2016-02-25 第190回国会 衆議院 予算委員会第四分科会 第1号
○馳国務大臣 国立高専は、高専制度が昭和三十七年に設けられた後、地方公共団体からの誘致を受けて、ほぼ昭和四十年代までの間に設置されました。 大阪については、国立高専が設置されなかった事情は把握できておりません。
○馳国務大臣 国立高専は、高専制度が昭和三十七年に設けられた後、地方公共団体からの誘致を受けて、ほぼ昭和四十年代までの間に設置されました。 大阪については、国立高専が設置されなかった事情は把握できておりません。
私どもは、その後、昭和三十三年には科学技術教育の振興に関する衆議院の決議にも参画させていただきましたし、それから高専制度の創設にも三、四年かけて走り回った思い出がございます。この高専制度のときも反対が非常に強うございました。戦後の教育哲学を変更するんじゃないかというような反対でございました。
一方の高専制度は、ずばり言うならば、高度成長の産業界の要請というのが非常に強かったと思うのです。この二つは対照的な誕生、スタートを切ったように私は思われます。
○沢藤委員 私の質問の最後になりますが、高等専門学校制度の分野の拡大ということで、冒頭大臣もお触れになりまして、その御答弁に私は心強さを感じてお聞きしておったわけですが、分野の拡大、つまり先ほどちょっと触れましたように、高専制度、工業関係ですね、高専制度の発足というのは、多分に時代の要請、高度成長、産業界からの要請という側面が非常に強かったと思います。
そこで、高専を四年制の大学に転換するというのは大変な重要課題でございますが、私どもは高専制度の特色を生かすように、まずその内容の改善ということを十分に現在努力をすることが先決である、この段階にあるということを申し上げておきたいと思います。
○井内政府委員 高等専門学校に対しまする入学志願率と申しましょうか、倍率と申しましょうかの推移を見ますと、御指摘のように、高専制度発足当初、三十七年、八年十倍以上でございました。
これは明らかにちょうど三十七年、つまり高度成長の担い手として中堅技術者の養成を目的として高専制度ができたわけでありますが、今日になって見ますれば、それは失敗であった。
○井内政府委員 高専制度が三十七年に発足をいたしましたが、まず入学志願者の状況の推移を計数的に見ますと、当初三十七年、三十八年は、ただいまお話しございましたように、三十七年が十一・五倍、三十八年が十・五倍と十倍を超えておりました。三十九年以降七倍、五倍というふうにダウンしてまいりまして、昭和四十六年以降二倍ということになりました。
○国務大臣(渡海元三郎君) 報じております事実、大体事実ありのままでございまして、御心配かけて申しわけないと思いますが、ただ、いままでの経過から申しますと、一番最初は、秋田大臣が自治大学の構想を発表されましたのは、従来台湾等で実行いたしましたような、医師不足に対する暫定的な措置として高専制度でもやったらどうか。
○木田政府委員 その点も高専制度とともにかねてからの懸案でございました。高等専門学校の制度を示してございます学校教育法の中にも、卒業生に対しましては大学等への編入学ができるように書いてございます。現実にそういう線で高専の卒業生を受け入れてくれております大学も若干の学部数はあがっておるわけでございますが、必ずしもその受け入れ方につきましては高専側の満足を見るような実態に現在のところ至っておりません。
そういうことからいたしまして編入というような道も講じて、できるだけ本人の成長に応じて志望の変化もあり得るわけでありますから、そういう配慮を講ずることはまあ必要だと思いますけれども、だからといって、その一部の不適応ということをあまりに過大に考えて高専制度自体の目標を曲げてしまうということはどうであろうか。
○内田善利君 工業、商船以外に経済界が高専制度を望んでいるようですけれども、農学関係あるいは商業関係、この点の構想はいかがですか。
○内田善利君 高専制度についてはいろいろ問題がありますが、真に高専制度をどうやって生かしていったらいいかということについてはひとつ真剣にお互いに努力していきたい。このように思うわけです。
私は、これから中教審の答申も出るのですが、確かに高専制度というものは今後の大学制度のあり方に大きい意味があるので、新しい学校制度における高専の位置づけは文部省としてもいまのうちに検討しておく必要があるのじゃないかと痛感をしたので、そういう立場から私見を加えながら、提案をしながら御質問します。 この高専制度は、私自身は新しい学制の芽としてきわめて重視いたします。
