1978-06-14 第84回国会 衆議院 建設委員会 第15号
その後、昭和四十九年からいまおっしゃいました馬洗川の洪水調節あるいは既得灌漑用水、三次市への新規都市用水という供給目的で、現在灰塚ダムの実施計画、調査に着手しておる段階でございます。 しかしながら、やはり地域の人々にとりますと、自分の先祖伝来の土地が失われるということで、このダムを推進していく上におきましては、どうしても地域の再建対策というのが基本になろうかと思います。
その後、昭和四十九年からいまおっしゃいました馬洗川の洪水調節あるいは既得灌漑用水、三次市への新規都市用水という供給目的で、現在灰塚ダムの実施計画、調査に着手しておる段階でございます。 しかしながら、やはり地域の人々にとりますと、自分の先祖伝来の土地が失われるということで、このダムを推進していく上におきましては、どうしても地域の再建対策というのが基本になろうかと思います。
○川崎説明員 ただいまお話しの三次市の治水の事情でございますが、御承知のように、やはり在来から改修の重点といたしますれば、江川の本線、それから馬洗川の本線、こういったものを中心に私ども改修をしてきたわけでございますが、そういった改修の進むにつれまして、ただいまお話しの、市内を流れております北溝川、それから市外地から入ってきております片岡川でございますか、こういった河川のいわゆる内水の問題が次に重要な
あそこで、江川、馬洗川、西城川、神野瀬川、それから片岡川、北溝川というふうなかっこうで、一緒にもつれ合ってあの災害になったわけですが、そこで、この復旧は原形復旧でなく改良復旧だ、こう解釈してよろしゅうございますか。
たとえば、建設大臣に来ていただきまして、馬洗川の堤防決壊のところに立たれまして、どのくらい堤防をオーバーしたかと言う、二メートルオーバーした、水量の尺度計も役に立たなかったということで、それじゃ原形復旧ではどうもならぬじゃないか、改良復旧以外には方法はないだろうと言って、改良復旧を強く推進をいただきまして敬意を払っておるのでございますが、それならば二メートルほど土手を上げればいいかというだけの問題ではないのであります
三次市では、十一日、早朝には、馬洗川及び西城川の堤防の決壊、また北溝川及び片丘川の小河川の温水により、市内の約八〇%の住家が床上浸水、商店街をはじめとして大きな被害が発生し、特にごみ処理の補助の拡大について要望を受けてまいりました。同市は、広島県下中央部の各河川の集中地点であり、これらの洪水対策についての抜本的な対策が必要であります。
○神門分科員 そのダム建設の目的に沿ってさらに西条川上流の下金田地点あるいは馬洗川上流の灰塚地点にダム建設の計画があるように聞いておるのです。それはどのような計画があるのか、また具体的にどのようないまの準備折衝等の中でその話が出ているのか。
郷川の支流に馬洗川というのがございますが、三次市の十日町地先におきまして堤防が百メートル決壊いたしまして、被害額は五百万円、それからやはり郷川の支流でありますが、可愛川におきまして、吉田町の多治比川の合流点の下が百五十メートル堤防が切れまして被害額が七百万円でございます。 次は補助災害の分でございますが、吉田町の岩城橋が流失いたしております。また毘沙門橋の一部も流失いたしました。
そのために災害が発生いたしておりますが、第一番目に郷川は、広島県内を直轄改修工事いたしておりますが、その区域内におきまして馬洗川左岸、三次市十日町地先でございますが、百メートル堤防が決壊いたしまして、被害額が五百万円、それから郷川の下の可愛川でございますが、吉田町の多治北川合流点の下の左岸が百五十メートル切れまして、被害額は七百万円というふうに聞いております。