2018-02-26 第196回国会 衆議院 予算委員会第四分科会 第2号
例えば、幕末から明治にかけての人物では、吉田松陰、高杉晋作、坂本竜馬、こういった人たちの名前がばっさり削られているんですよ。そして、そのかわりに、考えさせる教育ということで、なぜか南京大虐殺、従軍慰安婦、基地反対運動、ベトナム反戦運動、戦時性暴力といった、こういう言葉を載せろという形になっているんですけれども、この高大連携歴史研究会というのはそもそも何であるのか。
例えば、幕末から明治にかけての人物では、吉田松陰、高杉晋作、坂本竜馬、こういった人たちの名前がばっさり削られているんですよ。そして、そのかわりに、考えさせる教育ということで、なぜか南京大虐殺、従軍慰安婦、基地反対運動、ベトナム反戦運動、戦時性暴力といった、こういう言葉を載せろという形になっているんですけれども、この高大連携歴史研究会というのはそもそも何であるのか。
○長谷川岳君 プーチン大統領との会談、十二月十五日を予定されておりますが、この日は、くしくもあの高杉晋作が功山寺にて挙兵をした日でございます。明治維新に直結した重要な日なんです。二〇一二年の総選挙、これ十二月十六日、高杉晋作が馬関を襲撃した日なんですね。それから二〇一四年、総理が決断した総選挙、これ十二月十四日、これは高杉晋作が長府に戻って遊撃隊を仲間に入れると。
箱根駅伝で優勝したのは青山学院大学、監督の名前、原晋というのですが、高杉晋作の晋であり、安倍晋三総理の晋です。辞書を引くと、進むという、前へ進む意味、それしか、一つしかありません。だから、本気で前へ進んで人材を育成していくと。 そういう中で、日本の原子力科学技術の水準を維持向上させていくための原子力人材の継続的な育成が重要と考えます。
大河ドラマに登場する高杉晋作の晋、安倍晋三総理の晋です。辞書を引きますと、前へ進む、意味はこれ一つしかありません。今年の宮中歌会始のお題は本ですから、本気で前へ進むということで、来年はお題は人です。人材をつくっていくということだと思います。本気で前へ進んで人材をつくっていく。まあ三の話をすると、もう時間、あと一分しかありませんから、話はしませんけれども。
○江島潔君 現在、「花燃ゆ」が絶賛放映中でございますけれども、高杉晋作の辞世の句が今この委員会内に響き渡りまして、何か背筋がぴりっと私も伸びた気持ちでございます。 山陰側というのは、日本海側といいますか、余り陰という言葉を使わない方がいいのかもしれませんが、日本海側というのはやはり、山口県でいうと瀬戸内側というんですが、太平洋側ですか、に比べると異なる発展をしてきた地域だと思います。
これを大いに論じるということは、まさにかつて松下村塾で吉田松陰やあるいは高杉晋作や久坂玄瑞が将来の日本をどうするかということを議論し合ったことと全く気持ちは相通じるんではないかと思います。
さて、江戸時代末期に活躍した高杉晋作は、当時の幕府の政治に飽き足らず、倒幕運動に力を入れる一方で、古い身分制度や出身にこだわらず、能力に応じた画期的な奇兵隊をつくり、幕府との戦争に勝ちました。
安倍総理のふるさとにある吉田松陰の松下村塾は小さな学びやでありますけれども、その私塾の門をたたいた高杉晋作や久坂玄瑞等、日本を変えていく、大きな志を、夢を持った若者たちが集い、教育を受けました。 また、私の地元である埼玉県嵐山町にも、日本農士学校を開いた安岡正篤先生がいらっしゃいました。総理大臣を経験された多くの政治家や経済界の方たちが集い、教えを受けていらっしゃいました。
実は、私は高杉晋作の大ファンであります。安倍総理と同年齢の新人議員ではありますが、最も国民の意識に近い国会議員の一人として質問をさせていただきます。 まず、私が政治の世界に入って一番感じたのは、政治家の先生方は全体に元気で、非常に若く見えます。実は、長寿社会を自立しながら有意義に過ごす秘訣を、政治家の皆様が自然に身につけているように思います。 では、最初の質問です。
総理としてやれることを全力で頑張っていただきたいと思いますし、故郷の高杉晋作さんがつくられた奇兵隊、雷電のごとく改革を前に進めていただきたい、このことをお願い申し上げ、幾つか喫緊の課題について総理に伺いたいと思います。 まず、北朝鮮です。 核実験をやるというような報道があります。
高杉晋作、久坂玄瑞、品川弥二郎、伊藤博文、山県有朋とか、ここでもたくさんの人材を輩出したという。これはまさに水戸学にあるということだけ申し上げて、教育の重要性をお話ししたいと思います。 ありがとうございました。
さて、総理は、山口は長州の出身で、高杉晋作が好きだと言われたことがあります。彼の辞世の句に、面白きこともなき世を面白く住みなすものは心なりけりというものがあります。そこで、一刻も早く総理に自由な身になっていただきたく、総理を代弁して総理の心境を句にしてさしあげたいと思います。面白きこともなき政権面白くひっかき回していざさらば。
