2019-03-20 第198回国会 衆議院 内閣委員会 第7号
あるいは、もうちょっと先に進んでも、餓鬼大将がいて、みんなで学年の垣根を取っ払ってやっていたなんということもあったと思うんですけれども、今は、それを人為的につくり出していかないと、なかなかそういうことが行われていかない、世代間の交流が行われてこない。
あるいは、もうちょっと先に進んでも、餓鬼大将がいて、みんなで学年の垣根を取っ払ってやっていたなんということもあったと思うんですけれども、今は、それを人為的につくり出していかないと、なかなかそういうことが行われていかない、世代間の交流が行われてこない。
昔、餓鬼大将というのがいましたけれども、もめごとがあったときに、おまえ、やめろよと。ところが、今は、そんなことを言うと、この人もまたいじめられちゃうんですよね。ですから、やはりリーダー教育というのが私は必要なんだと思うんです。
たちなんかを例にしても、いじめの問題というのは余り単純化するのはよくないんですが、かつては子供たちは学校社会だけではなくて、ドラえもんに出てくるような広場みたいなものがあって、そこでも遊んでいて、そこは学年を超えた交流なので、例えばいじめられっ子というのは昔からいたわけですけれども、そのいじめられっ子も広場に行くと、その子、また広場でもいじめられたかもしれないけれども、そこは学年を超えた交流なので餓鬼大将
自分自身のことでいえば、まだ私が子供のころは防空ごうというのが残っていましたので、餓鬼大将が、今日はろうそくを持ってこいと、そしてろうそくに火を付けて中へ入るんだと、ろうそくが消えたら逃げよと。何の意味だか分かりませんでしたね。しかし、ある時期、教科書に炭鉱夫がカナリアを持っていく絵が、写真が載っておりました。そして、カナリアというのが一番酸素がないと死ぬということをそこで知らされました。
そういう意味で、そういう有名大学に行くような人たちというのは有名高校出身者が非常に多くなって、極端に言うと、有名高校というと、例えば、クラスの中で一度も学級委員長をやったことがない、生徒会長をやったことがない、野球部の部長をやったことがない、餓鬼大将はもちろんやったことがないという人が、ある日突然有名大学に入り、またそれから、総合職ではないですけれども、試験に通っていきなり、はい、リーダーです、これをやられるわけですよね
同じ学年でも、いじめがあると餓鬼大将が出てきて、おまえ、いじめちゃだめじゃないかとか、こういうことをやっていましたね。私はそういう経験はないんですが、旧制高校は寮制度というのがあって、一年生、二年生、三年生が全寮制でみんなそこへ入っておられました。 こういう試みは非常にいいことだと思います。
これは、塾に行ったり習い物をしたりということで、以前の餓鬼大将集団というものがかわいがったり助けてくれたりいろいろなことをして、それが一つの教育の力になり、兄弟の不足を補っていくというふうな以前の良き社会教育、いわゆる遊び、軟らかい言葉でいくと、いい意味にも悪い意味にも餓鬼大将集団というものが非常に大きく子供たちの中に影響を与えながら、お互い助け合いの気持ちも生まれていった。
つまり、学校の中でだれがどの瞬間にいじめる側になるのか、いじめられる側になるのかが非常に不確定な状況になっていて、我々が子供のころ餓鬼大将がいてみたいな状況では実は今の状況違うんですね。そこが非常にこのいじめの問題の複雑さを表しています。
従来は、いじめられていてもだれかが必ず話し掛けてくれるとか、一緒に餓鬼大将みたいな人間だけはかばってくれるとかということが昔はありましたが、このごろは一方的に、もうほとんどの人が集団的に一人の子供をいじめると。
それから、恐らく、いわゆるペーパーテストができなくても、確かに私たちのころはペーパーテストが駄目でも、野球ができるとかサッカーができるとか、あるいは絵がうまいとかあるいは歌がうまいとか、いろんなことが、それぞれ別々のお子さんが、歌はこの子とかあるいは野球はこいつとか、また餓鬼大将みたいなのがいて、それで何となく調和というかバランスが取れていたところあると思うんですけれども、今は、今同じ調査で、習い事
