1998-04-16 第142回国会 参議院 文教・科学委員会 第15号
このためにというのじゃなくて、基本的に養護教諭そのものの複数配置というのは三十学級規模というところで精いっぱいということであってはならぬわけなんですよ。
このためにというのじゃなくて、基本的に養護教諭そのものの複数配置というのは三十学級規模というところで精いっぱいということであってはならぬわけなんですよ。
余りにもそこで働いている人たちが、子供の健康も見なけりゃならないし、子供の健康に基づいて、教室ではどういうところに席を占めさせたらいいのか、どういう運動をさせたらいいのかということは、すべて養護教諭の指示というものでやられているわけでありますから、そういたしますと、養護教諭そのものが大変忙しいのにソーシャルケアもやらなくちゃいかぬ、あるいはその他の、学校が二つの行動をするときにはそれにもついていかにゃいかぬということでありますから
養護教諭の問題につきましては、養護教諭そのものの不足もあるようでございますが、養成の面からも配慮していかなければならない点だろうと思います。御期待に沿うような努力を続けていくつもりでございます。
○政府委員(宮地茂君) 先ほど来申し上げておりますように、養護教諭の養成の確保、特に計画養成あるいは養護教諭に恥じないというりっぱな養護教員を養成するために、いろいろな観点から養護教諭そのものの養成を目的とした大学なり短大なりがあるということは、趣旨としてはこれはけっこうなことだと思います。したがいまして、先生のおっしゃることは私ども趣旨として反対する理由はないと思います。
めておるところでありますが、附則百三条によりまして、養護教諭について置かないこともできることになっているために、また一つには今日学校の教職員定数というものが、現在の学校の教育並びにその他の仕事に比較いたしまして十分でないために、一般教諭としての資格ある方を一人でも多くほしいというような学校経営上の要求から、当然置かなければならない養護教諭をそちらに定数として振りかえておるというような面もありますし、それから反面、養護教諭そのものの
この学校教育法が養護教諭を必置という本文を定め、附則百三条ですか、その中に、特別の事情がある場合は置かないでもよろしいと定めた際の当時の状況は、日本の経済情勢もまだ終戦後逼迫しておりましたし、養護教諭そのものの確保も困難であったわけです。