1954-10-09 第19回国会 衆議院 法務委員会上訴制度に関する調査小委員会及び違憲訴訟に関する小委員会連合会 第20号
そこでちようどこの二十二日に上訴制度調査のため広島へ出張いたしましたから、同地の弁護士会の諸君や、裁判所側の人々から中田検事の生活態度、性格等を聞くとともに、広島地検の坂本検事等から両家の紛争の概略を話された結果からすると、高坂浪子側の銀行預金云々の主張は信憑性に乏しいと思われます。
そこでちようどこの二十二日に上訴制度調査のため広島へ出張いたしましたから、同地の弁護士会の諸君や、裁判所側の人々から中田検事の生活態度、性格等を聞くとともに、広島地検の坂本検事等から両家の紛争の概略を話された結果からすると、高坂浪子側の銀行預金云々の主張は信憑性に乏しいと思われます。
高坂浪子という婦人でありますが、これを三日間連続的取調べをしまして、三日目には脳貧血を起してぶつたおれて入院したのであります。私のところへ参りました手紙は十五日日付で本人が退院して参りまして、この手紙を書いた。私は何々悪いことをしたか、お前はまつたくの謹告罪の罪人だと言われて調べられた。実に憤慨して、いても立つてもたまらぬで自殺しようと思うくらいであるというごとき激烈なる手紙をよこして参りました。
それから高坂浪子という方が、調べ中に脳貧血を起して倒れたという事実でございますが、これは私どものところに参つておる報告書によりますと、五月の十二日午後一時から約三時間ほどにわたりまして、東城町の警察署におきまして、ほかの関係者と一緒に、広島地方検察庁の坂木検事が波山検事と二人でこの告訴状の状況その他を調べたようでございます。
この事案は、広島県下におきます高坂家の、本家分家の相続にからんだ財産争いでありますが、この事件に広島地方検察庁の中田義正という検事が介在いたしまして、その争いの一方の本家側の高坂浪子という人、及びその代理弁護人でありました池田埓吾弁護士、これをいずれも逮捕留置いたしまして、池田弁護士は四十日ばかり留置されておりました。