1979-11-21 第89回国会 衆議院 大蔵委員会 第2号
たとえば、増税なんかの問題は、過去において馬場鍈一さんが増税をやられたときに、親任式のときに最初の記者会見で増税だと言いましたよ。そして、後で何かで読んだのですけれども、一番きらわれることは一番最初に言っておかなければだめだということを馬場さんが言っておる。これは政治家として心得べき一つの重大なポイントだと思うのですね。
たとえば、増税なんかの問題は、過去において馬場鍈一さんが増税をやられたときに、親任式のときに最初の記者会見で増税だと言いましたよ。そして、後で何かで読んだのですけれども、一番きらわれることは一番最初に言っておかなければだめだということを馬場さんが言っておる。これは政治家として心得べき一つの重大なポイントだと思うのですね。
馬場鍈一氏は加藤内閣……
この案を提案するときに委員会ができまして、高橋法制局長官がその委員長となり、各省から委員が出まして、法制局からは馬場鍈一、松本烝治の諸君が出、逓信省からは私、農商務省から岡実、文部、内務、ことに司法省からは後の政友会総裁になつた鈴木喜三郎君が司法次官で、山内君が民事局長でありましたが、それに大蔵省からは主計局長でありました市來乙彦君が委員になつておつたのであります。
先ず大正十年メートル専用法の提案者、時の農商務大臣山本達雄男爵、その時の法制局長、後の大蔵大臣馬場鍈一氏、貴族院の当該委員長山川建次郎男、衆議院の同じく委員長東武氏及び大阪市メートル促進会会長紫安新九郎代議士等の懺悔転向談等それぞれに見るべきものが少くありませぬが、御参考までにそのうちの一、二を引用して私の理由とする裏付にしたいと思います。