1958-10-23 第30回国会 衆議院 地方行政委員会 第6号
というのは、私は政治的にも、大臣の裁定によってやられたことが、また大臣の裁定のところに戻ってくるというような二重なことになって問題が出てくるだろうと思いますので、馬籠なら馬龍、あるいは荒町なら荒町という部落が、今度は部落単位でやり、それでもし紛争が今後出てきたとすれば、十三項を発動してやられるかどうか。そういう改正になっているかどうかという点を、一つ神坂の例で具体的に御説明いただきたい。
というのは、私は政治的にも、大臣の裁定によってやられたことが、また大臣の裁定のところに戻ってくるというような二重なことになって問題が出てくるだろうと思いますので、馬籠なら馬龍、あるいは荒町なら荒町という部落が、今度は部落単位でやり、それでもし紛争が今後出てきたとすれば、十三項を発動してやられるかどうか。そういう改正になっているかどうかという点を、一つ神坂の例で具体的に御説明いただきたい。
明治の初年、馬龍村及び湯舟沢村二ケ村併合して神坂村と名命せられ交通通信及びその他文化はその施設に恵まれざるため極めて幼稚なる現状なれば先ず通信文化の発達による村民の文化生活への第一段階とせんとする念願多年に亘り宿望しあり、特に標記のごとき神坂村郵便局分室として無集配湯舟沢郵便局の新設を望む声澎湃として起れり、その主たる趣意を列挙すれば左のごとし。