1948-07-16 第2回国会 参議院 司法委員会眞木事件に関する小委員会 閉会後第1号
或は又その後、四月、五月の食糧欠配の当時で、宮城前でそういつた大会があつたり、民生委員大会で食糧輸入懇請の大会があつたりしましたが、そういつたときも、今晩の飯がないということで、私のところに來られて、是非何とかして呉れというような話で、一緒に食糧営団に交渉に行つたことがありますが、別に威迫的な言動を示されたことは、私自身として、これは主観的な問題でありますが、そう感じてはおりません。
或は又その後、四月、五月の食糧欠配の当時で、宮城前でそういつた大会があつたり、民生委員大会で食糧輸入懇請の大会があつたりしましたが、そういつたときも、今晩の飯がないということで、私のところに來られて、是非何とかして呉れというような話で、一緒に食糧営団に交渉に行つたことがありますが、別に威迫的な言動を示されたことは、私自身として、これは主観的な問題でありますが、そう感じてはおりません。
又國際関係におきましても、そこまで國家がやれば一層信用と同情とを持ち得まして、食糧輸入懇請につきましても、もう少し良い状況に進むのではなかろうか。農業協同組合とか近くできむとする生活協同組合などもありますし、やるとすれば方法は幾らでも適正な方法があるのであります。この点を先ず第一にお尋ねいたします。
なおたとえば大衆酒場といつたようなもの、その他の點については、食糧輸入懇請の問題、また爾後における食糧の問題というようなものからみて、いかなる關係に立つかといつたような點につきましては、私どもの方においても常に考究をいたしてはおりますけれども、見透しといたしましては、再開が困難であろうという點をお答えいたしたわけであります。