1966-04-15 第51回国会 衆議院 決算委員会 第20号
利用者の側が高島鉱業所の従業員及び家族であり、この高島鉱業所が従来持っておった船をやめて、かわりに野母商船がこの航路の経営をする際に、鉱業所側といたしましては、野母商船に対して、非常に大きな援助をいたしております。これは野母商船にとりまして、この補助がなければ会社がつぶれるという程度の大きな補助でございます。
利用者の側が高島鉱業所の従業員及び家族であり、この高島鉱業所が従来持っておった船をやめて、かわりに野母商船がこの航路の経営をする際に、鉱業所側といたしましては、野母商船に対して、非常に大きな援助をいたしております。これは野母商船にとりまして、この補助がなければ会社がつぶれるという程度の大きな補助でございます。
ただいまの高島鉱業所の問題でございますが、これはいまのお話のような経緯で、従来無認可的な割引きであったのを、はっきりと割引きにさせるということで、特殊団体割引きということで認可をいたしたわけでございます。このような例はほかにはございません。この高島の従来の経緯並びに特殊性から、暫定的に、私どもとしてはこういう措置を認可をいたした次第でございます。
これが暫定的というのはいつまでかということですが、いま申し上げましたように、経常をしている野母商船、高島鉱業所、この両者と十分、法の趣旨、全体のやり方等について話し合いを詰めて、現在やっておるところでございますので、何月何日までということでなくて、なるべくすみやかにいたしたいということで、御了解を願いたいと思います。
現地より参加された自由民主党の藏内修治君、倉成正君、木村守江君、日本社会党の中村重光君、多賀谷真稔君、滝井義高君、井手以誠君、民主社会党の伊藤卯四郎君とともに視察を行なった個所は、日鉄二瀬鉱業所、三井田川鉱業所、船尾地区炭鉱住宅、国見地すべり地帯、伊万里土地造成予定地帯、国見炭鉱、三菱高島鉱業所、日鉄伊王島鉱業所、三井三池鉱業所等々でありまして、この間、博多を初め各鉱業所、県庁等において懇談会を開き
従って、この期末手当の問題は、まず金額そのものよりも交渉権の問題をめぐりまして紛争が長引いたわけですが、十一月の十三日にストライキに入りまして、高齢炭鉱は当時炭労の指令によって三菱の高島、私どもの高島と北海道の美唄炭鉱、さらにその後十日ばかり経過いたしまして、端島炭鉱という、高島鉱業所の中にやはり別な離れ島に端島炭鉱というのがございますが、この三つが炭労の指令によって重点ストライキに入ったわけです。
○原参考人 三年間のうちで高島鉱業所が一カ所だけ保安放棄をした、これは非常に危険な要素の一角である。いわゆる氷山の一角であるという陳述がございましたが、これは事実と違いますので、よしあしはともあれ訂正いたします。 高島に起きました問題点の具体的な事実だけを言いまして、理由はあとからいたします。保安要員というのは大体二割程度出しておりました。
石炭鉱業におけるけい肺に関する協定は、二十五年十二月十一日締結された三池炭鉱におけるそれが最初でありまして、その後二十七年の七月の一日、三菱鉱業崎戸及び高島鉱業所、三十八年四月一日、住友石炭鉱業、二十八年の六月十三日、松島、大島炭鉱と、この四社でございまして、現在に至つておるわけでございます。四社の従業員数は三万七千九百五十二名であります。