2020-11-19 第203回国会 参議院 財政金融委員会 第2号
一県一行主義というのは、法律ではないんでしょうけれども、馬場大蔵大臣でしたですかね、昭和十一年頃、帝国議会でそのようなことを語っておられます。その頃、昭和十一年の銀行の数が五百二十一であります。御案内のように、昭和二年、日本は世界大恐慌に先駆けて、昭和恐慌を起こしました。千五百七十一あったのが、昭和四年、世界大恐慌の年には千四行まで減っております。
一県一行主義というのは、法律ではないんでしょうけれども、馬場大蔵大臣でしたですかね、昭和十一年頃、帝国議会でそのようなことを語っておられます。その頃、昭和十一年の銀行の数が五百二十一であります。御案内のように、昭和二年、日本は世界大恐慌に先駆けて、昭和恐慌を起こしました。千五百七十一あったのが、昭和四年、世界大恐慌の年には千四行まで減っております。
ところが、昭和十一年の五月一日、馬場大蔵大臣のときに、五分利公債が三分半に切りかえられましたために、日本にありますところの共済組合が全面的に非常な打撃を受け、まさに滅亡寸前にありましたときに、前田米蔵鉄道大臣が、第六十四回貴族院決算委員会におきまして、今度の戦争のために戦時公債を発行するところの犠牲を国鉄の従業員にしいることはできないから、これは全額国庫で負担することにしようということを言明し、昭和十五年
それは先ほど申しましたように、昭和十一年の五月に馬場大蔵大臣のときに低利になりましたときに、前田米蔵運輸大臣のもとで共済組合の資金運用が改正になって自主的に踏み出そうということになりましたときに、株式投資として日本通運の株を買ったというような例がございますが、やたらに株を買うなんということはこれはたいへんに危険千万なことでございますが、御当局の御指導のもとに慎重にこれを行なうような態勢もそろそろ始まってもいい
○池田国務大臣 無記名預金の存続につきましては、議論をいたしたのでありますが、シヤウプ博士の勧告をまつまでもなく、昭和十一年の馬場大蔵大臣のときに、無記名預金の問題で相当議論があつたのでありまして、そのときに結局妥協案としまして、源泉課税という方法を設けたことは御承知の通りであるのであります。