2020-11-13 第203回国会 衆議院 外務委員会 第2号
そもそも、茂木大臣のもとじゃないですけれども、前の前の大臣のときですけれども、外務省も万全にやっていきます、安倍内閣は全ての閣僚が復興大臣ですと言いながら、ずっとやっていた飯倉公館での被災地の農水産物の食の提供が一年間も滞っていた。何が情報発信だ。まあ、これはしようがないんです、風化もするから。でも、みんなが復興大臣だと言いながら、言っている人が風化をしちゃいけないんですよね。
そもそも、茂木大臣のもとじゃないですけれども、前の前の大臣のときですけれども、外務省も万全にやっていきます、安倍内閣は全ての閣僚が復興大臣ですと言いながら、ずっとやっていた飯倉公館での被災地の農水産物の食の提供が一年間も滞っていた。何が情報発信だ。まあ、これはしようがないんです、風化もするから。でも、みんなが復興大臣だと言いながら、言っている人が風化をしちゃいけないんですよね。
ちゃんと食べていただけるという形でありますし、また、二月には飯倉公館で、岩手県と共催で、在京の外交団を対象にして県の食材を含めた魅力発信のレセプションを開催をしまして、多くの国の大使であったりとか外交団の方に集まっていただいたところであります。 一月にフィリピンに行ってきました。そこでも、外相会談におきまして、我が国からの輸入についての、完全撤廃、こういったものもやってきたわけであります。
安保条約の歴史を俯瞰し、安保条約に対する思いについて、せんだって、飯倉公館そしてまた自由民主党の事始めで、総理から、るる、いろいろな思い出話も含めてお聞かせをいただきました。 今回のこの六十年の節目に、総理が、改めて、日米関係含めて安全保障条約、どのように今後未来に向けて発展をさせていきたいか、ちょっと思いをお聞かせいただければと思います。
日米の外交・防衛担当者が集い、外務省飯倉公館で盛大にレセプションが開催をされました。総理はここで、日米安保は不滅の柱であり、アジアとインド太平洋、世界の平和を守り、繁栄を保証する不動の柱と仰せられました。 私は、日米安保に関して忘れられない思い出があります。それは、十年前、日米安保五十周年の年であります。実は、十年前、日米安保五十周年の式典は行われませんでした。
これを今これから伝えていくということでありますけれども、ちょっとまた飛びますが、であれば、外務省は率先してやらなきゃいけないし、安倍内閣は全ての大臣が復興大臣という、言葉だけは美辞麗句を並べていますけれども、やめた大臣の発言もありましたし、過去においては、外務省においても、飯倉公館で被災地のものを一年以上にわたって一切使ってこなかったということで、外務省だって言葉だけですよ。
ただいま御指摘の点ですが、外務省では、被災地産品に対する風評被害対策といたしまして、平成二十九年六月付で、飯倉別館でのレセプションについては、料理の材料及び飲物に被災地の産品を必ず含めるよう、会計課長名で全課室に通達したところでございます。
だから、飯倉公館で今は被災地のを使っていると言ったけれども、今、二番目の質問、質問していないことを答えたからあれなんだけれども、ちゃんと聞いていてくださいね。 飯倉公館で今被災地のを使っていますと言ったけれども、輸入規制がかかっている県、青山さんの北関東もはまっちゃっているわけですから、飯倉公館でもそれをやっているのという話。
外務省として、引き続き地方の産品の魅力発信ということは続けていきたいと思っておりますし、こうやって現地に行くものとあわせて、都道府県別に、飯倉公館を使っていただいて、都道府県と共催でレセプションもやらせていただいております。
近藤先生、渡邊先生、それぞれに一点お伺いしたいんですけれども、近藤先生のところで、ハードは金の切れ目が縁の切れ目だけどソフトパワーは続くというような、青色の資料の中に書いていただいておりまして、実は昨日、日本国際漫画祭というのが飯倉公館で開かれまして、三百以上の作品が世界から寄せられて、日本の評価を受けるというような祭典がありまして、すごく今、本当に日本のポップカルチャーは、お二方から出ましたけど、
だけれども、実際、この外務委員会で質疑してみたら、飯倉公館でのいろいろなレセプションで、過去一年においては被災地のものを一切使っていなかった、情報発信していなかったという事実があって、言葉だけだったということがわかりました。
また、地方の魅力発信のイベントを在外公館で行ったり、東京でも飯倉で、今晩も北海道だったかの魅力発信事業を飯倉公館でやらせていただきますが、外務省として、そういうことにこれまでも取り組んできてはおりますが、これは非常に大事なことだと思いますので、今お話のありましたことを含め、やはり大使その他が地方へ行って自分の任国の話をする、あるいは在京の大使に行っていただく。
