2019-05-09 第198回国会 参議院 財政金融委員会 第8号
三年ぐらい前の予算委員会で申し上げたことをもう一回お伝えをしておきますけれども、岩田副総裁は、高橋是清元蔵相がおやりになった高橋財政というものが非常にデフレ脱却に有効だったという、そういう論陣を張られて、二〇〇四年にそういう本もお出しになって、そしてそれをやるんだということで、まあ明確な意思をお持ちになったのは結構なことだと思うんですが、登場されたわけなんですが。
三年ぐらい前の予算委員会で申し上げたことをもう一回お伝えをしておきますけれども、岩田副総裁は、高橋是清元蔵相がおやりになった高橋財政というものが非常にデフレ脱却に有効だったという、そういう論陣を張られて、二〇〇四年にそういう本もお出しになって、そしてそれをやるんだということで、まあ明確な意思をお持ちになったのは結構なことだと思うんですが、登場されたわけなんですが。
調べてみたら、松平慶永が大蔵卿になって以来、大蔵省、財務省という日本の財政をつかさどるトップは約三十人いるんですが、麻生大臣を超える人は松方正義と、そしてあの高橋財政ですよね、高橋是清。松方さんも高橋さんも、松方財政、高橋財政と評されます。 麻生財政とは、どう自分なりに自己評価をされていますか。麻生財政とは、自分なりの自己評価をどうされておりますか。
積極財政をとることによって、これはいろいろな数値があるんですが、一つの研究によりますと、御紹介させていただくと、世界恐慌のとき、マイナス一〇%成長であった日本経済、高橋財政によりまして、翌年から名目でプラス七%成長になっております。これを三年間続けるということによって、この間のインフレ率を見てみると一%にとどまっているという状況であります。
今ほどお答えいただきましたとおり、高橋財政の成功、これは、デフレ経済下におきましては、金融緩和政策に加えて、やはり財政出動による有効需要の拡大、これが有効であるということを歴史的に示しているのではないかというふうに受けとめております。 本来、アベノミクスの三本の矢、この中には財政の機動的出動というものが含まれていたというふうに承知をいたしております。
この高橋蔵相がいわゆる高橋財政を始めました一九三一年から二・二六事件で倒れる一九三六年までの間の日本経済でございますけれども、物価上昇率がプラスに転じ、また経済成長率も高まっておりまして、日本は世界に先駆けてデフレ不況から脱却をできたというふうに認識をいたしております。
それから、以前の予算委員会で総裁にお伝えしたことがあると思うんですが、今回退任される岩田副総裁を始めいわゆるリフレ派という皆さんは、戦前の高橋是清元総理、大蔵大臣、日銀総裁の、この高橋財政時代にかなり緩和的な金融政策をやった、そのことによってデフレを脱却した、それを参考にするという主張を二〇〇〇年代の前半に随分しておられて、その方々が、今回の若田部候補もそうなんですが、日銀の実際の幹部になっておられるわけでありますが
内外金融分離をして大幅な金融緩和をしていたので言わば高橋是清さんの時代の高橋財政と言われるものは成功したという言い方をしているんですが。確かに内外金融分離は高橋大臣のときにしました。しかし、金融政策についてはちょっと認識も間違っておられますので、この辺り、少なくとも、そういうことを主張しておられた方も今執行部に入っているわけですから、よくよく御議論をいただいた方がいいかなというふうに思います。
○大塚耕平君 そこで、予算委員会のときには麻生大臣にも完全には説明し切れませんでしたので、ちょっとこのA3の方の大きい、高橋財政とは何だったのかというこの資料を御覧いただきたいんですが、お手元ございますか。大きい方が、秘書官の方、もしあれでしたら、大きいのをお渡しいただいた方が見やすいと思いますので。カラーでお配りしていますので。ちょっと大臣にお渡ししてください、委員部。
それでは伺いますが、同じ年の十一月に、日銀による国債直接引受けに至る政府・大蔵省と日銀の協議の経緯及び内容はさっきお伺いしましたが、この今御覧いただいている高橋財政の中で、この国債買取り制度というものを日銀がやりました。さらに、国債担保貸付制度、これちょっと専門的なんですが、赤字で書いてあるところが本質です。
そこでお伺いしたいんですが、いわゆる戦前の高橋財政、一九三一年から三六年の高橋是清蔵相時代の国の経済政策の概要を財務大臣にお伺いしたいと思います。
そういう中で起きたのが、あえて高橋財政と比較をすると、上の三つはもうほぼ同じことが起きているんです。
○参考人(井手英策君) 高橋財政がまず成功だったかというのは難しくて、一つは、経済成長という意味ではおっしゃったように成功だと思います。ただ、財政再建という意味でいうと、これ実は失敗しているんですね。 経済成長をなぜしたかというときに、一つは戦争、満州事変を起こしていますので、ですので、大陸に対して言わば暴力的に輸出を増やしていったというのが一つですね。
さらに、今回のですよ、今回の量的緩和、今日銀がやっている量的・質的緩和も財政への資金供給は目的ではない、しかし高橋財政と異なり、副作用として既に巨額の財政支出をファイナンスしている、銀行が買った国債はワンタッチで日銀に転売され、最終的に日銀資金が財政支出を補っていると書いていらっしゃるわけです。
これが高橋財政のときと違うんですよ。 高橋財政のときは、国債の日銀引き受けという金融政策のレジーム転換で、一気にデフレ予想をインフレ予想に変えました。そして、財政拡大につなげました。しかし、二・二六で高橋是清さんが暗殺されて以降、歯どめがきかなくなるんですね。どんどん貨幣の供給量を軍部の要求でふやし続けて、それを日銀が引き受けるという形でやらざるを得なかったんです。
