1961-10-26 第39回国会 衆議院 科学技術振興対策特別委員会 第8号
この予想は、三十四年十月二十六日十六時三十五分の福島県東方沖の顕著地震として実現したわけであります。距離が予想よりやや遠いものでありましたが、その規模は大体三河地震、昭和二十年一月十三日、死者二千名を出し、負傷者二万二千を出し、全壊五千五百の大地震程度のエネルギーのものであり、宮本さんの予想は正しかったと思われているのであります。
この予想は、三十四年十月二十六日十六時三十五分の福島県東方沖の顕著地震として実現したわけであります。距離が予想よりやや遠いものでありましたが、その規模は大体三河地震、昭和二十年一月十三日、死者二千名を出し、負傷者二万二千を出し、全壊五千五百の大地震程度のエネルギーのものであり、宮本さんの予想は正しかったと思われているのであります。
この地震は非常に大きいといいましても、福井地震の十分の一かそこらの程度の顕著地震で、三重まるになっておりますが、その直前には大きな変動はないわけでございます。ところが、先ほど申しましたように、十月の初めから大きい異常が起こりまして、十日、十二日に最大の変化があった。ここに十数日の差があるわけですね。
〔図を示す〕 すなわち、これらの十月以降には、特に大きい顕著地震以外にも、やや小さい地震も幾つかある。その場合には、どれとどれが対応するのかということがわからないということをおっしゃったので、それを私は最初にちょっと説明いたします。 今回の席上では、松沢教授ははっきりと仰せにならないのでありますが、非常に重大な提案を私はずいぶん前に聞いたのであります。