しかし、社会がどんどんどんどん発達していきますし、社会の多様性に対して単線型だけでこたえ得るかというと、そうではないのではないか、むしろ中学校を卒業した者から、特に技術教育については一貫して、三年、二年合わせまして五年の工業専門の学校というものを六・三・三・四に加えることが、より六・三・三・四の制度の持っておる特徴を補完し、あるいは生かすゆえんじゃないかということで、あの高専制度というものが考えられた
なる技術教育というような高等専門の学校であっても、それなりの教育をちゃんとやるならば、りっぱな技術者としてあるいは科学者として、人間的にもりっぱな人として育つのだそういうことにわれわれは思いをいたして教育に当らなければならない、かように私は考えるわけでございまして、確かに、先ほどもお答えを申し上げたように袋小路のような点は、これはやはり改善をする、改革をするということが必要かと思いますが、私は、高専制度
○村山(松)政府委員 高専制度は、先ほど来大臣からも申し上げておりますような経過で、まず工業でスタートし、その後商船と、それから今回電波が工業の仲間入りをするわけでありまして、文部省としてはこれで第一期と申しますか、そういう名称はつけておりませんけれども、一応一段落と考えております。 なお、その範囲の拡大の御要望、これは農業でありますとかあるいは商業でありますとかございます。
それから、高専制度にしましても、今日これを評価しない人はいないのじゃないか。
あるいは高専制度を導入するというような、単線型から複線型への導入ということも考えられました。今日、大学人口というものは大体百五十万といわれておりますけれども、各種学校に学ぶ者が大体百四十万おる。
大学のほかに高専制度ができたために、大学、高校、中小に高専という四本立てになっておる。この四本立てというところにも大きな問題がまた発生してきておる。文部大臣、小学校、中学校の先生というものは、私きのうも参考人にお尋ねをしてみたのですが、私も脳裏にひらめく幼き日の思い出としては、小学校の先生の印象が一番脳裏に刻まれておる。大臣、いかがですか。
それから、高専制度にするしかたについて、大学局としていろんな御要望もあるので、いま審議会で調査している、検討している、そういう状況でございまして、電波高校についての実態は私のほうにも専門職もおりますし、いろいろ調べておる段階でございます。
いずれにいたしましても、現在本校の窯業教育は転換期にあり、高専制度等についても検討中とのことでありました。現在高校教育の多様化が強く言われておりますが、単に窯業教育のみならず、産業教育のあり方、具体的進め方等については今後研究すべきことの多いことを感じた次第であります。 次に、文化財の保護について申し上げます。
これらは現在の工業高専制度について改善を要する重要な問題であると思います。 第三は、国立青年の家についてでありますが、私どもは国立阿蘇青年の家を視察しました。本施設は実に恵まれた環境にあるりっぱなもので、勤労青年のためのすぐれた社会教育施設であります。
また、実態から申しましても、三年の高等学校と二年の専攻科、しかも、そのうちの大部分が、あとの大部分が実は航海実習でございまして、学校との関連がいまの無理にくっつけた制度で必ずしもうまくいかないものですから、制度としても直さなければならぬという技術的な意味もございまして、そこで、われわれのほうでこの商船教育が高専としてうまく高専制度の中に入るかどうかということを、調査会を設けまして検討をいたしました。
○国務大臣(剱木亨弘君) この問題はさきにも申しましたように、電波通信士の問題のみならず、その他におきましても高専制度に採用してまいりたいという要望が相当ございます。
○剱木国務大臣 高専制度の成果と申しますか、これはことしお説のとおり初めて卒業生が出まして、その結論としては、私どもは一応この制度は成功であったと考えておるのでございますが、しかし、高専制度は、元来がやはり六・三制の一つの制度をはずれましたわき道でございます。これを無制限にどんどんふくらましていくかどうかということにつきましては、多少問題があると思います。
ただ、現在の産業界の実情から申しまして、高等学校と短期大学を合わせました一貫した技術者養成計画の必要性というものが要望されまして、高専制度ができたわけでございます。
第二は、現在の学校制度におきますところの高専制度の存在意義でございます。 第三点は、今年新たに商船高専にまでこの高専制度のワクをお広げになろうということでございますけれども、その理由をお聞かせ願いたいということ。
求人数は、平均いたしまして約五倍、これは、その事実から見まして、高専の卒業者に対します産業界の期待が非常に大きく、しかも、その初任給は短大と大学卒業者との中間に位置づけられておるような状態でございまして、この高専制度が、五年間の一貫教育といたしまして、人づくりと申しますか、技術教育のみならず、人間教育におきましても相当高く評価されておるものと私は考えておる次第でございます。