1965-12-10 第50回国会 参議院 本会議 第13号
そしてブルガーニン首相、ミコヤン第一副首相、フルシチョフ第一書記、グロムイコ第一外務次官、フェドレンコ外務次官、こういう人たちとの間に、十月の十三日から十九日の共同宣言の調印に至るまで、本交渉あるいは小委員会、こういう幾つもの会合に分かれまして、きわめて精力的に、しかも真実を披瀝した交渉が記録にとどまっております。これも御参考に申し上げておきたい。
そしてブルガーニン首相、ミコヤン第一副首相、フルシチョフ第一書記、グロムイコ第一外務次官、フェドレンコ外務次官、こういう人たちとの間に、十月の十三日から十九日の共同宣言の調印に至るまで、本交渉あるいは小委員会、こういう幾つもの会合に分かれまして、きわめて精力的に、しかも真実を披瀝した交渉が記録にとどまっております。これも御参考に申し上げておきたい。
その後、帰国後でありましたか、河野謙三君の仲介で、当時のフルシチョフ首相、ミコヤン第一副首相——きょうは、最高会議幹部会議長をやめられたようなことが新聞に載っておりましたが、これらの方々と外交折衝した裏話を聞かないかということであります。私は、その誠意にほだされて、河野一郎氏をはさんで話を聞いたわけであります。
○小林孝平君 この日ソ漁業交渉に関連して、高碕達之助氏が訪ソされると伝えられておりまして、フルシチョフ首相、ミコヤン第一副首相に会って話しをされると、こういうことでありますが、この際、歯舞、色丹の安全操業についても話し合いをされる、こういうことであって、首相とも話し合いをされたそうでございますが、この辺はどういうふうに具体的にお話し合いになったのか、また向こうでどういう話し合いをされるのかということをお
それからまた引き続いて行われた副首相ミコヤン氏の演説もきわめて重要なものであって、特に対外関係においてこの演説は非常に異議を持つものだと、こう考えて検討をいたしておるわけであります。 そこで、その点について詳しい批判を一々いたしますことは、これは容易ではございません。