセンターの売却につきましては、確かに香港の不動産は値上がりをずっと続けてあの兆時おりましたので、後から考えますとまだなおもうちょっと待てはもうちょっと高く売れたのにということをあるいは高橘氏は思ったかもしれません。
○参考人(堀江鐵彌君) ただいまのお話では、私どもがイ・アイ・イ・インターナショナルを急に見捨てたようなお話でございましたが、私どもといたしましては、一次、二次のリストラを通じ、できるところまでやったわけでございまして、その間の事情は高橘氏も十分存じていたわけでございます。
問題は、その金がどういう計算根拠なのか、片道は高橘氏の飛行機に乗っているわけですから、これはもう払わないでいいということになっているのか、そこまでは確認をしなかったと、本人は。二十万円全体の、帰りの飛行機賃、向こうでの宿泊費あるいは飲食費等が入っていると思うのでありますが、ここをもう少しきちっとそのときにチェックをして数字を確認すればよかったと今反省していますと。
窪田氏から高橘氏に往路の飛行機代の一部が払われているかどうかは確認できていないと。高橘氏はもらってないとおっしゃったんですから、まあ恐らくそういう意味では往路は飛行機の便宜供与を受けたことになりますねと、本人もそう言っておりました。
共通して二人に言えることは、勉強会等々であるとはいえ高橘氏と数回会食をともにしている、ゴルフも一、二回ともにしているという事実を前提にして、中島氏にも田谷氏と同様、訓告という処置をとったということであります。 これまでの答弁との関係につきましては、私が先ほどもお答えしましたように、答弁の時点、この香港行きという事実が表になるまではこういうことはないというふうに思っておりました。
中島次長につきましては、高橘氏と接触があったのは先ほど申し上げました平成元年ごろからでございますが、その後、記憶する限り一対一で会ったこともない。いつまでという、その後撤後に会ったのはいつかということについては必ずしも本人は記憶はございませんでした。恐らく、私ども調査した限りにおきましても、中島氏の場合にはその最終的に会った日の日付はちょっと確認できておりません。
○政府委員(小村武君) そういう席におきましては恐らく名刺交換をやり、お互いの存在が明らかになったと思いますが、高橘氏がどういう名刺を出したかというところまでは承知しておりません。
委員長 田代富士男君 理 事 大島 友治君 平井 卓志君 寺田 熊雄君 宮崎 正義君 委 員 石本 茂君 佐藤 信二君 高橘雄之助君
昭和三十一年四月十九日(木曜日) 午後二時二分開議 出席委員 委員長 山本 粂吉君 理事 江崎 真澄君 理事 大平 正芳君 理事 高橘 等君 理事 保科善四郎君 理事 宮澤 胤男君 理事 石橋 政嗣君 理事 受田 新吉君 大坪 保雄君 北 れい吉君 薄田 美朝君 田村 元君 高瀬 傳君 辻 政信君
〔高橘禎一君登壇〕
内閣委員会は、前後六回にわたり委員会を開き、また社会労働委員会とも連合審査会を開きまして、その間、提案者代表衆議院議員高橘等君のほか、政府側より大久保国務大臣、川崎厚生大臣等の出席を求め、熱心に本案の審議を行うとともに、参議院議員山下義信君外五名の提案にかかる恩給法の一部を改正する法律の一部を改正する法律案についても並行審議を行いましたが、その審議によって明らかになった点を申し上げますと、その第一点
太田 正孝君 加藤 精三君 加藤鐐五郎君 鹿野 彦吉君 川野 芳滿君 川村善八郎君 北澤 直吉君 熊谷 憲一君 倉石 忠雄君 小金 義照君 小平 久雄君 小林 郁君 小林かなえ君 周東 英雄君 鈴木 直人君 薄田 美朝君 瀬戸山三男君 蘭谷 勝利君 田子 一民君 田中 角榮君 田中 正巳君 田村 一元君 高橘
佐藤洋之助君 坂田 英一君 坂団道太君 迫水 久常君 塩原時三朗君 横田 弘作君 庄司 一郎君 助川 良平君 鈴木 善幸君 鈴木 正文君 關内 正一君 關谷 勝利君 田口長治郎君 田子 一民君 田嶋 好文君 田中伊三次君 田中 角榮君 田中 高逸君 田渕 光一君 高田 弥市君 高橋 英吉君 高橋圓三郎君 高橘
なおちよつと一点だけお伺いしておきたいのは、この田中、高橋それから高橘政雄等に対するこの公判が今継続中だと思いますが、大分進行しておるかどうか、その点進行の模様をお伺いしたい。
愛知縣におきましては、二日間、川上先生と赤松常子女史と私と三名、それから京都府では一日間赤松先生と私と二名、それから大阪府では二日間私一名、おのおのの場合、事務局から高橘さんが同行してくれておりました。