2002-03-20 第154回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第7号
しかし、二学期からは、飛行場の建設や高射砲陣地の作業、防空ごうを掘ったり、もう月曜日から土曜日まで毎日その作業ばかり。そして、二十年に米軍が上陸して六月の二十三日に沖縄戦が終わったわけです。
しかし、二学期からは、飛行場の建設や高射砲陣地の作業、防空ごうを掘ったり、もう月曜日から土曜日まで毎日その作業ばかり。そして、二十年に米軍が上陸して六月の二十三日に沖縄戦が終わったわけです。
八王子市の石川町に所在いたしました旧日本陸軍の高射砲陣地は、戦後一たん米軍が接収いたしまして、その後五八年に大蔵省に移管されたようでありますけれども、広大な土地につきまして昭和三十八年六月十九日に国学院大学に払い下げがなされております。この経緯について。
高射砲陣地、それは防御用である、いちずに敵の空襲に対する防御用の高射砲陣地である、これは軍事的システムじゃない、そんなばかな論理がどこにありますか。ですから、言えないのであなたは黙っているというふうに理解をしておきます。高エネルギーレーザーまたは粒子ビームをもって敵のミサイルの電子回路を無能化するものである。
私は具体的に、昭和十四年に起きました高射砲陣地を構築する件について指摘をいたしました。 大ざっぱに申し上げますと、昭和十四年でありますけれども、警戒警報が発令をされた。そして、深夜になりまして警防団が招集をされ、これは下関でありますけれども、高射砲陣地を構築させられたというケースでございます。
この方の話によりますと、昭和二十年の一月に川崎市の高射砲陣地におられて、米軍機の爆撃でまあ木材のようなものが倒れて目に当たって、それから視力を失ったということなんです。その後、現認証明ですか、証人の方の現認証明が要るということでそれを取られた。
これは明確に警戒警報が発令されておりまして、そしていまお聞きのように高射砲陣地を構築する。これは昼は軍の機密に属することですからできない。結果として夜、しかも、いまはいい道路がついているそうでありますけれども、ここは読みましたように登はん路が狭隘で、しかも「屈曲多ク」となっておりますから曲がりくねった道でありましょう。
それぞれの必要な人に辞令を渡して、もらった辞令に基づいて高射砲陣地の築造に当たっている。深夜危険な仕事をして殺された。亡くなった結果、先ほど申し上げましたように町葬の写真もありますけれども、現実にはこのときに、消防でも、あるいはかつての軍隊でも、亡くなられたときに一階級、二階級特進というのがよくありますね。
実態は恐らくそうだったんだろうと思うのですが、高射砲陣地を構築するために警防団がたまたまできたものだから、署長なり、あるいは当時の県庁なり、あるいはそこにいる軍隊、どういう師団構成かわかりませんけれども、そこから何か口頭指示をやったのだろうと思うのです。
○片山甚市君 そうすると、日本の国にあった飛行場は、海軍でも陸軍の飛行場でも機もよう飛び立たなかったし、高射砲陣地も一発も鉄砲をよう撃たなかった、敵に対して撃たなかったというように言ってよろしゅうございますね。日本の国の軍艦、普通の艦船、それから高射砲、それから飛行場が一機も敵に向かって飛び上がることができぬで静かに受け身でじっとしておったと。
○松本(善)委員 べ-シックドクトリンによりますと「攻勢対航空作戦は、通常、敵国領土内の空地における敵航空機、ミサイル及び高射砲陣地、航空基地、指揮統制組織、燃料貯蔵施設、並びに敵国の航空戦力組織を構成するか、又は支援するその他の目標を捜索し、これらを撃破するために、実施される。」ということになっております。これは米空軍の教範でありまして、自衛隊の訳によるものであります。
○松浦(利)委員 計画部長に調べて報告してもらいたいのですが、江戸川区の堀江町に高射砲陣地があるのです。これはいま問題の二円五十三銭で払い下げる云々という国有地がたくさんあるところなんです。そこを区画整理をどんどんやっている。堀江町区画整理組合というのができて区画整理を始めて、これは三井不動産という不動産会社もすでに区画整理に参加している。国有地も初めて区画整理の対象になっている。
その後、具体的に饗庭野になぜ高射砲陣地を設置する必要があるか、あるいはナイキの性能はどういうものであるか、あるいはその設置によりましてどのような公害があるのかないのかというようなことにつきまして、住民代表である町当局なりあるいは町議会議員の方々に十分御説明いたしております。すでに設置されておりまする第一高射群なり第二高射群の実態も見ていただいております。
○大出委員 事務的な点の最後ですが、横浜には例の四カ所の高射砲陣地がございまして、これは前に私が防衛庁長官その他に——福田さんのときですが、質問したときに、こんな時代おくれのものを何で置いておくのか、たまは届きはせぬじゃないかという話をしたら、現在使っている兵器の中にランクされているからしかたがない、しかし、近く何とかなるかもしれぬ、こういうお話でした。
○政府委員(竹中恒夫君) 本日の本会議における緑地保全法に関連いたしまして、ただいま非常に地元民の熱意と申しまするか、そのあらわれとして強く高射砲陣地の問題について、先生の御意見を拝聴したわけであります。
