1975-06-03 第75回国会 衆議院 物価問題等に関する特別委員会 第14号
はっきり申し上げますと、都立の場合は、立川に旧東京府立第二中学校、それから府立の高女がございました。それだけでございましたが、戦後、非常に都心からのスプロール現象が多くなりまして、人口が急激に多くなりました。
はっきり申し上げますと、都立の場合は、立川に旧東京府立第二中学校、それから府立の高女がございました。それだけでございましたが、戦後、非常に都心からのスプロール現象が多くなりまして、人口が急激に多くなりました。
これは訓導、それから公立高女の教諭、公立中学校の教諭、公立実業学校の教諭というぐあいで、これが各職種の現在の受給額。これを調べてみてある。この中の大半は、いまの世の中でこの恩給で生活なんて毛頭できない。だから、これは最低保障という制度が出てくるのはあたりまえだ。大きな矛盾があるからそうなってくる。ところが、最低保障というのは、完全に全部が最低保障で救われるわけじゃない。
最後に、武田喜代子委員でございますが、この方はお茶の水女子大の付属高女を卒業された後に、西條八十等に師事されて、長らく文学活動に従事された方であります。日本放送協会の脚本部に職を奉ぜられたこともありますが、その後放送作家として活躍されており、昭和四十三年六月以降は総理府の青少年問題審議会委員をなさっておられます。
これは某新聞の切り抜きでございますが、ちょっと読んでみますと、「「春たけなわというのに、休む間とてない田中首相は十六日午後、寸暇をさいて東京都内のホテルで開かれた地元新潟県出身の“長岡高女在京同窓会”に出席した。相手が女性ばかりとあって、のっけから「越後女性は日本一。だが私は残念ながら東京でヨメをもらってしまった」と笑わせたかと思うと「新潟にはどんどんゴルフ場を造るといい。
○江崎国務大臣 ちょっと私もその場の実情がわかりませんので、にわかに判断ができにくいわけでありまするが、問題は、長岡高女という、同郷の、しかも御婦人のお集まりであった。そこへ参りますと、それこそユーモアを交えたお話をする。そういう話というものは、えてして前後があると思うのですね。
といいますのは、この人当時鳳来高女という女学校を卒業して、女学校についております専門部に学生でいたわけです。で、近所の豊海軍工廠というところに女子挺身隊として動員されていたわけです。そこの豊川工廠の中で被爆をしているわけですね。そして、頭に破片を受けているわけです。それから三日間というものを傷ついたまま工場の中に放置されていた。
土浦高女関係の方々はうしろの方へ乗っておられたようでございます。ちゃうど前の方へお乗り合せになりました坂戸高校の一行の方に特に大きな死傷者を出しまして、まことにお気の毒の至りでございます。 坂戸高校関係の方々に対しましては、昨日の朝までに現地で荼毘に付しまして、御遺族の方々と御一緒に特別列車で武蔵高萩駅へお送り申し上げました。
なお東の、今のお話の点につきましては、これも御存じかと思いますが、その前には元の府立第一高女と申しますか、鴨沂高校と申します。あるいは立命館大学等がございます。御存じの通りあそこには広場が、運動場がないわけでございますので、それでまああそこでいろいろ遊戯をしましたり、そういう広場にも使っておる。
それからのダイヤの行方は淀橋保善高女にあつた協会倉庫へ、さらに日銀金庫へ納まつたはずだ。」と言われておるじやありませんか。あなたの方に預かり証を出して、そうしてこれを受けて行き、後に米軍の指揮によつてこの預かり証を返して接收されておる事実がある。してみれば、接收に全然関係ないというような、大蔵省の言うことは私は詭弁だと思うが、この点についての見解はどうですか。
またう私の町に県立の高女がございますが、この生徒は川棚の工場に動員されて、間もなく空襲のために倒れております。かような人を、先ほど申し上げましたように、その金額のいかんを問わず、私はこれらすべてを含んでこの取扱いをすべきものだと、かように考えるのであります。 われわれは、八千万同胞がお互いに助け合い助け合つて、同胞の真の霊をこのとき慰めなければならないと思います。
又同じく森下八千代、二十二歳、これは旧制高女を卒業、文書係を一年以上やつております。それから森川孝一、二十四歳、これは会計をやつております、一年以上勤務して、これも労務者と称しております。これは大学を出ている者であります。そのように数々の事例があります。これをあえて日給百五十円、二百二十円の低賃金で使つております。この事情は単なる労務者として考えられるものであるのであろうか、疑問があると思います。
○肥爪政府委員 五七一号につきましては、これは当時通信研究所は五反田、神奈川県の辻堂、それから都下の神代村三の箇所に分散しておりまして、研究業務の能率上あるいは経済上、また庁舎が木造であるため、火災によりまする貴重な研究資料の焼失のおそれ等を考慮いたしまして、一箇所へ集結することが多年の懸案でございましたが、たまたま武野高女が購入できましたので二十四、五両年度にわたりまして改修工事を計画いたしたのであります
それで青蘭高女では星製薬軍需工場に学徒連合を動員しておる。愛知県の豊川の警察隊が豊橋に行進をしたときに、小学校から高等学校の生徒全部を動員して、警察予備隊の歓迎のために日の丸を持つて立たしておる、こういう事例が枚挙にいとまありません。なお念のために申しますと、横須賀の清泉女学校では、すでに防空壕への避難訓練をしております。これは明らかに教育の中に、日本の国の再軍備化が含まれておる。
しかもその沿道には地方事務所、警察署、裁判所、税務署、職業安定所、專賣局の出張所等の諸官署を初めていたしまして、脇町中學校、池田中學校、三好農林、美馬高女の各中學校その他銀行支店等がありまして、これらの通勤、通學する者の數もきわめて多く、また産業方面を見ますれば、米麥、甘藷、葉タバコ、木材、薪炭あるいは和傘等の生産地帶をなしておりますので、そういう物資の集散も頻繁でありまして、産業上から申しましても