小学校五年生ぐらいの餓鬼大将連中ですと、ピアノなんかもう弾けない、何となく楽器に疎遠なときに、今さら琴なんてというふうに思いながらも、初めて見る琴、そして初めて聞く琴の本当の音色というものに多くの男友達も大変魅了されて、一時間や二時間習うと案外簡単に弾ける楽器でありまして、私も、「さくらさくら」とか「六段」とかを小学校六年生まで習いました。
昔は、子供たちの中に餓鬼大将みたいな子がいて、リーダーの子がいて、暗黙のルールがあったり、上の子から下の子へ自然に遊びが伝えられたり、また遊びを通して道徳やら文化やら、そういうものも自然に受け継がれていったと思うんです。
最近、我々文科省でスクールミーティングという形で現場へ出ていろんな意見を聞いているわけでございますが、具体的に居場所作りや学童保育やそういったものは、今までは、多分十年以上前はあえてそういうことをやらなくても家庭でいろんな体験をして、しつけも家庭で備わったり、あるいは地域社会でいろんな餓鬼大将と一緒に遊んだり、そういうことで居場所もあったわけですが、ここ十年、二十年ぐらいですかね、そういうところがなくなって
そのときの餓鬼大将はやっぱり夢と希望があったなというのが、そう思うわけですね。それは、科学技術どんどん進んでいくという、そういう大前提の中であったわけでございますが、科学技術の進歩が国民また世界を豊かにするということであり、また未来を担う青少年の夢と希望を与えるものであってほしいと常々考えているものでございます。
我々も、子供のころ、餓鬼大将の下で、一つの遊びの中で社会の仕組み、ルールを学んだ、そんな気がしております。 今、少子化が進んでいる現在、ボーイスカウトとかガールスカウトの活動、そういった集団での活動、私は、これを群育、群れの育ですね、群れの育、群育というふうに以前から呼んでおりますけれども、非常に大事だと思っております。
その普通の環境というのは、まさにいろいろ、例えば集団の場合でありますと、いじめがあったりけんかがあったりいざこざがあったり、一見ネガティブな関係と思われるけれども、例えば餓鬼大将がいたり、家庭の中では兄弟がある程度いればそういうぶつかりがある。と同時に、協力し合ったり助け合ったりというポジティブな関係もある。
私たちが小さいころ、近所の餓鬼大将が集まったり子供が全部集まって、広場に集まってみんなで遊ぶ、そこにはもちろん身体的な障害のある子も知的な障害のある子もみんな一緒になって遊んでいた。また、障害を持っている子を持つ親御さんたちも、そこの広場に行って遊んでおれば、あそこに行っているから安心だということで家業ができたりいろんな仕事ができた。そういう時代だったと思うんですね、私たちが育った時代は。
私自身の経験からいいますと、年齢の違う地域のグループに餓鬼大将がいまして、その餓鬼大将にこつんとやられたこともありますし、子供同士でけんかをすることもある。あるいは年上の子供がより小さな子供の面倒を自然に見るような地域社会、子供の社会がある。つまり、そこで社会訓練といいますか、心の訓練をする場面があったわけでございます。 それだけではなくて、もちろんけんかもします。
そして、今、死語になりつつありますが、雷おやじとか肝っ玉母さん、熱血先生、餓鬼大将、こういう言葉が使われなくなっています。こういう人たちに、家庭や地域で、学校で、やはり一番基本になる、人間が生きる基本になるものを私は教えてもらったような感じがいたします。今は、人と人との間が法律という壁で何か冷たくなっているような感じがいたします。
実は、私どもが子供のころは、学校から帰りますとその地域に餓鬼大将がいて、またたくさんの子供たちがいたものですから、山に登っていろんな遊びをしたり、また田んぼとか畑の中を駆けめぐって歩き回ったり、そうした中で社会の一員としての序列のあり方とか協調関係とか、そして自分の果たす役割とか、そういったものを自然に学ぶことができたものと思っております。