1979-05-08 第87回国会 参議院 地方行政委員会 第6号
その方向に向かっていま車の両輪が走っていくんだというふうに考えた場合、高度経済成長で産業基盤の育成に一生懸命きゅうきゅうとした日本の行財政、国家総動員的な姿で高度経済成長策を推進していった。今度は一体どうかということになると、これは高度な福祉国家へ向かって、社会を建設することに向かって走っていくんだという大きな国策の転換をいま迎えているわけでございます。
その方向に向かっていま車の両輪が走っていくんだというふうに考えた場合、高度経済成長で産業基盤の育成に一生懸命きゅうきゅうとした日本の行財政、国家総動員的な姿で高度経済成長策を推進していった。今度は一体どうかということになると、これは高度な福祉国家へ向かって、社会を建設することに向かって走っていくんだという大きな国策の転換をいま迎えているわけでございます。
さらに、三木内閣は、田中前内閣の高度経済成長策の失敗、それから例の列島改造論による自然破壊や環境破壊、あるいは金脈問題などの政治的疑惑等に対するいわば国民的な批判や非難というものに対する反省として誕生したものと思います。
たとえば高度経済成長策と公害、あるいは核持ち込みと国民の拒否、あるいは具体的な例としては最近の原子力船「むつ」の問題など、あげたら切りがないのですが、そうした場合における市民運動的なものに対して警察がとる態度、国の政策を物理的に強制する措置として反対市民の弾圧だけをはかるというようなことが、やはり残念ながら散見をされる。そういう中から、市民の捜査に対する協力というものが自発的に生まれるはずがない。
おまえ二百四十万、二百五十万取っているから追い出すぞなんということは、いままでの高度経済成長策時代の施策であって、今日この苦しい生活というものを国民が実感としてとらえている現状においては、もはやこれは修正すべきである。凍結ということばを使いましたが、それが最善なるものであるという信念を私は持っているわけなんです。時代は変わっております。あの当時の時代とは条件がすっかり変わっております。
○戸田菊雄君 関連ですから終わりますけれどもね、結局戦時中は年金を戦費調達の手段としてやったと、戦後は、言うとおり皆さんが進めておるこの高度経済成長策に全部資金として流入しているでしょう。
高度経済成長策には、人間の魂をみがきあげようという理想がない。いうなれば、人間を“資源”としてだけ確保しようとする方向が強すぎる。」これは冒頭に出ているわけですね。私は、これを見まして、かなりすがすがしい気持ちになったわけです。たいへん気持ちのいい発言だと思うのです。共産党が大臣を評価するのはきょう初めてでありますけれども、この気持ちには変わりがないわけですか、お伺いしてみたいのです。
それで、この前に予算委員会で政府の所得倍増計画はこれは死んだのではない、なくなっているのではない、いわゆる今後の政府の経済政策も所得倍増計画の線に沿うてやっていく、ただ高度経済成長策は、三ヵ年九%、これは今月で終わりである、そういう御答弁を得たわけです。しかし、所得倍増計画自体は生きているのであって、その線に沿うていくということでございます。その点、もう一度確認しておきたいのです。
御承知のように、日本経済の最も特徴的な現象は、高度経済成長策によって、産業構造の重化学工業化が進み、さらにIMF八条国移行、OECD加入等の開放体制を迎えて、大資本を中心として、資本と生産の集中、系列化がきわめて強化されてきたということであります。
一体、農業の近代化、適正規模化、協同化、機械化、しかして零細農保護を中心眼目とする方針を立てずして、ただむやみに進められる高度経済成長策は、事実においてやはり貧農切り捨て政策以外の何ものでもないではないか。はっきりとした御返事を願いたいのであります。 次に、私は中小企業について伺いたいのであります。