きょうは、先ほどまでいらっしゃったのですけれども、高村先生、山口県の御出身でございますが、私自身も山口県副知事を三年余り務めたことがございますが、山口県で人気のある三人と申しますと、吉田松陰と高杉晋作と伊藤博文、この三人でございます。 そこで、松本大臣には平成の伊藤博文となっていただきまして、この大地震の後の日本の国を興されたいというふうに思います。
私のイメージする高杉晋作という人はかなり大ぶろしきを広げる人であったと、こんなふうにも思っております。そのことが、それに加えて、私が奇兵隊内閣と申し上げたのは、奇兵隊内閣と申し上げたのは、(発言する者あり)いいですか、お聞きいただけますか。私が奇兵隊内閣と申し上げましたのは、奇兵隊というのは、代々の武士だけではなくて一般庶民が参加をして成り立った政権といいましょうか、奇兵隊であります。
あなた自身を奇兵隊を率いた高杉晋作になぞらえたおつもりでしょうが、我が郷土の英雄である高杉晋作は、こそくな手段を弄して自らの責任を回避するようなひきょうな武士ではありません。あなたが守ろうとしているのは国家国民ではなく、あなたの内閣自身なのです。 総理は、所信表明演説の冒頭で有言実行内閣を高らかにうたっておられます。 しかし、総理、あなたは昨日の衆議院本会議で驚くべき答弁をされました。
奇兵隊は、身分制度にとらわれない武士階級と農民、町民から成る混成部隊として、高杉晋作によって発案、組織され、幕末の動乱の中、多大な成果を上げました。一方で、奇兵隊は大変動きが機敏であったことで有名ですが、総理は、会見で、逃げ足が速いと言われました。その意味でいえば、総理、あなたと全く同じではありませんか。
総理、予算委員会も開かずに逃げるのは、高杉晋作ですか。逃げの小五郎ですよ。総理の見解を伺います。 また、菅総理は、著書「大臣」の中で、与党の党首が交代したときは、「衆議院を解散し、総選挙で国民に誰を総理にするかを問うべき」と書いておられました。この言葉を守らない答弁を繰り返しておられますが、それができないのなら、うそをついてごめんなさいと謝るべきです。
萩は、吉田松陰、高杉晋作、二十九歳で亡くなっているんです。若い時代に完全燃焼して今も語り継がれている。これは刀や鉄砲ではなくして思想で時代を変えたという、そういうことなんだろうと、そう思っています。 最後に、高杉晋作が亡くなるときに詠んだ歌、辞世の歌、五七五七七です。「おもしろきこともなき世をおもしろく住みなすものは心なりけり」。
いに出して、私の地元にも幕末の前に村田清風という家老がいまして、言わば藩内において改革を断行したわけでありますが、当時も大変批判が強く、彼は結果として必ずしも幸せな人生を送ったとは言えないわけでありますが、彼のライバルの家老はむしろ財政出動を進めたということであって、当時からどちらが当たっていたのかということが言われてきたわけでありますが、基本的には、この村田清風につながる人々、吉田松陰先生とか高杉晋作
総理は所信表明演説の中で、福沢諭吉の「出来難き事を好んで之を勤るの心」という言葉を取り上げましたが、この福沢諭吉や幕末明治の日本の夜明けを築いた人たちの中でも、特に吉田松陰や高杉晋作を尊敬されていると聞いております。その松陰をさかのぼること二百年前、江戸時代の前期に、貧困の中で苦学して大成した伊藤仁斎という思想家がおりました。
そこから高杉晋作、久坂玄瑞、品川弥二郎、伊藤博文、山県有朋、日本を代表する人たちを輩出をしたということです。 そして、薩摩の西郷隆盛、水戸学のもう一人の第一人者と言われる西郷隆盛の教えを受けて、やはり吉田松陰と同じ考えを持って郷里の薩摩に帰って、加治屋町という今も鹿児島駅のすぐ近くにあります小さな町です、ここで郷中教育という教育を始めました。
そして、吉田松陰が育てた人は高杉晋作という人です。お互いに二十九歳で亡くなっています。高杉晋作が辞世の、亡くなるときに詠んだ歌、「おもしろきこともなき世をおもしろく住みなすものは心なりけり」、時間ありませんから復唱しません。 やっぱり心の持ち方次第で環境は変わるという、そういうことを考えると、家庭教育、これを原点だという、そういう考え方について大臣のお考えをお尋ねしたいと思います。
○保坂三蔵君(続) 長州きっての英傑で、総理も名前の一字をもらっております高杉晋作、総理としての大先輩である伊藤博文公など面々たる人物に伝承され、彼の教えが現実の政治活動に生かされ、近代日本の礎が築かれたのであります。安倍総理の体内にも、脈々と明治維新のDNA、遺伝子が受け継がれているに違いありません。