一九三〇年代の高橋財政によって開始されました国債引き受けと同様、歴史の教訓としてしっかりと記憶にとどめておく必要があるというふうに考えております。
○山本(幸)委員 高橋財政の歴史についてはちょっと認識が間違っていると思うので、いずれゆっくりやりたいと思います。 そんなことを言ったって、世界じゅうでデフレは日本しかないんですよ。そういうときに、それを脱却する手をして、名目成長率を上げなくて、財務大臣として税収を上げられるんですか。私は心配ですね。いずれまた改めてやります。 終わります。
それから、高橋財政でございますけれども、これも議員御指摘のとおり、この教訓について、あるいは事実そのものについても必ずしも十分に理解が行き渡っているというふうには思いません。 高橋財政について、これはいろんな側面がございますけれども、日本銀行が国債を引き受けたということがよく指摘されるわけでございます。
日本では、例として一九三〇年代の高橋財政があるでしょう。あのときに非連続的にインフレになりましたか。 あのときは今よりもっと強硬なことをやったんだよ。日銀の直接引き受けをやったんだよ、国債の。そして、非連続的にインフレになりましたか。なりませんよ。インフレ率は二、三%で安定したんだ。金利も上がらなかった。同じことをやればいいじゃない。 その日本についての歴史は無視している。
○白川参考人 まず、高橋財政について一言だけ申し上げますけれども、先ほど、国債の引き受けとの関係で御質問がありましたので、その点についてはお答えいたしました。 しかし、高橋財政の政策を全体として見た場合に、金本位制に復帰した後、それをまたもとの体制に戻していくということで、金平価時代のいわば人為的に高かった円相場、これをやめたわけであります。
○白川参考人 高橋財政下の政策運営でありますけれども、現在、日本銀行は、国債の引き受け、これは原則できないということであります。国会の承認を経た範囲内で、現在、満期を迎えた国債の借りかえ、これは行っておりますけれども、しかし、財政法の規定に従って日本銀行は行動しないといけないわけでありまして、国債の引き受けという形での金融政策は考えておりません。
○富岡由紀夫君 何か今日の記事によると、日銀さんのリポートで、戦後の財政悪化の原因を、日銀が国債を引き受けたことによって、これ高橋財政のときのレポートでということで報道されているんですけれども、是非そういうことにならないようにしっかりとやっていただきたいと思います。 そして、日銀さんも日本の経済の今年度の見込み、下方修正されるということでございます。
これは、御存じのように、いわゆる一九三〇年、通称昭和の恐慌と言われたときの話で、高橋財政とよく言われるものですが、これは、今でいえばいわゆる日銀引き受け、当時は太政官札というような形でやられたのが一点と、もう一点は、いわゆるインフレターゲット論みたいな感じになろうかと思いますが、そういう意味での金融政策というものの重要性を二つ語っておられるんだと思って、あれを拝読させていただきました。
デフレファイターとして、大臣御存じのとおり、大変見事な高橋財政を、昭和の金融恐慌の後に高橋財政を切り盛りされた。元祖ケインジアンでもありますし、積極財政論者でもあり、宮澤喜一元総理大臣が第二の高橋是清を目指しましたが、見事にこけた、失敗をしたということでありますが、大変立派な財政家でもあり、政治家でもあった。
これは岩田さんがよく知っているけれども、一九三〇年代の昭和恐慌のときと、アメリカのときと、高橋財政が始まってもルーズベルトが来ても、一気に株は上がりGDPはふえるけれども、銀行貸し出しはそれから三、四年減り続けますよ。それは、だって今キャッシュフローが潤沢にあるんだから、まずそれを使う。だから、銀行が貸し出しをしなければデフレが克服できませんという議論は、事実において否定されておる。
戦前の高橋財政あるいは米国におけるニューディール政策を振り返りましても、デフレ対策といたしましては、金融緩和あるいは為替の対応といういわゆる金融面での対応と、当時は財政支出を中心とする公的需要の創出でございましたが、いわゆる需要創出策、需要喚起策、これが車の両輪である、こういうふうに私は理解をしております。
「改革」に高橋財政やニューディールを組み合わせる可能性は残されていないだろうか。」高橋財政、ニューディールというのは、積極経済による景気下支え、そういう政策であります。政府が今やろうとしていることと百八十度違うことを提言のところで言っているように思えます。 また、座談会がその後にありますけれども、この座談会の冒頭の文章、「日本経済は極めて厳しい状況にあります。
この井上財政から高橋財政に切りかわる、このときに、何と財政の伸び率がここまで、対前年度比三九・六%、すさまじい膨張、拡張財政をすることによって、経済を一気に浮上させていくわけであります。そして、ずっと浮上しましたから、ここから伸びを抑えても経済はとうとう安定化に入る。
ただ問題は、私は高橋財政の研究が本来の仕事でございますので、高橋財政の経験から考えてみますと、高橋財政の時期にも同じようなことをやっているわけです。昭和銀行をつくり、不良債権を抱えてどうするかということをやりながらやったわけでございますが、このときに重要なのは将来のこと、先生が先ほどおっしゃったように二十年先、十年先、これはもうだれにもわからない。