1998-03-20 第142回国会 衆議院 予算委員会第一分科会 第2号
私も思い出しますのは、一九六四年の九月八日に、F8Cクルーセーダー戦闘機が、厚木基地を離陸直後に、エンジン故障のために滑走路の北千メートル地点の大和市上草柳の館野鉄工所に墜落して、工場も住居も全焼した、こういう事故が起こっております。住民五名が亡くなり、三名が負傷、死者五名中三名は館野さんの息子さんだったわけであります。
私も思い出しますのは、一九六四年の九月八日に、F8Cクルーセーダー戦闘機が、厚木基地を離陸直後に、エンジン故障のために滑走路の北千メートル地点の大和市上草柳の館野鉄工所に墜落して、工場も住居も全焼した、こういう事故が起こっております。住民五名が亡くなり、三名が負傷、死者五名中三名は館野さんの息子さんだったわけであります。
山田 俊昭君 水野 誠一君 国務大臣 郵 政 大 臣 堀之内久男君 政府委員 郵政大臣官房長 天野 定功君 郵政大臣官房総 務審議官 高田 昭義君 郵政省郵務局長 内海 善雄君 事務局側 常任委員会専門 員 館野
また、館野さんが事故を起こされた、住む家もなくなったわけですよ。防衛施設庁が何をしてくれたか。お葬式のとき三百万円持ってきただけです。この人は入るところもないのです。見るに見かねて大和の市長が仮設住宅を建ててくれました。金額は約七十万ぐらいかかったそうです。そうしたら、この仮設住宅にかかった七十万円のお金について、確かに防衛施設庁はしばらくたってから払ってくれました。
この事故のときに大和市の館野鉄工所、そこに米軍機が墜落いたしまして五人の方が亡くなられました。しかも、あれから十四年たつわけでございますけれども、この事故について、被害者の遺族はまだ事件が完全に解決されたという状態にございません。これは長官も御存じだと思います。
○亘理政府委員 三十九年九月にいわゆる大和事故が生じまして、被害者の館野さんには大変痛ましい被害を受けられたわけでございます。この処理に当たりましては、当施設庁の職員が誠心誠意被害者の方々とお話し合いをして、当時においては円満な解決を見たと承知しておるわけでございます。
地域的に言えば谷田部町の小野川、館野、榎戸、赤塚、こういうところにあるし、それから桜村では大角豆あるいは妻木、倉掛、こういうところはひどいですね。この問題は初めから計画のときには予見をされたことだ。もし予見をされてなかったとすれば全くこれは困ったことであって、これに対する対応はかなりしているけれども、なお不満が続いております。これをどういうふうに処理をされるか。
その工事はかなり深い工事が行なわれているために、谷田部町の館野というところでは、そのために、古くから住んでいた農家の深井戸の底が抜けて、そうして水が出なくなっておる。このことについて建設省のある技官に——これは名前を言ってもいいですけれども、その人のために名前は言いませんが、ある技官に話をしたところが、そんなことは知らないという形でうそぶいている。
現在におきましては、札幌と館野と鹿児島の三カ所におきまして週一回オゾンだとか水蒸気の観測をいたしまして、それを集めて、その資料に提供するということを現在やっております。そしてまた、これに関する研究も若干やる必要があるのではないか、こう思っております。
田中 昭二君 久保 等君 米田 東吾君 小沢 貞孝君 出席国務大臣 郵 政 大 臣 久野 忠治君 出席政府委員 経済企画政務次 官 橋口 隆君 郵政大臣官房長 廣瀬 弘君 郵政大臣官房電 気通信監理官 館野
第二組合に行った方々は、市川君、大野君、小林君、風祭君、館野君、東谷君、山田君、ここに市橋君、牧瀬君、高松君、山田君、一場君、それから野老君、矢吹君、こういうように全部新規採用で入ってきて、どっちにも入らない未組織の方がおる。これをくっつけて、今度は片方に全逓に残っている平迫君、私の長年の友人ですが、それに渡辺栄二君。これは、第二組合へはどんなに間違っても行きっこない。全逓から離れる人間じゃない。
どうですか、館野さん。
