2002-11-13 第155回国会 衆議院 経済産業委員会 第6号
実は、ちょっと手前みそで恐縮ですけれども、私は、戦後の日本の経済を考えたときに幾つかのステージがあったんだろう、こう思っている中で、例えば、戦後直後というのは焼け跡経済時代、こういうふうに思っておりますし、そしてその後はいわゆる高度成長経済時代があった。
実は、ちょっと手前みそで恐縮ですけれども、私は、戦後の日本の経済を考えたときに幾つかのステージがあったんだろう、こう思っている中で、例えば、戦後直後というのは焼け跡経済時代、こういうふうに思っておりますし、そしてその後はいわゆる高度成長経済時代があった。
そうすると、訪販品の場合は一四・六%と、これはまた高度成長経済時代のような形に伸びていると言っても、差し支えないと思うのです。一般化粧品の場合が一〇六・八%でありまして、大体六・八%の伸びでありますから、現在の成長よりはちょっといい、こういう格好になりまして、全体的に見まして、訪販品の伸び方が、これは異常と言ってもいいくらいの伸び方を示している。
○滝沢分科員 差し控えたいと言うのですが、どうかひとつ閣議等の余談なりと、こういう叫びが出てきたよ、そして私は本当は日本が高度成長経済時代のお金のあるうちにそういうことをきちんとしていただきたかった、そして例えば毛沢東の遺言で中国が穴を掘っているならば、世界でただ一つ核爆撃を受けた国ならば、穴を、ごうをこれは整備すべきであったと思うのです。
この期間は第一次オイルショック直前のまさに高度成長経済時代の高い弾性値を反映しておるわけでございますが、その後、つまり四十九年から五十六年までの実績弾性値をとってみますと、これは〇・九二、一を割っておるわけでございます。
○国務大臣(宇野宗佑君) 行財政の改革におきましては、高度成長経済時代の制度、仕組み、慣例、これを全面的に見直すべきであるというお説でございますが、私も同感でございます。すでに閣議決定いたしました昭和五十五年行革におきましては、仰せの精神をもってその内容といたしておりますので、御了解賜りたいと存じます。
かつての高度成長経済時代のような収益率というものは、それはなかなかもうむずかしいのではないか。最近で申しますと、私どもは五十三年の九月期の決算は三月期の決算よりは少しはよくなるのではないか程度のことは考えております。
ところが、その問題点というものは、この生産に輸入を足しまして、それから輸出を引いたところの国内向けの供給量の問題でございまして、それが安定的に推移する、低成長経済に見合ったものであったならばいいわけでございますけれども、業界はわれわれ生産者はもとより、川下の方の流通段階の問屋さんあるいは小売の段階と、これは全部高度成長経済時代の体質のまままだ残っております。
こういう時代になりますと、国民の生活水準はさきの合併を済ました後でも休みなく上昇を続けておりまして、これは高度成長経済時代に特にその上昇率が激しかったこともあります。
その場合に、高度成長経済時代でありますれば、太平洋ベルト地帯の工場のほうへ行って、そして、そこに過密地帯をつくったというようなことでありまするが、そうでない国土の均衡ある発展を期していこう、それからまた、環境のよい現在の農村や漁村で生業にいそしんでもらおう、こういうことになってくると、そこに適切な工場の導入とか、その他の就業機会があって、そしてその農村における農家、漁村における漁家としての収入が向上