1997-11-28 第141回国会 衆議院 外務委員会 第5号
以降、いろいろ関係国の間に話し合いが進められてまいりましたが、現在、日本側としては、高橋大使を中心にいたしまして、米国を初め各国と話し合いを進められておるところでございます。
以降、いろいろ関係国の間に話し合いが進められてまいりましたが、現在、日本側としては、高橋大使を中心にいたしまして、米国を初め各国と話し合いを進められておるところでございます。
そのときに日本も、当時のデンマーク駐在特命全権大使、高橋大使によって、政府の指示を受けて署名をされたというふうに承知いたしております。
先ほどお話しのように立派な緒方大使あるいは高橋大使等に活動していただいたわけでございますが、今のところはちょっと途絶えております。
○安倍国務大臣 実は公使が一人で、高橋大使がやめられましてから婦人の大使がなくなりまして、私の外務大臣の時代に婦人の大使がそのままいなくなってしまったということでは残念だと思いますので、事務当局にも松永次官にも話しまして、何とかひとつ婦人の大使を置くように考えてくれと言っておるわけでございます。
これは高橋大使が署名をなさいました。ですから、署名をなさいましたということは、これを批准するという前提で署名をしたわけなんですけれども、批准するということについての積極的な方針、そして、やるという考えは外務省にはおありになるのでしょうか。
それから、国連婦人の十年の中間年、八〇年ですね、コペンハーゲンで開かれた中間年世界会議で各国が署名しましたとき日本政府は署名を大分渋っていたけれども、婦人たちの要望が大変強かった、そして私たちのただ一人の女性の大使であるデンマークの高橋大使が政府代表として署名をしたわけです。ですから、採択もし署名もしている。
ちにそんなものは振り捨ててというようなことも、日本の油の状態、それから湾岸諸国のいろいろな、複雑ではございますけれども、そういう国々もじっと見ておりますし、これが単に日イ両国だけの問題かどうかということもこれは問題でございますし、いろいろなことを勘案して、そんなに長くは待てませんけれども、三井側も表面は別でございますが、裏でかなりのいろいろな動きもしているようでございますし、日本の新しくかわった高橋大使
非常に慎重な審議が行われたというふうに思いますが、あのときの高橋大使のサインは、諸外国に対しての体裁を考えて、そして軽々なサインであったかどうかということについてお伺いをしたいと思います。
高橋大使と言えば、かつて労働省においてそれぞれ上下に机を並べた三人の方々が、いまや一党の副委員長、一人は大使、一人は何とかといううわさがあるわけでございます。あるいはまた、昨日は初代の駅長さんが島根の方に生まれた。