そこで、その一つとして、先日当委員会で私から、横浜市における高射砲陣地解除について、これを公園にするように、政府は努力をしてもらいたい、こういうことを松永局長に申し上げておきました。松永局長は、当時の回答は、これは高射砲陣地を国に返されたけれども、それは条件つきであって、国家公務員の宿舎を建てるためのいわゆる返還である。
そういうふうにして、私どもはすでにこのわずか六万七千坪の中で二万二千坪からの公務員住宅の用地を提供するわけでありますから、先ほどのたとえば高射砲陣地が解放されるということになれば、そういう問題も含んで、私は何でも政府のものだからそれを絶対に認めないということではないけれども、協議をするという先ほどの局長の答弁のような形でないと、私どもはこれはもう決算委員会としてもやはり相当問題になってくると思うのです
そういう中で、一時接収をされておった、いま、国有財産局長から、答弁のありました三カ所は、これは高射砲陣地として実は使用されておったものです。
○相澤重明君 そのときに横浜市としては、この高射砲陣地をいわゆる国に召し上げられたために、市民感情として、これではたまらぬからほかに公園をつくる、こういうことを当時の平沼市長なり市議会はきめたわけです。ところが、高射砲陣地は国に召し上げられたけれども、ほかの公園をつくることが今日まで十分できなかった、こういう経緯のものなんです。こういういきさつのものであります。
これは伺ったところによりますと、戦時中に高射砲陣地として国が借り上げておった。戦後いわゆる農地買収に引っかかりまして国が買収をした。さて、それからが問題なわけですが、これらの人がいわゆる払い下げ手続をとるに至ったまでの経緯を、農林省としてつかんでいる範囲で、ここでお話しを願いたい。
同時に、この地区は、従来戦争中の高射砲陣地として公園を兼ねた約一万坪の土地であったわけであります。ところが、実際の高射砲陣地として使っておりませんでしたので、戦争が終わると同時に、あるいはその前から空襲で焼け出された諸君が、少なくとも約七千坪の空地があったわけでありますから、そこにほとんど無許可で無統制で移住を始めたというのがそもそもの原因であります。
いまお話のございましたこの農地は、実は戦時中高射砲陣地として借り上げられておったのでございます。それ以後、終戦とともに所有者に返還されまして再び耕作され、農地改革の実施の際に約六町歩が国に買収され国有農地になっておったわけでございます。買収後売り渡しが直ちに行なわれませんでしたのは、終戦後の食糧難でいわゆる農業としての耕作適格者でない方が多かったということ。
電波法の関係、あるいは高射砲陣地の関係、あるいは冨岡へどういう部隊を考えておるのかということにつきましては、他の政府委員から申し上げたいと思います。
それから次の問題は、高射砲陣地、これはむしろ専門家の防衛局長さんのほうに聞いたほうがいいのでありますけれども、方々にございますけれども、横浜でいうならば新子安、明神台、岡村、根岸、常盤台、これだけあるわけであります。したがって、全国的には相当の数にのぼるわけでありますが、けさほど来の話のように非常に進んできた状態からながめまして、いまどきどうも高射砲陣地がなおかつ必要だということになるのかどうか。
高射砲陣地が返還になったというのは、多分秋多町だと思うのでありまするが、秋多町では七千三百十五坪でありますから、二百八十七万坪は微動だにしないということでありまして、町村は固定資産税その他で非常に大きな損害をこうむっておる、騒音のためにたとえば工場誘致もうまくいかない、それで基地交付金のことが問題になりますが、据え置きのような交付金で、当該町村から、基地交付金の増額、これに見合うところの補償を一つやってもらいたいということをたびたび
○林(一)政府委員 正確な資料をただいま持っておりませんので、はなはだ恐縮でございまするが、横田基地周辺にありました高射砲陣地が返還になったということは記憶いたしております。
したがいまして、こういうものに対して、それが大きな攻撃目標になるというようなことは私は考えられない、ということは、第二次大戦時における高射砲陣地の状態等を見ましても、はっきり申し上げられるのではないか、したがって、ナイキ・アジャックスを整備したということが他国を刺激するということは私は考えられないのではないかと思うのでございます。
それからもう一つは、今局長が言っているように、軍施設、高射砲陣地というものは一つの例ですが、これはもういやおうなしにそこに手続もくそもありはしません。勝手にそこへ持ってきて高射砲陣地を築いて、いわゆる国土防衛をやったわけです。そうしてそれはどうなると申しますと、軍が撤退する、その土地は少なくとも国有地という形になっておる。国有地になっておると、それは何といいますか、国が利用している土地なんです。
たとえば、高射砲陣地が返還されたものは、そのまま一種の国有財産として向こうに、すぐ民間に返さないで、そのままはっきりした所有権というものが確認されないままに、国がそれを管理している。あるいは自分のものだといっているというような個所が相当あるのです。
○説明員(關盛吉雄君) ただいまお話のございました該当の市町村なりそれらの地域につきましての市街地の整備につきましては、いわゆる旧軍関係の施設が計画されておりまして、途中で戦争の結果それらの施設を存置する必要がなくなったために、従前の計画の進行途上において、それらの施設の自後における措置をしなければならない、あるいはただいまお話のような高射砲陣地であるとか、そういったような施設が、その後のわが国の国内