1947-12-07 第1回国会 衆議院 財政及び金融委員会 第49号
と申しますのは、この法律に限定せられておりますのは少いのでありますが、一般の雜收入において、大體昭和二十二年度に比べて、二十一年度においては二倍ないし三倍、場合によると五倍くらいに、そういつた料金なり、あるいは價格なりを引上げてありますが、また明年度においても、そういうような問題があるかと思うのですが、大體の趣旨はまさにおつしやる通りにやつているのでありまして、これは法律によつてそういうことのできる
と申しますのは、この法律に限定せられておりますのは少いのでありますが、一般の雜收入において、大體昭和二十二年度に比べて、二十一年度においては二倍ないし三倍、場合によると五倍くらいに、そういつた料金なり、あるいは價格なりを引上げてありますが、また明年度においても、そういうような問題があるかと思うのですが、大體の趣旨はまさにおつしやる通りにやつているのでありまして、これは法律によつてそういうことのできる
和田國務大臣 この二十二年度の推定の方法でありますが、これは御承知のように、今經濟の諸統計資料がなんと言つても不備だと言わざるを得ないのであります、そこで正確なる算出はもちろん困難だということにつきましては、これはあらかじめお斷りいたしておきたいのでありますし、御了承願えると思うのでありますが、大體九千億とこう推定いたしましたのは、これは言いかえると、物的な方法によつて把握したものでありまして、大體昭和十年
○國務大臣(水谷長三郎君) その點に關しましては、これは政府といたしましても非常に責任を感じておるのでありまするが、この國管案が施行されるのは、恐らく早ければ二月、或いは三月というところになるのでございまして、この國管案通過の後におきまして、在來考えておりましたところの生産目標引上げという點は、大體昭和二十三年度から始まるものである、このように我々は考えております。
○水谷國務大臣 昭和二十三年度の計畫を勝手にきめるというようなお言葉でございますが、これは大體昭和二十三年度の日本經濟の情勢とにらみ合わせて需給計畫を立てまして、これだけが必要であるということを、大體中央で作業いたしまして、この國管法に明記されているような順序を經て、ずつと下の方へ浸透していく。
○岩沢政府委員 神奈川縣は、御存じの通り大正十二年の關東震災によつて相當山岳が荒されましたので、大正十三年から相模川とか金目川とか、あるいは多摩川、早川、酒匂川の各流域に對して、いわゆる震災復舊砂防工事を起しまして、大體昭和十三年度で一應完了したのでありますけれども、その後まだ山岳地帶が十分安定しないために、なお十八年度から再び工事を起して、大體工事費が四千萬圓の豫定をもつて直轄工事を施行しつつあるのであります
大體昭和十六年を一〇〇%とすると、燈油は十七年から半減しております。これに對して輕油は十七年度は約一〇六%で、六%殖えておりますが、戰争後非常に減つております。これが大體今までの實績で、これに對して二十一年度の配給實績は、その次の表に書いてあります。
○北(二)委員 先ほど來の米価の問題でありますが、一體昭和九年から十一年までの平均計算をやられるということでありますが、あの當時は實は米穀資金によりまして、國家が十億も出しまして、米の價格の維持に困つておつた時代であります。その一番安いときをもつてきまして、そうして今のパリテイ計算でいこうとすることは不合理ではないかと思いますが、この點について農林大臣はいかに考えられるか。
荷物の面においても逐一これを申しますと、はなはだ数字も多岐にわたり、相當時間を要することでありますから省略しますが、大體昭和二十年度における手荷物および貨物等の事故件数の合計は九萬九千七十二件に上つております。
大體昭和九年から昭和十一年まで十二箇所の國立公園を指定いたしまして、その後昨年伊勢志摩國立公園を指定いたしまして、現在十三になつておる次第でありますが、なお昭和九年から十一年の間に、當然指定しなければならないと考えておりましたが、手續上その他なお調査不十分の關係で、指定されておらなかつたいわゆる候補地というものは、現在約七つあります。