では、飯倉公館でのレセプションで、震災直後はよく被災地のものを使ってもらっていたけれども使っているのと言ったら、昨年の段階で一年間使っていなかったというんですよ。 言葉だけじゃ、これは嫌みっぽく言うと、だから福島県ではあのモリカケの前から安倍さんの支持率は低いわけです。不支持率の方が高いというのはそういうところですよ。言うことは格好いいけれども、やっていないじゃない、こういう不満なんです。
前は、飯倉公館であったレセプションとかいろいろなところで被災地のいろいろな産品を提供して、風評被害対策や被災地の情報発信に努めていたんですが、ことしの春に聞いたときは一年間一切なかったというんですよね。 そのときに、前の岸田大臣は、いや、自分もそういうつもりで復興大臣としてやっていますと言った後で、では、具体的にどうですかと。やっていなかったというのがありました。
飯倉の別館がございますが、飯倉別館にて開催するレセプションにおいては、料理の材料及び飲み物には被災地産品を必ず含めることという会計課長からの通達を出して、飯倉では必ずそれを使う、具体的には岩手、宮城、福島、それから熊本県などをしっかり使っていこうということをやっております。
飯倉公館等でいろいろなレセプションをやっていただくときに、被災地の農水産物を使ってもらっていました、お酒とかも使ってもらっていました。それが最近はどうと確認したんですね。みんな当事者意識を持ってやっている、今も大臣が言ったとおり、六年たったけれども、ちゃんとそういう意識でやっていると言ったけれども、では、どうなんだと。 ゼロですよ、ゼロ。
そうしたら、飯倉公館でやっているレセプションで被災地の農水産物を使っていたんですけれども、そういえば今どうなっているのかなと聞いたら、やっていないんですよ。これは所管外と外務大臣にも言わせられないですよね、一人一人が復興大臣なんだという思いなんですから。
シンポジウムの中で小川福岡県知事が、各国の大使を集めた福岡県のプロモーションというものをぜひ飯倉公館で行わせてほしいというふうなお願いをなされたところでございます。 私からもぜひこれをお願いしたいんですけれども、武井政務官、ぜひ前向きな答弁をいただければと思います。
また、今お話ございました小川福岡県知事、過日の福岡の、委員お越しの際にも御要望があった件でございますが、飯倉公館でのプロモーションでございます。
○アントニオ猪木君 北朝鮮戦略ということで、先日、岸田大臣がティラーソン国務長官と飯倉公館で会談し、共同記者会見をされました。ティラーソン長官は、北朝鮮を非核化しようとする二十年間の努力は失敗に終わった、脅威がエスカレートしており、新たなアプローチが必要だと指摘しています。 今後の北朝鮮対策について岸田大臣とティラーソン長官はどのような話をされたのか、お聞かせください。
○政府参考人(吉田朋之君) 地方創生支援、飯倉公館活用対外発信事業についてお尋ねをいただきました。 この事業は、地方の多様な魅力を内外に発信することを目的として平成二十七年から開始した事業でございます。
地方創生支援ということで、飯倉公館を活用した対外発信事業というのがあります。この狙いと今後の展開、そして現在どういった効果が出ているのか、これをお聞きします。
私自身、これまでキューバやイランなどでトップセールスを行い、また、飯倉公館にて地方の魅力を海外に発信するレセプションを開催してまいりました。成長する海外市場の需要を取り込むべく、ODAや投資協定の整備を通じた企業の海外展開支援、インフラシステムや日本産品の輸出などを官民一体となって精力的に進めます。
私自身、これまで、キューバ、イランなどでトップセールスを行い、また、飯倉公館にて地方の魅力を海外に発信するレセプションを開催してまいりました。成長する海外市場の需要を取り込むべく、ODAや投資協定の整備を通じた企業の海外展開支援、インフラシステムや日本産品の輸出などを官民一体となって精力的に進めます。
こういった国産のワインを、例えば内閣総理大臣官邸であるとか外務省の飯倉公館であるとかそういったところ、さらには在外公館であるとかいろいろな場所でもっともっと使って、そして国産ワインの振興に資していただきたいというふうに思うわけでありますが、森山大臣、一言お願いします。
昨日も外務省の飯倉公館でレセプションがありましたけれども、島サミットが福島県いわき市で開催をされるということです。実は私の妻も、結婚する前に青年海外協力隊で南の島のサモアというところに行って、そのときからつき合っていたのでずっと文通だったんですけれども、済みません、そんな話。まあ、あちこちの委員会でこういうことを言っているんですけれども。