この路線の中で、一部でありますけれども、昭和四十五年十一月十一日の日付でございますが、館野、三王渕が保留されておったのでありますけれども、正式発表と相なり、一月九日に館野、三王渕というのは発表されたのでございます。
こうなってまいりますと、館野君自身としては何が何だかわからぬ。全く国にだまされたようで、再建しようとしたら不適当だからといって土地は米軍に取り上げられてしまう、あとはあっせんするからということで、四年も五年もたってもまだ目鼻がつかない。
昭和三十九年の九月八日に米海軍のジェット機が神奈川県の大和市上草柳二百十七番地の四の館野正盛所有の鉄工所に墜落して、そして館野君の子供が三人と従業員が二人なくなりまして、工場がめちゃめちゃにされた事件のあったことは御承知のとおりであります。この事件に関連して、その後の処置の問題についていろいろいきさつがございまして、今日までこの事件が完全に片づいておらない。
○山上政府委員 館野さんの問題につきましては、米軍の飛行機が墜落したということのために一家の柱を失われたり、昭和三十九年以来いろいろ家庭的な困難も味わわれた方でございまして、これに対する措置といたしましては、いま先生がおっしゃいましたように、補償の問題につきましては一応解決いたしたということになっておるのでございますが、これらと関連いたしまして、当時の土地が飛行場に非常に近いということで、いわゆる安全措置事業
○館野説明員 お答えいたします。 ただいま施設の建設をいたしておりますその計画におきましては、いわゆるカバレージ九九%をこえるものを計画しておりまして、世帯数からいいますと、ほとんど全世帯がカバーできる施設となっております。
○館野説明員 七〇%をちょっとこえたかと存じております。
○館野説明員 ただいまのところ、そのようなことでございます。
佐々木良作君 出席国務大臣 郵 政 大 臣 郡 祐一君 出席政府委員 郵政政務次官 亀岡 高夫君 郵政事務官 (大臣官房長) 鶴岡 寛君 郵政事務官 (電波監理局 長) 上田 弘之君 郵政事務官 (電波監理局放 送部長) 館野
南 好雄君 片島 港君 佐々木良作君 出席政府委員 郵政政務次官 亀岡 高夫君 郵政事務官 (大臣官房長) 鶴岡 寛君 郵政事務官 (電波監理局 長) 上田 弘之君 郵政事務官 (電波監理局放 送部長) 館野
二郎君 南 好雄君 大柴 滋夫君 片島 港君 中井徳次郎君 原 茂君 佐々木良作君 出席政府委員 郵政政務次官 亀岡 高夫君 郵政事務官 (電波監理局 長) 上田 弘之君 郵政事務官 (電波監理局放 送部長) 館野
佐々木良作君 出席国務大臣 郵 政 大 臣 郡 祐一君 出席政府委員 郵政政務次官 亀岡 高夫君 郵政事務官 (大臣官房長) 鶴岡 寛君 郵政事務官 (電波監理局 長) 上田 弘之君 郵政事務官 (電波監理局放 送部長) 館野
○館野政府委員 お答えいたします。法律的にはそういうこともあり得るということに相なります。
○館野政府委員 お答えいたします。法律が改正になりまして、細部の取り扱い手続も変わる面がございますけれども、ただいま受理しております申請書、それが無効だとするわけにはまいりません。そのまま受理されたものを継続いたしまして、ただ新しい手続あるいは審査基準等によりまして、申請書の補正あるいは訂正をしてもらわなければ審査はできないということはあろうかと存じます。
○館野政府委員 一般放送業者の定義、それからラジオ放送の種類ということから、先ほど来申しまするように規定上この数の足し算、割り算からいきますると先生のおっしゃるとおりでございます。ただ、どういう意図でこの成案を出したかということの説明を先ほど申し上げたわけでございます。
郵 政 大 臣 郡 祐一君 出席政府委員 郵政事務官 (大臣官房長) 鶴岡 寛君 郵政事務官 (監察局長) 山本 博君 郵政事務官 (電波監理局 長) 上田 弘之君 郵政事務官 (電波監理局放 送部長) 館野
祐一君 出席政府委員 郵政事務官 (大臣官房長) 鶴岡 寛君 郵政事務官 (電気通信監理 官) 畠山 一郎君 郵政事務官 (電波監理局 長) 上田 弘之君 郵政事務官 (電波監理局放 送部長) 館野