1981-05-25 第94回国会 参議院 本会議 第20号
高島次官は、伊東前大臣と時を同じゅうして辞表を提出しておりましたが、外交問題が山積をしておる今日、事務次官まで交代することは大変なことでございますので、総理並びに私の慰留に基づいてその任にとどまることになったわけであります。 次に、ライシャワー発言にあるような核積載艦船、航空機の寄港、領海通過は事前協議の対象としないという口頭了解は存在いたしておりません。
高島次官は、伊東前大臣と時を同じゅうして辞表を提出しておりましたが、外交問題が山積をしておる今日、事務次官まで交代することは大変なことでございますので、総理並びに私の慰留に基づいてその任にとどまることになったわけであります。 次に、ライシャワー発言にあるような核積載艦船、航空機の寄港、領海通過は事前協議の対象としないという口頭了解は存在いたしておりません。
○淺尾政府委員 外務大臣あるいは高島次官が辞表を出された、まあ高島次官は留任されましたけれども、私たちが聞いているところでは、帰国後の紛糾について責任を感じてやめられたということでございまして、共同声明それ自体について、外務省、外務大臣あるいは総理大臣との間に意見の不一致はないというふうに私は理解しております。
○伊東国務大臣 高島次官が総理に申し上げたという時期は、たしかブレジネフ書記長がチェコへ行く直前だったんじゃないかという気がいたしますが、あの当時は演習がまだ終わっていない。たくさんの軍隊が配備されている。
○伊東国務大臣 高島次官がと言って例を引かれて、私はおやおやそんなことを発言したのかなと思っていま聞いて、ここでこれをもらったわけでございます。恐らく真意はこういうことじゃないかと私は思うのです。日本外交というのは、要するに日米関係が基軸になっている。そして政治経済とも理念を同じくするいわゆる西側の一員として、その基礎というものははっきりしている。
そういう過程で判決文の問題があるのでございますが、先般も私も直接駐日韓国大使に話しましたし、昨日も高島次官から話しておるわけでございますが、われわれとしては判決文の入手ということにつきましても、今後のことを考えれば渡してもらうことがいいじゃないかということで、やはり今後とも粘り強く、判決文を渡してもらうということにつきましては努力してまいりたいと思います。
その後、昨年の秋になりまして、色丹島にまで軍備増強が行われたということが判明いたしました時点において重ねて、十月二日でございますけれども、高島次官からポリャンスキー大使へ抗議いたしております。その後、十月十九日の国連の第一委員会におきまして大川大使が本件に触れたということも、先生御承知のとおりでございます。
○国務大臣(伊東正義君) いま外務省の高島次官が大使と会いまして、平和裏にイラクと話し合いをして早く停戦するようにというような問題、在留邦人の保護等について話しているはずでございますが、詳細は担当の者からいま御説明申し上げます。
○国務大臣(大来佐武郎君) せんだって、マンスフィールド大使が高島次官を尋ねましたときに、これまでの日本側の措置には謝意を表するということを申しておるわけでございます。
日本、東京におきましては、マンスフィールド米国大使が高島外務次官を来訪しまして、三点高島次官に申し越されております。 第一点は、カーター大統領が今般とりました措置の説明でございます。これは外交関係の断絶、それから食糧、医薬品以外の全面的な禁輸。それから第二は、日本がこれまで米国に対して与えてきました支持に対する謝意の表明でございます。
○大来国務大臣 昨日、マンスフィールド米大使が外務省の高島次官を訪ねまして、一般的に今度の措置の内容の説明と従来の日本側の協力に対する謝意といいますか、それから一般的な要請、これはアメリカの政府がアメリカ自身の対策を公表しておるわけでございまして、その内容に沿っての一般的協力要請がございました。
他方におきまして、マンスフィールド大使が高島次官を訪れまして、このアメリカの措置に対する一般的な協力を求めておるというのが現状でございます。
そこで、このマンスフィールド大使と高島次官との会合の中で、新聞の報道によりますと、高島次官の対応と申しますか答えですけれども、「今後とも米国、他の友好国と緊密に協調しながら、日本としての努力をしていく」、そういう応答をされたということでありますが、これはそのとおりですか。