2016-12-06 第192回国会 参議院 環太平洋パートナーシップ協定等に関する特別委員会 第13号
では、食べ物そのものを考えてみたときにそのリスクというのはどういうものかということをちょっと事例を挙げて考えたいと思うんですけれども、ここに挙げておりますトウモロコシはなぜ食べて安全と言えるのかということを考えていただければと思うんですけれども、これは、実は安全だという証拠はどこにもなくて、千年ほど食べてきて死んだ人が少なかったからというふうな理由でしかないわけですね。
では、食べ物そのものを考えてみたときにそのリスクというのはどういうものかということをちょっと事例を挙げて考えたいと思うんですけれども、ここに挙げておりますトウモロコシはなぜ食べて安全と言えるのかということを考えていただければと思うんですけれども、これは、実は安全だという証拠はどこにもなくて、千年ほど食べてきて死んだ人が少なかったからというふうな理由でしかないわけですね。
○菅(直)委員 ちょっと今の、所管でないという言い方は、確かに食べ物そのものは厚生省なりそういうところがやりますよ。しかし、今まさに大臣が言われたように、里山を、みんながもっと戻って里山でいろいろな活動ができるようにして、場合によったらそこでとれたものを食べるとかということを可能にするかしないかは、まさにそういう整備をすれば入るわけですよ。
くだけで食べる方というのはいないわけでありますから、塩コショウあるいはまたいろいろな調理方法で、焼いたり、いろいろな方法であると思いますので、塩コショウといった場合には、普通は、日本のレストランでも、この肉はどこの肉ですか、例えば岩手の肉であるとかあるいはまた三重の肉であるとかいっても、では、それに塩コショウを振っていたら表示しなくていいのか、こういうことにはならないと思いますので、それはやはり、食べ物そのものと
必要なのは、人間の側の問題ですし、生活の仕方の問題、これが例えば生活習慣病などにも関連しまして、先ほどお話ししましたように、安全と、食べ物そのものは安全であっても、その食べ方あるいは食べる量、あるいはそれをどのように使うかというところで生活習慣病の予防など健康増進の問題にも絡んできているということになると思います。
そういうことをやると、結局その役所の説明全体が、ちょっとおかしいんじゃないかと疑いの念を持たれ、最終的には、食べ物そのものに何か隠されているんではないか、そういうことがあると思います。薬害エイズの問題では、そうしたことが引き金になって、いまだにいろいろな禍根を残しているわけでございますし、現実に亡くなられた方も出ているわけでございます。
これは体そのものが求めるものでありまして、その次には、食べ物そのものが人間が生きていくための一つのまた喜びであるわけであります。 このことからいいますと、目で見て楽しみを得る、そういう段階に入っていって、最終的に求めるものは、やはり食というものは心で食べるものだ、こう思うんです。