○政府委員(愛知揆一君) 預金部の状況でございますが、大體昭和二十二年詰り本年の六月末の貸借對照表の中の主に貸方と借方とを申上げたいと思います。 第一に貸方の部でございます。郵便貯金が四百五十二億五千餘億萬圓でございます。
これも驚く數字ではないのでありまして、大體昭和十九年から平年度にはこの程度の炭を平氣で使つておつたのでありますから、敢て驚く數字でない。大體におきまして昭和十九年程度の規模に、二十六年度において復したいというふうに考えておるのでございます。 その際に客車の状況、即ち觀光輸送に最も關連のあります優等車の状況でございますが、客車は全體として、先程申上げましたように現在一萬一千ございます。
この請願の本庄川ほか十九河川につきましては、大體昭和十年から、すなわち昭和九年に岡山縣の大水害がありましてから、ようやく地元も砂防工事の必要を感じましたので、國といたしましては昭和十年から岡山縣の砂防に非常に力を盡しまして、それから一定の計畫のもとに逐次渓流砂防を施工したのでありますけれども、その後日支事變が始まつて以來、いわゆる土木事業の壓迫のために工事費が非常に少くなつて、結局今まで著工したものも
また局長が今いろいろとおつしやいましたから、私は局長に申し上げたいのでありますが、一體昭和十四以來飼料が不足になつてきた關係上、配給統制をいたしたのでありますが、その當時は、前にも申し上げましたように百萬トンからの扱いをいたしておつたのであります。それが昨年あたりは三萬トンそこそこになつておるということは、われわれ實にふしぎでならない。
宮城縣の水害は大體昭和十六年、昭和十九年と、この七年の間に三囘の大水害がありまして、その被害地域は今囘の被害地域の大部分であります。殊に栗原、登米兩郡は十六年、十九年にも大被害を受けましたので、七年間に三囘、遠田郡では新聞にもありましたように、屋根に水が達した寫眞が出ておりましたが、あの地方ではさらに十五年の秋にも水を受けまして、四囘の水害を受けたのであります。
殊にただいま御説明を伺いますと、新物價體係を定める一つの基準としては、大體昭和十一年當時における基準年度の價格の今日の價格、竝びにその當時の通貨と現在の通貨との開きからみて、大體六十五倍くらいのところをとつて。ひとつ地ならしをする。もしそれ以上になつたものについては引下げる。あるいはまた地の方策をもつて一般大衆に對する負擔を輕からしめるようにする。
以上が大體、昭和二十年度についての終戰に際してとりました決算的な處置の大體でございます。數字その他につきましては、御質問によりまして調査の上御報告申し上げたいと存じます。
それから値上りの實情を申しますると、最近新物價體制になりまして、その後のはまだ實はできておりませんので少し古うございますけれども、申し上げますと、これは一般船舶についてでありますが、大體昭和十年を大もととして比べますと、六十倍になつております。これは新物價體系のきまる前であります。それから修繕料の方は、やはり昭和十年に比べまして、八十倍程度になつております。
○青山正一君 大體今度の魚價というものは、これは物價廳の一・六倍、これから衆議院の一・九四倍の原案というものは、これは大體昭和九年、十年、十一年、三ケ年を基本として、見たのではなく、ただ單に昭和十一年の一ケ年のみを、それも六大都市の一つである東京魚市場の卸賣相場を參考として、原案を作つたものと解釋されるわけであります。
そしてバス事業に使つておりまする車は一萬一千輛ばかりでございまして、これは大體昭和十五年度ごろの輛數に比べてみますると、約半分に過ぎません。次にトラツクの貨物運送事業でございまするが、業者數は七百三十ばかりございまして、三萬三千輛ばかりの車をもちまして營業をいたしております。ハイヤー、タクシーの關係におきましては、九百余りの業者がございます。
現在の魚價は大體昭和九年、十年、十一年普通基準年度と言われます年代に比較いたしますと、大體四十一倍程度であります。これを農産物、特に米麥の値上り比率に平均をとつて考えますと、さらに二割程度は上げ得るのではないかというふうな考え方ができるのであります。