1952-05-10 第13回国会 衆議院 本会議 第40号
まず当時の状況から申しますと、この事故を起しましたもく屋号は、九日の午前七時四十二分、羽田飛行場を出発しまして以来、館山通過後、通信が杜絶しましたので、ただちに各方面の協力を得て、八方捜索をいたしたのでありますが、不幸にして、当日天候が悪く、視界が非常に狭い状況にありましたため、遂に発見することができず、翌十日午前八時三十二分に至りまして、捜索航空機によつて、大島三原山の東側、東経百三十九度四十八分
まず当時の状況から申しますと、この事故を起しましたもく屋号は、九日の午前七時四十二分、羽田飛行場を出発しまして以来、館山通過後、通信が杜絶しましたので、ただちに各方面の協力を得て、八方捜索をいたしたのでありますが、不幸にして、当日天候が悪く、視界が非常に狭い状況にありましたため、遂に発見することができず、翌十日午前八時三十二分に至りまして、捜索航空機によつて、大島三原山の東側、東経百三十九度四十八分
まず当時の状況から申しますと、この事故を起しましたもく星号は、九日の午前七時四十二分羽田飛行場を出発以来、館山通過後通信が杜絶しましたので、ただちに各方面の御協力を得まして八方捜索をいたしたのでありますが、不幸にして当日天候が悪く、視界が非常に狭い状況にありましたため、遂に発見するに至らず、翌十日午前八時三十二分に至り、捜索航空機により、大島三原山の東側東径百三十九度四十八分、北緯三十四度十二分の地点
しかし羽田を出発するに際しまして、機長は羽田のコントローラーから、前刻も御報告しましたように、館山通過後十分間は飛行高度を二千フィートを保持して飛べという指令を受けたのに対しまして、館山から大体七分の距離にある大島まで——つまり十分といえば、大島を通過してしまうのであります。ちようど三原山がオン・ザ・ルートにあるのであります。従いましてこの指令が間違つているということを抗弁をしているのであります。
先ず当時の状況から申しますと、この事故を起しましたもく星号は、九日の午前七時四十二分羽田飛行場を出発しまして以来、館山通過後通信が全く杜絶しましたので、直ちに各方面の御協力を得まして、八方捜索をいたしたのでありますが、不幸にして当日天候が悪く、視界が非常に狭い状況にありましたために、遂に発見するに至らなかつたのでありまして、翌十日午前八時三十二分に至りまして、捜索航空機によりまして、大島三原山の東側