1984-04-18 第101回国会 衆議院 交通安全対策特別委員会 第4号
○辻(第)委員 いろいろ今その理由をお述べになったわけでありますけれども、しかし五十二年当時、当時の高木副社長がおっしゃっていたこと、またその当時高橋航空局長だったと思うのですが、やはりその問題で、五十七年、五十八年度ぐらいをめどに外人機長を日本人に切りかえたい、そういう努力もしたい、こういうお話だった、運輸省もそういう御見解であったと思うわけであります。
○辻(第)委員 いろいろ今その理由をお述べになったわけでありますけれども、しかし五十二年当時、当時の高木副社長がおっしゃっていたこと、またその当時高橋航空局長だったと思うのですが、やはりその問題で、五十七年、五十八年度ぐらいをめどに外人機長を日本人に切りかえたい、そういう努力もしたい、こういうお話だった、運輸省もそういう御見解であったと思うわけであります。
当時の高橋航空局長も大変苦労したわけですが、私も当時その現場にいましたけれども、そのときに「十項目の覚書」というものが署名調印されたわけです。これは航空局長と大阪府や兵庫県の知事も署名しているわけですね。大臣はその覚書持っておられますか。
○柴田(睦)委員 さらに同年の二月二十五日、衆議院の運輸委員会で、当時の高橋航空局長も、「日本航空では当初五十九年ごろと言っておりましたけれども、いまあらゆる努力をしてこれを縮めるようにということを指導いたしております。」「日本人機長に一日も早くかえるということを指導してまいるつもりでございます。」と答弁しているのですが、現在もなおこの行政指導は、貫いているということに変わりはないわけですか。
そういうようなことから、本土−沖繩間の航空運賃の値上げの問題については沖繩のその特殊性を当然配慮していきたい、また、高橋航空局長も、沖繩振興という国家としての政策目的もあり、十分に配慮するつもりである、こういう御答弁もあったわけであります。
でありますから、ああいう三・二六事件があって、その後地元の農民との間は非常にエキサイトしてしまって、これはだれしも考えることでありますが、先ほど高橋航空局長も話がありましたけれども、やはりこの段階になっても何とかして地元の農民の皆さんとは話し合いをして、そして理解の上で円満に解決できるものは解決したい、私はその道をたどり、できればそうあってもらいたい、福永運輸大臣にもそういうことを、しばしば私の意見
○目黒今朝次郎君 いまちょっと聞いておりますと、三条件——司法権の侵害であるとか立法府に対する介入であるとかいろいろ言っておりますが、ただ、航空局長ちょっとお伺いしますが、これは日経新聞が取材した写真入りのこれですが、これはあなたが言ったのか新聞社が取材を間違ったのか知りませんが、「高橋航空局長 最初のボタンをかけ違えたまま突走りたため、最後の最後までボタンの通らない穴(反対派農民)が残ってしまった
その目標に向かって、単に権力と力だけで押しまくるという策をやめて、もっともっと民主的に平和的に話し合うということを早急に実施をすべきだ、こういうふうに思いますが、高橋航空局長、大塚公団総裁、そして国家公安委員長もおいででございますから、それぞれみずからの考え方を明らかにして、安全は万全だという体制をつくっていただきたいと思いますが、最後にそれぞれの関係の皆さんから決意をお述べいただいて、私の質問を終
○委員長代理(三木忠雄君) 答弁整理をして、運輸大臣——高橋航空局長、ちょっと待って。桑名委員から具体的に何と何と何が整備上完全になれば開港できるかということを聞いているわけですから、その点だけ答えてください。
自治体に対して運輸省の航空局長が言ったことがうそだということになれば、今後高橋航空局長の言うことだってみんなうそだということになるわけです。必ず後になってひっくり返る。公団総裁だって、今井総裁が約束したことを総裁が変わったから責任がないと言われたら、航空局長や総裁にも、これから私どもこういう委員会で何を聞いてもそれは後になってひっくり返る、だまされる。